2-2

 階段を上がり五階へ。コの字型校舎の縦棒を渡りきり右へ曲がってしばらく歩いて会長が立ち止まった。

「生徒会室から抜け出して、ここで拾った」

「生徒会室はどこですか」

 会長は信じられないとでも言いたげな目をちょっとだけ向けて、

「一番奥にある。サボ……お花を摘みに行こうとして、件のラブレターを拾ったというわけ」

 軽く首を巡らせ、厄介事発生現場を見回した。何の変哲もない廊下といったところか。廊下の右手は窓があって猫の額のグラウンドが覗ける。風は相変わらず強くてガタガタと窓を揺らしている。どこか開いているのか時折、風が吹き込んできてわたしたちの制服を撫でる。左手には特別教室が並んでいる。クラスで普段使う居室は一つもないため足を踏み入れたことはない。

 風に乗ってか、時折どこかのだれかの声が聞こえてくる。放課後は部室として機能しているようだ。

「ツシマヤマネコだって!」

「いいやエラブオオコウモリですって!」

「コウモリはちょっと、見た目があれじゃん。猫なら可愛い! やっぱりツシマヤマネコだよ!」

「猫なら可愛いから、って発想がもう安易ですよ。コウモリのほうがよっぽど貴重な写真になりますって!」

 なんのやりとりだろうか、と会長を見ると、

「絶滅危惧動物撮影部だね。活動内容は名前の通りで、貴重な写真を撮ることで一旗揚げようって人たちの集まり」

「壮大なビジョンをお持ちで」

「部員の野心に口出しする権利もその気もないけど、膨大な部費を請求してくるのとこっちが提示する部費を納得させる手間は勘弁してほしいかな」

「いくら要求されたんですか」

 文芸部だと一人五〇〇〇円だった。活動内容を聞く限りお金は相当かかりそうだ。かといって実績も無さそうな部活にそれほど予算を割けるとは思えない。

「百万。撮影には移動費、宿泊費、食費、その他諸々がかかるとかなんとか言ってね」

 その額は無茶だと、生徒会でもないわたしにだってすぐ分かる。

「活動理念はバカバカしく聞こえるかもしれないけど、本人達は至って真面目に取り組んでいるのも頭を悩ませてる。その一方で」会長はそう言ってグラウンドに顔を向け、指さした。「サッカー部。少なくない、と言うより最も多くの部費がつぎ込まれている」

 わたしは窓によりグラウンドを見た。グラウンドは緑のネットで四方を囲われている。ボール等が校舎の窓を割らないようにするためだ。グラウンドではサッカー部だけが活動しているようで、他の部は見当たらない。サッカー部は笑顔で蹴鞠のようなことをしている。

「楽しそうですね。強いんですか?」

「全然。しばらく見ていると分かるけど、上手い人は一人もいない。万年一回戦負け」

 会長の言葉をそのまま受け取ってしばらく見物しているとなるほど、下手だ。四回か五回、よくて十回続く程度で動きもぎこちない。

「真面目に練習しているとこを見たこともない。今日だって放課後から三〇分経ってから準備を始めたくらいだし」

 ラブレターの宛先はサッカー部の某さんだったな(名前は忘れた)、と目を凝らすと青髪はすぐに見つかった。他の人より頭一つ身長が高そうで、よく口が動いているからここでも中心人物のようだ。顔の善し悪しはここからだと遠くて判別できない。

「部費の割り当てについて、不服そうですね」

「まあね。部費の申請をするサッカー部はいかにも真面目そうで大きな目標を掲げる。でも実態は真逆の体たらく。一方で絶滅危惧動物撮影部の理念は滑稽だけど部員は実直と言っていい。活動の子細を知れば、どっちを応援するべきかは一目瞭然。でもそうはなっていない。それが不満。わたしは歯がゆく思う」

 会長の神妙な言葉に茶々を入れることはできなかった。よくサボっている割には思うところがあるんだ、と言葉を押し殺した。

「どうしようもないことはいいんだよ。それよりラブレターの落とし主捜索を続けよう」

 わたしは肯いて、廊下をつきあたりに向かって歩きだした。もう少し現場を確認したかった。

 絶滅危惧動物撮影部の隣は美術部で、女子生徒が絵の具のついた刷毛をキャンバスに叩きつけていた。腕を振り上げ、体ごと動かしながら何度も。芸術かストレス解消なのか判断できなかった。あれも己の理念に従う高尚な活動なのだろうか。

 その隣は手芸部で、女子生徒三人が黙々と編み物をしている。

 さらに隣は製菓部、だろうか。調理室で女子生徒が一人、ぼうっと椅子に座っている。待機時間といったところか。微かに焦げ臭さを感じた。これは失敗して傷心、と見た方がよさそうだ。

