第二話 ラブレター落とし主捜索事件
1
文芸部の部室は静かで好きだ。まさに本を読むための空間と言っていい。きっと書く人にとっても理想の環境かもしれない。部員はわたし一人で、今もわたししかいないから静かなのは当然なのだが。
ただ、今日はあまり静かではない。今朝からの強風が原因だ。お陰で窓はガタガタと鳴り、どこかに隙間があるのかビュービューと下手な口笛みたいな音が絶えずしている。
読むことの集中力が切れたわたしはカフカの変身をそっと閉じた。たまに乱暴に閉じる人や折り目を付ける人、片手読みをする人がいるが好きじゃない。そんな扱いをしたら痛んでしまう。
カフカを手に取ったのは目に付いたからだ。薄くてすぐ読めそうだし、読書家ぶれるかな、なんて下らない考えもあった。
ため息をついた。だれに聞かれるわけでもないのに自然と小さくなってしまった。
一ページに文字がぎっちり詰まっていて目がちかちかしてきてしまった。一文は長いし、なにを言いたいのか吟味しないといけない箇所があったりと読み進めるのに苦労している。
これは何日かに分けてゆっくりじっくりと体を文章に浸さないと楽しめない文学だと諦め、「帰るか」と独りごちて立ち上がった。
「ちょっと待った!」
威勢のいい声と同時に入ってきたのは生徒会長、王野玲奈だった。今日も陶器のような白い肌をしている。見た目は麗しいと同性のわたしからみても強くそう思う。
どう対応するのが正解だろうか。どうせ面倒事を持ち込んできたに違いない、とわたしの第六感が告げていた。無視して帰りたかったが、逡巡している隙に会長は机を挟みわたしの前にどかりと座り込んだ。
「今無視して帰ろうとしたでしょ」
「まさか。会長にいや、人にそんなことするわけないじゃないですか」
わたしはこの人を会長と呼んでいる。王野先輩、だと距離が近すぎる気がするからだ。好きでも嫌いでもない無関心でいたい。
「まあいいけどさ。ちょっとお願い事があってね」
「今日はもう帰るのでここ閉めますよ。お疲れ様でした」
「お願い事っていうのはね」
会長にはわたしの話を聞く気はないようだ。このまま帰ろうとしてもどうせむだなことは火を見るより明らかだ。帰ることを諦めて、椅子に深く腰掛けた。
「生徒会の仕事をサボ……ちょっと休憩しようと思ってここに来ようとしたの」
サボるなんて生徒会長失格ですね、ここに来ようとする理由も分かりません。茶々を入れたかったが長引くだけなので黙って聞くことにする。わたしにも分別が付く。
「ここって不便な場所にあるよね。生徒会室から遠いし、途中で挫折しそうになっちゃった」
校舎はコの字型をしていて、六階建てだ。文芸部の部室は五階、コの書き始めに位置している。不便かと言われるとわたしはそうでもない。わたしの教室の真上に位置しているからだ。ちなみに生徒会室の場所は知らないから会長の不便さは分からない。
「不便ってことは他のメンバーはわざわざ探しにこないだろうから見つかりにくくていいかなとか思いながら歩いてたら、とんでもない物を拾っちゃて」
会長はいかにも、気になるでしょと言いたげな表情を浮かべた。わたしはしかたなく目で先を促した。
「ラブレターです!」
会長がさっと件のラブレターを机の上に置いた。
会長がずっと左腕を後ろに隠していたのは気がついていた。お願い事に関係するだろうからあえて触れなかったが、悪い予感が当たってしまったようだ。
仕方なく目を落とした。大きさはB5で、薄い水色。十行程度の罫線が引かれているだけのシンプルな便箋だ。どぎついピンク色のハートや可愛らしいイラストもないのが好感を持てる。
「で、どこがラブレターなんですか」
「読んでよ。読めば一目瞭然だから」
さっきまで虫になってしまった男の話を読んでいたのに、今は現代っ子の恋文か。
さらっと流し読みをした。そこにはおおよそ想像できる内容しか書いていなかった。某くんへ、で始まり、いつからどんなところが好きかを細い綺麗な字で書いてあった。あまり人様のラブレターを事細かに読むものではない、と適当に自分に言い訳して、
「読みました。確かにラブレターですね」
「これを落とした人は今頃困ってると思うんだよね。名前こそ書いていないけど、いつだれに拾われて、読まれてしまうか気が気でないはず。一世一代の決心も無駄になってしまう。生徒会長としてそれは見逃せないわけ。そこでこっそりと落とし主に返したいと」
斜め読みだったから気がつかなかったが、宛名はあるが差出人の名前が書いていない。それに便箋の半分ほどしか埋まっていない。ラブレターをしたためたのに、半分しか書かないってことはないはずだ。するとこれは書きかけなわけか。
「言いたいことは分かりますが、差出人にとって今日は縁がなかった、ということにしませんか。落とし主には書き直してもらって後日告白でもしてもらえばいいかと」
「最初はそう思ったけど、じゃあ手元にあるラブレターはどうするの。まさか捨てちゃうの? そんな人の想いを無碍にできる人じゃないでしょ、わたしも宇田見さんも」
これもまた正論だ。人の尊厳と言ってしまうと大袈裟かもしれないが、気持ちを踏み躙るようにも思えてしまう。
「さあ、一緒に落とし主を探そうか」
会長の表情は明らかに楽しんでいる。正論を武器にすればわたしの協力を得られると思っている。反発したいが、正論を振りかざされている以上こちらとしては打つ手がない。
わたしは大袈裟に空気を吸い込み吐き出した。少しは気分が落ち着いてきた。
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