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「気分転換しようか。お詫びになにか飲み物を買ってきてあげる。なにがいい?」

 会長の奢りだろうしどうせなら高い物を、と考えたが結局いつも好んで飲んでいるお茶にした。五〇〇ミリリットルで一〇〇円と、校内の飲み物はコンビニとかと比べると格安だ。

 会長はさっと立ち上がりすたすたと部室を出て行った。

 こういう場合は後輩のわたしが積極的に買いに行くべきなのだろうか。もしくは一緒に行くべきだったか。今までまともに上下関係というものを経験してこなかったからよく分からない。まあいいかと頭を振った。会長のわがままに付き合ってあげているのだ、罰は当たらない。

 頭の機能を停止していると会長が戻ってきた。わずかに息を切らしているから急いだようだ。買い出し中にわたしが妙案を思い浮かべるとでも思ったのであれば大間違いだ。

 差し出されたペットボトルをお礼を言ってから受け取ると、それは頼んだお茶ではなく、マックスコーヒーだった。見ると会長も同じ物を手にしていた。

「あの、お茶を頼んだつもりなんですが」

「頭を使ったんだから糖分が必要でしょ。奢りだから飲んで」

 こっちの話なんか聞きやしないのは分かっていたはずだ。目くじらを立てるほどではない。ましてやわたしの懐が痛むわけでもない。そうだが……。

 はい、と言われて手渡されたペットボトルのラベルをしばらく呆けたように見つめることしかできなかった。

 正直この甘ったるさがあまり好きになれない。高校の自販機で初めて見かけて買ったが舌が溶けそうになる甘さにうっとなって以来口にしていなかった。義理で一口飲むが、それで十分だった。

 会長は三回喉を鳴らして飲むと、「物足りないなあ」と言ってスカートのポケットからガムシロップを四つ取り出した。

 なにをする気だろうかと思うと同時に意図を察した。自分の考えに、いやまさかと否定したが、そのまさかだった。

 取り出したガムシロップを立て続けにペットボトルの口から注ぎ込んだ。味を想像するだけで塩気のあるお煎餅でも食べたくなってくる。

 ガムシロップを四つ入れ終わった会長は一度蓋を閉めて攪拌してから再度二、三口飲んだ。

「うん、これこれ。これくらいしないとね」

 わたしの呆れたような視線に気がつかないのか、会長は一人で満足げに笑っている。ガムシロップを直接飲んでいるのと変わらないのだし、ガムシロップだけ飲んで生活していればいいのに。

「宇田見さんも脳に糖分を補給できたよね。続きをやろうか」

「続きもなにも、もう考え尽くしましたよ」

「それは糖分が足りてないんだよ」会長はわたしが一口しか飲んでいないペットボトルを見やった。「もっと飲んで。なんならまだガムシロップあるよ。要る?」

 要るわけないだろ。また義理で渋々一口飲んだ。やはり好きになれない。お茶を所望したのに、こんなものを渡されても……。

 今なにかを思いついた気がしたが、すぐに雲散霧消した。マックスコーヒーの過剰な糖分のお陰でなにか閃いたのだろうか。

 わたしの雰囲気が変わったのか会長はいぶかしげに「どうしたの」と不審な目を向けてきた。

 わたしはそれに応えず考え込んだ。脳に靄がかかっているような気分だ。一つ一つの水滴を集めれば水になる。砂漠ではそうやって水分を確保する生物がいると聞いたことがある。それと同じようにアイデアを形にしていく……。

「カンニングと聞くと、他人の解答やカンニングペーパーを見て自分の解答用紙に書く行為をイメージしがちですよね」いつの間にか閉じていたらしい目をゆっくりと開けて、会長を見据えた。「それ以外にも方法はありますよね。例えば、答案を埋めた解答用紙を手渡す、とか。会長がわたしペットボトルを渡したみたいに」

