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「確かめるってどうやってですか。担当教師――骸骨先生でしたっけ――が厳重に保管してるんじゃないですか」

 呆れたように言うわたしを会長は意に介さず、「問題ない。骸骨先生は回収した答案を自席の机に無造作に置いている。これは何度も目にしているし、他の教師からどこかに仕舞うように注意されても一向に改善されないから、今も置いてあるはず」

「職員室なんて教師がいっぱいいるのに、どうやって解答を確認できるんですか。まさかとは思いますが、今回のカンニングと同じ手法を使うなんて言い出しませんよね」

 まさか、と言わんばかりに会長は肩をすくめた。「他の教師から見咎められることはないかな。骸骨先生の机は三方に本がうずたかく積まれていて、パーテーションの役割をしているから」

 パーテーション代わりになるくらい積まれた本が想像できなかった。机が狭くなってまともに仕事できないだろうし、地震とかあって崩れたら怖そうだ。

「他の先生から見られる可能性が低いとしましょう。ちょっと信じられないですけど。でも骸骨先生本人はどうするんですか。本人がいない場合、わたしたちは用もなく職員室に入ってきた怪しい人じゃないですか」

 そのことも考慮済みだ、と言わんばかりに会長は堂々と作戦を告げた。「むろん骸骨先生がいるときに行く。それでわたしが注意を引きつけるから、その隙に宇田見さんが確認して」

「引きつけるってどうやってですか」

「宇田見さんは骸骨先生を普通の人と思っているようだけど、それは外れ。あの先生は自分が興味のあることにしか関心を払えないし、興味のあることならずーっとその話をしている変な人なの。授業中は板書しかしないので一度だって生徒側を向かない。ただ、一部の人からは分かりやすいって評判でカルト的人気を誇っている」

 つまり会長が骸骨先生の興味関心を引く囮役になってくれるわけか。本当にそんな方法で上手くいくかは分からないし、失敗のリスクのほうが高そうだ。それでも会長の気が済むならこの提案に乗るべきだろう。仮に失敗しても会長のせいにすればいい。

 わたしが渋々肯くと会長はわたしの手を取って職員室へ向かった。


「失礼しまあす」

 会長の間延びした挨拶に続いてわたしも小さく挨拶してから職員室に入った。

 迷いなく進んでいく会長の後に続いていくと、そこだけ本が高く積まれていて城壁と見まがうかのような光景があった。天井近くまで積まれている程ではないが、なるほどパーテーションの代わりになるくらいには積まれている。

「が、骨谷先生」

 会長が一瞬あだ名で呼んだ。

 骸骨先生は猫背で、なにか熱心に机の上の本を読んでいる。数学関連の書籍のようだが内容までは分からない。

 会長の呼びかけに顔だけをこちらに向けた。年齢不詳の女性で、その顔は肉付きというものがまるでなく頬骨が張っていて、教科書とかで見たことある頭蓋骨を想起させる風貌だった。よく見ると、半袖から覗く腕も細く、骨と皮ばかりだ。これでは骸骨先生と呼ばれるのもむりはない。目に精気がなくわたしたちに興味を一切持っていないこともうかがわれた。

「えっと、きみは、たしか、あっと……」

「王野玲奈、生徒会長ですよ」

「ああ、どうりで見たことがあると思ったよ。人の名前と顔を一致させるのが苦手でね。王野さんね。二年生だったかな」

「三年生ですよ。生徒会長なんだから」

 失礼ながら痴呆なのではないだろうか、とすら疑いたくなるようなやりとりだった。生徒会長を知らなかったのはわたしも同じだからとやかく言うことはできないが。

「それでなにか用かな」

 骸骨先生は一刻も早く自分の世界に戻りたいようで、すでにわたしたちのことを疎ましく思い始めているようだ。

「はい。今日の数学の試験中に大音量の目覚ましが鳴りまして」

「それは聞いているよ」骸骨先生は会長の説明を遮った。「たぶん生徒がカンニング用に仕掛けたんだろう。それ以外は考えにくいからね」

「だったら話が早いですね。犯人を……」

「そんなものはどうでもいいよ」骸骨先生が再び遮った。ただ今回はちょっといらだたしそうに。「だれそれが不正をしたってわたしの知ったことではない。好きにさせておけばいい」

 とても教師の言動とは思えないが、この無関心具合は嫌いではない。会長もこれくらい無関心であればわたしは今頃こんな面倒事に巻き込まれていなかったはずなわけで。

「そうですか。ところで、骨谷先生の採点機械に興味がありまして」

 会長の急な方向転換を意に介さず、骸骨先生の表情がわずかにほころんだ。

「おお、あれに興味を持つ生徒がいるなんて。理系教師ですら興味なさそうにわたしの話を聞いていたというのに。感心したよ。君は逸材だ」

 骸骨先生はのっそりと立ち上がり背中を向けて歩きだした。

「この隙に確認して」

 会長はそう言い残すと骸骨先生の後に続いた。

「実物をみたことはある? ないのか。せっかくだから見ていきなさい。仕組みも説明してあげるよ」

 わたしは素早く周りを確認してから骸骨先生の椅子に腰を下ろした。これで他の教師からは死角になる、と思う。

「電子工作が昔から好きなんだ。趣味が高じて自前でマークシートの自動採点機械を作ってしまったよ。いちいち汚い字を読む必要がなくて、みんなの採点業務が一気に削減できてね。仕事が楽になった」

