第3話

「投降する気はないんだな?」


「くそくらえ」


 親指を立てて下に向ける。他の兵士たちはともかく、隊長らしきこいつには勝てないだろう。だが、逃げることぐらいはできるはずだ。この世界で偉くなっていずれ見返してやる。俺はこいつらの顔を忘れない。視界に映る兵士たちの顔を見回して、必死に頭に刻み込んだ。


 大男が何の興味もなさそうに、右腕を下ろした。兵士たちの顔が一瞬で引き締まり、武器に手をかける。笑い声が消え、静寂に包まれた。


「生け捕りだ。危険を感じたら下がれ。まあそんな奴はいないだろうが」


 空気が爆発した。


 兵士たちが一斉に叫んだのだ。ただの声。怒声。だがしかし、それは爆発のようだった。大男の命令を絶対に完遂する、という気迫の籠った叫び声は確かな衝撃となってこの身体を叩く。兵士たちは、先ほどの軽薄そうな笑みを浮かべていた時とは別人のようだった。戦いには慣れたと思っていたのに、あの日ゴブリンと初めて戦った時と同じ恐怖が身体を縛り付ける。


 こちらを囲むように広がる兵士たちをただ眺める。兵士たちは半円状に広がり、そこで止まった。互いの間を山から吹き下ろす風が抜ける。茶褐色の木の葉が数枚、舞っている。


「……来ないのか?」


 兵士たちは武器に手を置いたまま、じっとこちらを観察していた。誰も口を開こうとはしなかった。緊迫感のあるこの状況に耐えきれず、先に動いたのはこちらだった。


「うおおおお!」


 威嚇スキルを乗せた叫び声で相手の動きを鈍らせてから、兵士数人に土魔術でこっそり作った石を投げつける。


 石が着弾するまでの一秒にも満たない間に、「体液操作」「腕力強化」「脚力強化」を同時発動する。体液操作はスライムから奪ったスキルで、これを使っていれば疲労などを気にせずに常に万全の状態で動くことが出来る。多対一の戦闘では必須となるスキルだった。


 続けて「跳躍」。宙を舞う木の葉の間を風のようにすり抜け、最前列の兵士に向かって思い切り棒を振り下ろす。


 理想的な開幕。完璧な一撃だった。


 しかし。


 ガキン、という金属音と共に、棒が兵士の篭手で弾かれる。そのまま手首を掴まれ、地面に叩きつけられた。


「がはっ!」


 背中を強打し、肺から空気が抜ける。困惑したようにこちらを見下ろす兵士を睨みつけ、すぐに「痛覚軽減」「自己治癒(小)」のスキルを発動して起き上がった。四方八方に「風刃」を放って牽制しながら、「跳躍」「空脚」で素早く後ろに下がる。


 だが俺を投げ飛ばした兵士は、落ち着いた様子で風刃を全て切り払った。こちらをじっと見つめながら首を傾げている。


「エリナ! こいつ本当に落ち人なのか? うちのガキどもとそう変わらんが」


「え、ええ、そのはずです! ですが、これは……確かに拍子抜けですね。レオン隊長、どう思いますか?」


 拍子抜け。戦闘員ではなさそうな、ひ弱そうな女性にそう評価されて唖然とした。間違いであってくれと念じながら、レオン隊長と呼ばれた大男に視線を向ける。


「その弱さこそが証明だ。本来スキルとは肉体と魂を鍛え上げた末に得られるもの。だが彼は努力も研鑽もせず、他者から奪い取っただけ。使いこなせるはずもない」


 大男は腕組みをしながら冷え切った視線をこちらに向けていた。


 レオンの言葉がぐさりと心に突き刺さる。確かに、俺の持つスキルは全て奪ったもので、自分で獲得したものは一つもなかった。


 それはこの世界に来てからだけでなく、地球にいた頃からそうだった。


 裕福な家庭や大会での入賞、容姿端麗な恋人、頭の良さ。他者の自分よりも優れている箇所を羨み妬み、自分も似た経験やこんなすごい能力があると嘘を吐いて自分を大きく見せようとしていた。努力して誇れる自分になろうとしたことは、思ったことは、一度としてなかった。それが間違っていることはずっとわかっていた。


 でも、それでも。


「俺は選ばれたんだ。ここでは一番になれるんだ絶対に!」


 悔しさに突き動かされ、レオンに飛び掛かる。


 だが直前で、視界の端から現れた足先がみぞおちに突き刺さった。転がったまま嘔吐している俺を、レオンはまだ腕組みをしながら見下ろしていた。


「なる、ではなく、なれるか。自分のことのはずなのに、ずいぶんと他人事みたいに言うんだな。お前はやはり落ち人だ」


 呻きながら睨んでいると、その視線を遮るように細身の女性兵士が割って入ってきた。


「やめておいたほうがいいです、君じゃ隊長には勝てない」


 すぐに自分を蹴りとばした兵士だとわかった。


 俺は戦いとは無縁そうな女性兵士にすら勝てないのか。一年間、山で生き抜いたのは全くの無駄だったのか?


「……ふざけるなよ。そんなことがあってたまるか!」


 棒を思い切り振り回す。


「おっと」


 女性兵士が軽やかに跳躍し、視界から消えた。背後から音がしたと同時に、後頭部を衝撃が襲った。


「ぐあっ!」


 一瞬視界が暗くなり星が舞った。前のめりに倒れる。視界がぐらつく中、立ち上がろうとするが。


「止まりなさい」


 首筋に冷たい刃先が当てられた。


「もう諦めてくれませんか? 実力差はわかったでしょう」


「く、くそ……まだだ!」


 捨て身で「熱魔術」のスキルを発動した。周囲の空気を極限まで熱して兵士を追い払う。


 よろけながらも立ち上がる。


「もう一度言う。投降しろ」


 レオンの低い声が響いた。周囲の兵士たちは、まるで余興を見るような目でこちらを見ていた。


「ふざけるな……ふざけるなよ!」


 屈辱と怒りで我を忘れ、全てのスキルを同時発動して飛び掛かる。


 空中で目が合う。だがレオンは剣を抜かなかった。


 それどころか構えることすらしなかった。


 渾身の一撃は、退屈そうに腕を組んだままのレオンの身体に当たりそのまま弾かれた。


「……は?」


「もう満足だろう。落ち人だろうと、子どもを甚振る趣味はないんだ。投降してくれ」


 一年間山で戦い抜いて、スキルをたくさん集めた結果がこれか? そんなはずはない。ただの兵士にすらあしらわれ、隊長格には赤子扱いで相手にすらされないのか? そんなはずはない。そんなはずはないんだ!


 震える手で棒を握り直し、叫びながら何度も振り下ろす。レオンは冷え切った目でそれを眺めていた。しばらくしてレオンはため息を吐いた。


「他人の物を奪っても自分の物にはならない。それが道理だ」


 レオンが棒を受け止め、手首を捻った。


 それだけで身体が宙に舞った。受け身も取れずに頭から地面に叩きつけられ、今度こそ立ち上がることができなかった。

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