2-3
またも移動だ。会長の言うように生徒会室から文芸部への移動は煩わしいと思い始めていた。会長はよく文芸部に来る気になるものだ。
落とし主を特定したことで会長の足取りはどこか軽い。特定したのはわたしだというのに。
製菓研に辿り着くと、焦げ臭さはもうなかった。ここに来るのがもう少し遅かったら落とし主の特定はできなかったかもしれない。
「お邪魔しまあす」
会長は中の様子を伺うでもなく、わたしに目配せするでもなく、一人でずかずかと入っていった。
たった一人の部員は驚き、目を丸くさせながら、
「王野さん、どうしたの」
「坂戸さん、これあなたの?」
会長には様子を見るとかいう言葉を知らないらしい。いきなり物事を進めて、違っていたらどうする気なのか。
坂戸さんと呼ばれた女子生徒は息を呑み、
「そ、そう。よく分かったね。てか、中身読んだ?」
「うん。ごめん読んじゃった」
特定したのはわたしなのだが、会長はそのことに触れもしない。手柄を自分の物にするつもりだろうか。まあいいけど。
ようやくラブレターの持ち主である坂戸さんを観察することができた。髪は両肩のあたりで二つ結びにしている。目が大きく見えるのは付け睫毛の効果だろうか。唇もリップクリームのお陰かキラキラしていて、色も白い肌と似合っている。可愛い部類に入りそうだ。
話し方から会長と同じ三年生だとは分かるが、どれくらい仲がいいのかが見て取れなかった。
会長と坂戸さんのやりとりを聞いていると地味な印象は受けない。むしろ明るく、この人もきっとスクールカースト上位に位置しているように見える。
ラブレターから受ける印象で落とし主を探そうとしていたが、総じて間違っていたことになる。あらぬ人にラブレターを渡さなくてよかった、とそっと胸を撫で下ろした。
「なにか作ってたの?」
会長がそれとなく話の方向性を修正し、坂戸さんは、「クッキー。焼きながらそれを書いてたら焦がしちゃって参ったよ」
それ、とはつまりラブレターのことだ。
「そっか。でも、手紙は思いがけなかったな。連絡先やSNSアカウントだって知ってるでしょ?」
「知ってるけどさ、こういうのはやっぱり面と向かいあいたいというか、文字だけだと味気ないなと思って。クッキーと一緒に渡して、自分で言葉にしたほうが伝わると思わない?」
会長は首肯して、
「テクノロジーの進化でこの先どう変化するか分からないけど、今はそうかもね」
ここでもわたしの推測は間違っていた。今時手紙を書く場合、から端を発して繰り広げたが、坂戸さんは「手書きのほうが想いが伝わる」と考えている人だった。
オーブンがちん、と軽い音を発した。坂戸さんがゆっくりとオーブンから焼きたてのクッキーを取り出した。バターの甘い匂いがぶわっと広がり、この場が一気に華やかになった気がした。
「よかった、間に合った。急いで作り直した甲斐があったかな」
坂戸さんの言葉にわたしと会長が顔を見合わせると同時に、製菓研の扉が勢いよく開き、「今週も来ちゃったよ!」と騒々しい声が響き渡り、クッキーのいい匂いを消した。
振り返ると青髪がいた。遠目に見ただけだったから当て推量だったが、やはり背は高いようで一九〇近い。顔は、まあ好きな人はいるんじゃないかな。
「もしかして焼きたて? ラッキー!」
スクールカースト上位はどうしてこう声が大きいのか。静かに喋ったらカーストから転落するとでもいうのだろうか。
青髪は手を洗うことなく一枚摘まみ、口に入れハフハフと喘いでいる。
どうやら青髪は製菓研の常連らしい。坂戸さんは来客の時間に合わせいろいろ作っていて、今日はたまたま焦がしたから焦って作り直した、と先ほどの意味を理解した。
「焼きたては一段と美味いね」
坂戸さんは少し頬を赤らめ、しばらくもじもじして恥じらいながら例のラブレターを差し出した。「あの、これ……」
青髪は坂戸さんの様子と手紙から察したものがあったのか、照れくさそうに手紙を受け取りじっくりと読んだ。
「それ、書き途中で。本当はちゃんと書いて渡したかったんだけど、でも、今日言わないと決心が鈍りそうで、あ、手紙は中途半端だけど、わたしの気持ちは本気で」
この流れで告白するとは思っていなかったわたしは完全に退出する機を失していた。会長もそれは同じようで、口をあんぐりと開けている。
そんなわたしたちの様子などお構いなしに事態は進んでいる。青髪は嬉しそうに笑い、坂戸さんははにかむ。空気は完全に青だ。青い春。
会長は白目を剥きそうな勢いの顔をしている。きっと会長から見たわたしも同じ顔をしているはずだ。
これ以上こんな場所にいられない。会長がそっとわたしの近くに来て、「帰ろっか」と耳打ちした。
わたしたちが退出するころには、背後では花が咲き誇っていた。
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