第2話
陽の角度が変わり、森の中にも金色の光が斜めに差し込んでいた。さっき倒したホーンラビットの亡骸は、近くの木の下で眠っている。命のやり取りへの忌避感はこの一年でだいぶ和らいだが、ウサギにしか見えないモンスターを倒すことへの罪悪感は未だに残っているので余裕があったら埋めているのだ。余裕があったら、というか、毎回だ。
もう、この辺りに敵になりえるモンスターはほとんどいない。
緑に包まれたこの山での生活も、最初の頃とはまるで違う。あのときは、ゴブリンが現れただけで震えながら逃げていたというのに、今では見かけた瞬間に石を投げるか、頭上から頭を踏みつけて終了だ。もう戦いという感覚すらない。草刈りのようなものだ。
あまりに退屈で、近くの大木を駆け上り先端付近の枝に腰かけた。はるか遠くを見やると、青い空に交わることなく存在する地平線が見えた。手前の方には木々の切れた平野があった。この中に人の住む街はあるだろうか。きっと、あるだろう。
そろそろこの山を下りよう。
まだ見ぬ広い世界。スキルを奪えるこの力があれば、どこへだって行けるだろう。悪人と出会ってしまうことも怖くはない。むしろ、それが楽しみでさえあった。
風が背を押すように吹いていた。行くなら今だ。
大木からそのまま飛び降りて、山裾へ向かって駆け始める。一年も山で暮らしたため、不安定な足場にはすっかり慣れていた。絡みついてくる下草も、崩れやすい岩場も物ともせずに一定の速度で進んでいく。
急斜面も大きな倒木も、今の俺にとっては障害になりえないのだ。風のように山を降りていく自分が、この世界でいったいどれだけの成功を収めるのか楽しみで仕方がなかった。
地面の傾斜が緩くなり、木々の密度も徐々に減ってきた。大木も見かけなくなり、人の手が入っていそうな若い木ばかりが散在するようになった。
それからもしばらく走り続けていると、空が一気に広がるような感覚があり、森を抜けたのがわかった。一面雲に覆われていて今にも降りだしそうな空の中を、赤く綺麗な鳥が三羽ゆったりと飛んでいた。その姿を見ながら雄大な自然の空気を肺一杯吸い込んでいると、異質な匂いが風と共に運ばれてきた。
目線を下ろすと視界の先に、硬い空気を纏った一団がいた。
銀色の鎧に身を包んだ数十人規模の一団。その中心には、一人だけ色の違う漆黒の鎧を身につけ、身の丈ほどの大剣を背負っている大男が立っていた。視線がぶつかり絡まり合う。強化された視界の中で、大男が唇を吊り上げたのがわかった。
距離にして百メートルほど。けれどその目だけは、すでにすぐ傍にあるような圧を放っていた。光を呑みこむ黒色の鎧とは対照的に、その瞳は爛々と光を放っているようだった。
おちびとか?
強化された視力が、大男の口元の動きを拾いあげる。
おちびと? なんのことだろう。でもひとまず人に会えた、よかった。あの人たちに着いていって街まで行こう。
そう思って足を踏み出そうとした、その瞬間。
「止まれ」
空気が震えた。低く重々しい声が、周囲の空気を押しのけて響き渡る。背後の森から鳥たちが飛び立つのがわかった。
やや遅れて、眼鏡をかけた女性が眉間に皺を寄せながら何かを呟く。目が合った瞬間、脳裏に奇妙な刺激が走った。
「種族レベル十一、スキル数二十一! スキル数が多すぎます! おちびとの可能性、大! 一級捕縛対象です!」
何が何だかわからなかったが、捕縛という言葉で良くない事態に陥っていることだけは理解できた。その場から逃げ出したかったが隊長らしき大男から発せられる圧で、足が地面に縫い付けられたように動かなかった。冷汗がこめかみを伝う。
何なんだ、おちびとって!
大男が悠然とこちらへ歩いてくる。金属の擦れる音が鼓膜だけでなく心までがりがりと削っているように感じた。二十メートル手前で立ち止まり、大男は丸太のように太い右腕をゆっくりと上げた。
挨拶かと思い、こちらも右手を上げようとしたところで大男は言う。
「奪取やコピー系のスキルを持っているな? 君がそれを危険なことに使わないと確信できるまで、身柄は拘束させてもらう。こちらに敵対の意思はない。素直に投降すれば何もしない。手を頭の後ろに置いて、ゆっくりと膝をつけ」
「な、なんでだよ、俺は何もしてない! 何か勘違いしてるみたいだけど、俺はそのおちびとって奴じゃない! たしかに、たしかに奪取スキルは持ってるけど、まず話を聞いてくれ!」
「ああ、もちろんだとも。話をしよう。だからまず、君を拘束させてほしい」
「は、はあ!? 話聞いてたか!? 俺はお前たちの思ってる奴じゃないんだ、何もしてないし拘束される謂れはない! ふざけんな!」
段々と腹の底から怒りが湧いてきた。
一年間山で必死に生き抜いてきただけなのに、どうして拘束なんてされなきゃいけない。犯罪どころか人と出会ったのもこれが初めてなのに、どうしてこんなことを言われなきゃいけないんだ! いずれ最強になるこの俺が、どうして!
黙ってこちらを見つめている大男を睨みつけると、周囲から笑い声が聞こえてきた。どうやら兵士たちには面白い状況らしかった。自分が笑いものにされ、相手にもされていないこの状況も屈辱的で耐え難かった。奥歯を噛み締めてじっと睨みつけていると、大男は目を瞑って溜め息を吐いた。
「投降する気はないんだな?」
「くそくらえ」
親指を立てて下に向ける。他の兵士たちはともかく、隊長らしきこいつには勝てないだろう。だが、逃げることぐらいはできるはずだ。この世界で偉くなっていずれ見返してやる。俺はこいつらの顔を忘れない。視界に映る兵士たちの顔を見回して、必死に頭に刻み込んだ。
大男が何の興味もなさそうに、右腕を下ろした。兵士たちの顔が一瞬で引き締まり、武器に手をかける。笑い声が消え、静寂に包まれた。
「生け捕りだ。危険を感じたら下がれ。まあそんな奴はいないだろうが」
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