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 その機会は次の日会長自身が運んできた。いつものように部室で優雅に読書に勤しんでいるところだった。

「小耳に挟んだんだけどさ」部室に入ってきた会長の第一声がそれだった。挨拶や前置きは一切ない。「いろんな場所でたぬきの置物が出現しているとか。知ってる?」

「知ってるもなにも……」犯人は会長でしょ、と続けたかったが、それは新たな訪問者に遮られた。「王野先輩!」

 会長が振り向き、その人を見るなり「げ!」と変な声を出した。ここ最近、会長のせいで人の出入りが多くなった気がする。

「山瀬さん。どうしてここに」

「どうしてじゃないですよ。王野先輩がサボるときはだいたい文芸部にいるって芳賀先輩に聞きました。それでわざわざ連れ戻しに来たんですよ」

 芳賀先輩は生徒会副会長で忘れ物事件の主役だ。その芳賀先輩が生徒会は優秀な二年生が実質運営している、と言っていた。するとこの人が件の優秀な二年生だろう。

「今は猫の手も借りたいんです。先輩はいないよりマシなんです」

 山瀬さんは会長の手首をがっちりと掴み引っ張った。会長は仕方なさそうにゆっくりと立ち上がってから、「たぬきの置物をだれがわざわざ置いたのか調べておいて」

 二人はやいのやいの言いながら部室を出ていき、静けさだけが残された。

 犯人といわれても、それは会長だ。わたしは本を開きながら首を傾げた。わたしはこの目でしっかりと見ている。会長が犯人である確たる瞬間を……いや、違う。わたしは見ていない。会長がたぬきの置物を置いた瞬間を。見たのは教室から走り去っていく姿だ。つまり会長は犯人ではなく、別に犯人がいるということか。

 ただ、会長が犯人ではないという可能性も否定しきれない。手元の材料は乏しい。会長が犯人でない場合と、犯人である場合を考えなくてはならない。後者の場合だと倒叙集めいた話になるが。

 わたしは苦笑いを浮かべた。なにをごちゃごちゃ考えているのか。会長の言葉通りに動く必要はない。

 ないのだが、ある程度は考えておこう。どうせ会長のわがままには付き合わされることは確定なのだから。忘れ物の課題と同じだ。しっかり落ち着いて取り組むか、慌てて体裁を整えるか。わたしは前者が好きだ。

 腹が据わればまずは情報収集からだ。会長はいろいろな場所でたぬきの置物が見つかった、と言っていた。そのいろいろがどこかを特定するところからだ。

 スマホを取り出し、希望に個人チャットと飛ばした。希望は元文芸部でミステリ、というよりアガサ・クリスティを敬愛している友達だ。そんな人だから身の回りで起こるちょっとした謎は大好物らしい。ただ本人は、「ポアロどころかヘイスティングズにもなれないけどね」と苦笑いしていた。その言い回しにわたしが不思議そうな表情を浮かべたのだろうか、希望は補足してくれた。「つまり、探偵どころか助手にすらなれない」

 返信はすぐに来た。「ここだって」というメッセージと一緒に画像が一枚送られてきた。画像には置かれていた教室名と教室内のどこに置かれていたかが書かれている。画像の内容をだれが作成したかは知らないが、希望はちゃんと助手をやれそうだと思う。ただその場合わたしが探偵役になってしまうから、不本意なのだが。

 メッセージの追撃があった。「ところでさ」「次のブリッジ会はいつにする」クエスチョンマークのスタンプ。

「わたしはいつでもいいよ。みんなの予定次第だね」

 素早く返信をしてから画像の内容を確認した。

置き場所は三つで、それぞれが特別教室のようだ。見取り図が記載されている。それによると教室は机が横五列、縦に十列の構成で、たぬきの置物が置かれていた机は赤丸で囲われている。一つ目は前から二行目、右から二列目。二つ目は前から五行目、右から三列目。最後三つ目は前から七行目、右から五列目。

 縦長の妙な造りなのは、二つの教室を一つにくっつけたから、というのを聞いたことがある。

 ここからどう発展させていこうか。情報の量と質は担保されているかは分からない。が、それを疑うと二進も三進もいかなくなるからこれは信用しようと思う。裏付けは会長にでもさせればいい。それくらいは働いてもらわないと。