 骸骨先生の説明が長々と続いている。会長の相槌は聞こえないから、おそらく喋るのに任せているのだろう。

「十年くらい前だったかな。ちょっとした臨時収入があってね、それで電子工作用の基板を買い揃えたんだ。これがなかなか高くてね。素人に価値は分からないだろうけど」

 わたしは骸骨先生の机を見た。マークシートは右斜め端に積まれていて追いやられていた。会長のクラスは三年一組と道中に聞いた。几帳面そうな性格だから、上から順に一組、二組、となっていてかつ出席番号順になっているだろう、というのが会長の見立てだ。

 一番上を確認するとたしかに三年一組一番となっていて、数枚確認すると会長の推測が正しそうだ。犯人と思われる生徒の出席番号は二五、二六だから……。

 解答用紙を見て喝采を叫ばずにはいられなかった。この二枚の塗り方は同じだ。パラパラ漫画の要領でめくっていったら違和感を覚えること間違いなしだろう。それまでなめらかに動いていた絵がほんのわずかだけ止まるのだから。

 満足そうな骸骨先生とぐったりした様子の会長が戻ってきた。その頃にはわたしは椅子に座りながらスマホをいじっていた。答案用紙を見ていた、なんて夢にも思われないはずだ。いや、怪しまれたとしても骸骨先生なら気にもとめない。

 骸骨先生にお礼を言って職員室を出た。文芸部部室に戻るや否や会長は、「で、どうだった? 宇田見さんの推測通りだった?」

 わたしが肯くと、「さすが、わたしが見込んだだけはある。後日お礼をする」

「いや、いらないです」

 もう二度とここに来ないことが最大級のお礼です、と言いたかったが失礼なのでやめた。ここに来ないで貰えれば安心してブリッジに興じることができる。

「今日のところはこれをあげる」

 会長が差し出したのはガムシロップだった。これをマックスコーヒーに入れろ、ということだろうか。

 こればかりは本当に要らないが、会長はわたしに押しつけ、部室を後にした。


 それから三日後、わたしと希望を含むいつものメンバーでブリッジをするために文芸部の部室に集まった。

 今回はわたしから三人を誘った。三人は会長に見つかった事件を気にしてすっかり萎縮して乗り気でなかったが、多少強引に集めた。というのも、会長がお礼をしたいから、とこの日時とメンバーを指定してきたのだ。わたしはともかく、この三人を含める意図が分からないが、無碍にするのも悪いと思いこうして今に至る。

「早速やろうか」

 全員が定位置についてわたしが提案すると、三人は入り口を気にしつつも肯いた。

 トランプを机の物入れから取り出し、「あれ?」と疑問の声を上げた。

「新しくなってる。だれか買い換えた?」

 三人とも首を横に振った。当然わたしでもないとなると、これは会長が執拗に言っていたお礼とやらだろうか。

 少しだけ気味悪がる三人に説明することなく、わたしはトランプをシャッフルし配り始めた。シュリンクはなかったが新品だ。気配りが上手なことで。

 新品だから切りにくいことこの上ないし、投げるように配るとするすると滑ってすぐに机から落ちて行方不明になりそうで怖い。

 回が進むと三人も熱中し始めた。突如新しくなったトランプはもうだれも気にとめていない。かく言うわたしも頭のエンジンがかかってきたところだ。少しずつ熱を帯び、それが顔全体に広がっていくのを感じる。やはり賭けてこそのゲームだ。

 わたしの集中力は突如開いた扉に遮られた。それは三人も同じだったようで、弛緩した空気が流れた。

「今日もやっているね」

 入ってきたのは会長だった。三人は顔を見合わせ、慌ててトランプをお金の上に伏せた。動きが怪しくてバレバレで憐れみすら感じさせた。

「続けて。そのトランプはわたしからのプレゼントだから」

 三人はきょとんとして、「いいのかな」「いいんじゃないかな」「会長公認ってことかな」とひそひそ相談をしてから、おずおずとトランプを手に取った。

 再開後しばらくはおっかなびっくり進めていたが、会長は見ているだけで口出しをしてこないことが分かってからの熱中具合は普段通りだった。

 ただ、わたしだけは少し違った。会長のお礼だという新品のトランプが言わんとしていることをわたしはすぐに分かった。

 会長はまだわたしのイカサマを疑っている。

 わたしがボロボロのトランプを使ってマークドしている、と会長は鬼の首を取ったかのように突きつけた。そこで新品のトランプならそのイカサマを封じることができると考えたわけだ。

 それは半分正解で半分不正解だ。テストなら五〇点。たしかにわたしは一枚一枚を覚えていた。微かな欠け、ちょっとした折れ具合、汚れの付着などなど。そこまで正しい。だが。

 ゲームは進む。今回希望とペアで、わたしたちは順調に十円玉を積み上げていった。

 半分は不正解だ。なぜなら、会話からカードを読み切れるからだ。ブリッジは極限まで運の要素を排除しているからこそできる芸当だ。マークドなんてほぼ意味がない。九九・九パーセントの確信を一〇〇パーセントにするための要素でしかない。

 わたしたちは圧勝した。

 顔を歪める会長にわたしは勝利の笑顔を振りまいた。

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