「よし、もういいでしょう。それ以上行ってはいけない。戻ろう」

 会長の心なしかひそめた声でわたしは我に返った。

「あれだけ現場に拘っていたのに、どうしたんですか」

「これ以上生徒会室に近づくとわたしが捕まってしまう。早く逃げるよ」

 そう言うや否や会長は踵を返し、足早に遠ざかった。

 わたしは肩をすくめ、仕方なくゆっくりと後に続いた。


 文芸部の部室に戻り会長は頬杖をつきながら、

「で、どう? なにか分かった?」

 相変わらず頬にへこみができていない。肉感というものが薄い。

「なんも分かりません」

「わたしは落とし主を結構絞れたと思うけど」

「あの廊下に面している部のだれかってことを言ってますか。えっと……」わたしは指を折りながら、「絶滅危惧動物撮影部、美術部、手芸部、製菓部、生徒会。全校生徒からはかなり減りましたけど」

「そう。その五つの中の部員でしょ、絶対」

「そうですかねえ。全然関係のない人がたまたま落としただけとも考えられますけど。それで会長以外だれも拾わなかった。会長みたいに野次馬根性を持ち合わせていなかったんですよ、きっと」

「結局振り出しに戻ってるじゃん」

 会長の言うとおりだ。進んでいるようで進んでいない。手紙一枚から理論的に導くのも、現場を見て証拠から導くのも、どっちも躓いてしまった。

「手紙なんて落とさないでほしいですね」

 わたしが天を仰いで呟くと、なにかが引っかかった。今確かに、釣り針になにかが。

「なんでラブレターが落ちているんですかね」

「なんでって……」会長が困惑したように、「落としたんでしょ。理由は知らないけど」

「いや、そうではなくて。どうして手紙だけが落ちていたんですか。普通ラブレターなら綺麗に封をしませんか? 手紙だけをはい、と渡しますか? そんなことはしませんよね」

「言われてみるとたしかに」頬杖をついていた会長はそれをやめ、「じゃあ書き途中だったってこと?」

「そうだと思いますよ。本文も便箋の半分くらいまでしか埋まってないですし、これで完成とは思えません。仮にこれで完成ならバランスが悪いですよね。完成の文体であるなら中央に寄せて書くはずです」

「つまり授業中に書いてて、教室に戻るときに落としたってことになるか。すると、今日あの辺の教室を使ったクラスを調べて、最初に想定した人物像と照らし合わせれば、特定できそうかな」

「いや、そんなことはしません。あの辺は特殊な教室しかないですよね。実験や実習で使うような。なので授業中にこっそり書いていたとは思えません」

 会長は首を不思議そうな表情で傾げ、

「じゃあわたしの推測通り、あの廊下に面している部のだれかってこと?」

「そうですね。結果だけを見るとそうなります」

 数学で式が間違っているのに計算間違いで結果答えだけ合っていた、みたいなものだ。悔し紛れに言っているのではなく。

「理論的だとは思う。でもまだ疑問はあるかな。落としたことに気がつかない、なんてあり得る? あの辺は静かだったよね。絶滅危惧動物撮影部はちょっとうるさそうだけど、紙を落とす音で気がつくと思う」

 そこはわたしも少しひっかかったが、

「落としたわけではないんですよ。風で飛ばされたのでしょう」

 今日は風が強い。窓は今でもガタガタ震えている。

「ラブレターを書いている途中で吹き飛ばされてしまった。慌てて拾いに行こうとしたら、たまたまお騒がせな会長が通りかかって先に拾われてしまった。持ち主は恥ずかしくて言い出せなかったのではないでしょうか。幸い、と言っていいのか分かりませんが、ラブレターに名前はまだ書かれていない。今日は縁がなかったと諦めた。そんなストーリーじゃないですか」

 一息に喋りきり、短く息を切った。これなら自然な流れのはずだ。

「なるほどね。でも、肝心な点が解決できていない。つまり落とし主はだれか、だけど」

「ラブレターが廊下に飛んでいって、ということは、廊下に面した扉と窓を同時に開けていたことになりますよね」

「風の通り道ができて吹き飛ばされたわけだし、そうなるね。でもそんなことをわざわざする……あ!」

 会長がなにか思い出したように短く叫んだ。

「会長がラブレターを拾ったとき、焦げ臭くなかったですか? さっき行ったときも微かに焦げ臭さが残ってましたし、会長が拾ったときならなおさらだったのでは?」

「そう! 焦げ臭かった!」

 まったく、大事なことは委細漏らさず話してほしいものだ。まあ、関係あるとは思えない事柄だしむりもないのだが。

「落とし主は匂いに耐えられなくて換気をするべく窓と扉を開けた。ものが焦げたということは火を使う部活ですね。あの辺で火を使っているのは、製菓研です」

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