 さて、足場がなにもなくなってしまった。内容の査証と会長が空き教室でなにをしていたか、もしくは目撃したかを確かめたい。これは会長に依存するわけだし、今日はもうここまででいいだろう。初日の成果ならこんなものか。会長の連絡先を知らないし、もう打つ手はない。

 あまり気は進まないが、本の世界に戻るとしよう。というのも、今読んでいるのがアチェベの崩れゆく絆で、アフリカや当時の価値観、宗教観がちんぷんかんぷんだからだ。世界史をしっかり身につければ楽しめるかもしれないが、生憎わたしにはその素養を持ち合わせていない。楽しむための土台を築けていないというのはなんと悲劇的なことか。

 思考は自然とたぬきの置物事件に向かっていった。なぜたぬきなのか。なぜ特別教室に置かれていたのか。必ず理由があるはずなのだ。厄介事を起こす人には厄介事を起こす理屈が存在する。

 まずはたぬきである理由。たぬきが謎に絡む場合に思いつくのは、小さい子向けの謎解きで必ず出てくる不自然に「た」が多い文章だ。わたし自身どこで知ったのか定かではないが、だれもが知っているはずだ。だが、そういう平仮名だらけの暗号文があったという情報はない。すると、たぬきの置物である必然性はない、ということになる。

 この方向は行き詰まったから特別教室に置かれていた理由を考えることにしよう。置かれていたのはパソコン室、オーラルコミュニケーション室、音楽室と画像には書かれている。この文字列から「た」を抜くとなにか文章が……いや、ダメか。「た」は入っていない。

 スマホの画像を開いたまま、わたしは天を仰いだ。すぐに煮詰まった。これは間違った表現だから使うのはやめよう。今は真逆の状態で、結論なんて出ていないのだから。

 仮定が間違っているのだろうか。たぬきの置物であることも、置き場所についても。そうするとより足がかりがなくなってしまう。会長のやることだから(十中八九会長の仕業だと決めつけている)意味があるとは思うのだが。

 時間が経ち自動的にロックがかかったスマホを解除し、再び希望が送ってくれた画像を睨めつけた。特別教室はいずれも席が五〇個。たぬきが絡む暗号といえば平仮名が鍵になっている。なるほど、席と平仮名の表が対応しているのかもしれない。平仮名の表はヤ行とワ行が歯抜けになっているから完全一致はしないが、置き場所と照らし合わせる価値はありそうだ。

 どの四隅を「あ」に対応させるか四通り試して得られた文字を並べ替えると……「まぬけ」。

「ク……」

 スーッと歯と歯の間から鋭く息を吐き出し、悪態をなんとか押さえつけた。必死に考えた結果がこれか。わたしの貴重な時間を割いてまで、会長が伝えたかったのはこんなメッセージだと思うと脱力してしまう。しばらく会長の顔も見たくない。でないと罵詈雑言を投げつけてしまう。

 しばらくぼーっと机の上の本を眺めていた。ほぼ一筆書きできる抽象的な人のようなものが書かれている表紙だ。それでいて内容に沿ったイラストになっていて、このシリーズは好きだ。なかにはピンとこないのもあるが。

 脳の弛緩が大事だと思う。ひらめきというやつには。たぬきが置かれていた場所は他にもある。ここ、文芸部の部室だ。このことはわたししか知らない情報だ。会長が仕組んでいるのであれば、この事実を除外することは絶対にできない。

 ただ、この部屋は席が五〇個以上あり、平仮名との対応はさせられない。それに、一文字加えて別の文字にはなり得ない。つまり、「まぬけ」は明らかなミスリードということか。

 部室に置かれたたぬきだけを考えることにする。会長はなんと言っていた? 他を抜くから縁起がいい。その後会長はなにをした? 興味もないのに本棚から本を選ばせた。

 本棚に目をやる。頭文字が「た」は谷崎潤一郎の卍だけだ。「た」を抜けばいい、本棚から。

 そう結論づけて本を棚から出すと、一枚の紙が抜け落ちた。拾い上げて埃を軽く払った。よくあるルーズリーフが二つ折りにされていて、中身を読んでわたしの推測が正しかったのを確信した。中身は、「夕方六時に三年五組に」。

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