 会長はしばらくわたしの言葉を咀嚼しているようだった。

「音が鳴る。みんなの視線と意識が出所に一瞬で向く。体ごと向ける人も中にはいるかな。……なるほど、振り向いた際に答案用紙を渡せばいいのか。それならできそうだね」

「納得してもらえたならなによりです。それと、紙を持って振り向く際に変な音が少しするかもしれませんが、たぶん音でごまかせるでしょう」

「とすると犯人は二人組というわけか。ここから割り出せる?」そう言って会長は先ほどの教室の模式図に目を落とした。つられてわたしも目線をやる。「理屈は分かったけど、実際にできるかは別問題だと思うなあ。答案用紙を渡す動きが、振り向くだけにしては少し不自然に見えるし」

「わたしも同意見です。なので音源から対角、つまり最も遠い位置、ならだれかに見られる可能性は極力排除できると思います」

 わたしは紙のある一点を指さした。音源の対角線上、教室の一番前左端の二席。この二人が犯人だ。

「わたしの説を裏付けるように、数学が得意な人が前、そのすぐ後ろは数学が苦手な人、となっています」

「この二人は仲がよかったはず。一年生のときから席が前後でよく一緒にいる。だいたい決まりかな」

「だいたい、というと気になる点がまだありますか」

 会長は指をそっと紙の真ん中あたりに添えた。見ると数学の得意な人の左斜め後ろに苦手な人がいる。「位置関係を考えるとこの二人だって……」

 わたしは即座に否定しようとしたが会長は、「違うなんでもない。音がしたらみんな一斉に右を向くはずか。左斜め後ろには渡せない。なにより真ん中の位置だと周りの目があるからむりか」

 自分で納得して自分で解決してくれてなにより。

「まだ気になるのは、犯人はマークシートを二枚塗らないといけないことかな。試験監督からすると明らかに不自然だし」

「答えの導出は問題用紙でやっているでしょうから、埋めた解答用紙だけを渡した後に二枚目を塗りつぶしたのでしょう。塗るだけなら時間もそんなにかからないでしょうし、試験監督からも怪しまれないと思いますよ」

「なるほどね」

 さて、これでわたしは晴れてお役御免なわけだ。矛盾のなさそうな説明が付けられてすっきりした。むりやり巻き込まれた形とはいえ、犯人と犯行方法が分からなかったのでは目覚めが悪い。晴れ晴れした気分を害すように会長は言った。

「で、証拠はあるの?」

 その台詞は追い詰められた犯人が苦し紛れに言う言葉で、それこそが犯人であることの証拠と言えなくもない。つまり、犯人は会長だった。そんなわけはないか。

「ないですよ。全てわたしの妄想です。愉快犯の可能性だってまだ残ってます」

「証拠も見つけ出さないと、推理は完成しないと思うけど、どうかな」

 勘弁してください、と喉元までせり上がってきたがグッと堪えた。どうせこちらは脅されている身だ。選択肢はなく、考えることでしかここから脱出できない。

 証拠と言うには大袈裟だから、わたしの推測を補強してくれる材料、程度と言うに留めたい。それは割合簡単に調べられる。

「実際の答案用紙を調べればおそらく分かるかと。犯人のうち一人が二枚のマークシートを塗っています。塗り方にも特徴があるでしょう。色の濃淡とか。これは使っているシャーペンの芯と力の入れ方に依存するので、二枚と同じ塗り方は存在しません。あとはマークの潰し方とか。正確に円の中を塗る人や少しはみ出してしまう人なんかがいるでしょう。つまり、連続した二枚の筆跡ならぬ塗跡が一致するマークシートがあれば確たる証拠になるかと」

「宇田見さんは頭の回転が速いね。すぐに説得力のある根拠を提示してくれる」

 本来なら褒められて悪い気はしないが、今回ばかりはそうはいかない。これはつまり。

「じゃあ確かめに行こうか」

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