第24話:決戦前夜

 部屋に、炊きたての白米の甘い香りが満ちている。


 コンテストを明日に控え、俺は最後の調整、カーボアップを行っていた。数日間の過酷なカーボカット(糖質制限)を経て、身体に炭水化物を叩き込む作業だ。

 白米、餅、干し芋。普段なら考えられない量の糖質が、枯渇した筋肉にグリコーゲンとして満たされていく。


 姿見の前に立ち、ゆっくりとポーズをとる。


 フロントリラックス。


 筋肉がみるみるうちに張りを取り戻し、皮膚がはち切れんばかりのパンプ感に満たされていくのが分かった。

 鏡に映っているのは、数ヶ月前のひ弱な俺とは似ても似つかない、別人だった。深く刻まれた腹筋の溝、鎧のように発達した胸と肩。これまでの努力が、確かにこの身体に刻み込まれている。


 ピコン、とスマホが鳴った。親友の健太からだ。


『明日、応援行くからな!会社の女子も何人か連れてくぜ!お前の最高の身体、見せつけてやれよ!』


「ったく、余計なことを……」


 口では悪態をつきながらも、自然と口元が緩む。


『ありがとう。お前がいなかったら、俺、ここまで来れなかったよ』


 素直な気持ちを返信した。絶望の淵にいた俺を、無理やりジムに連れ出してくれたのは、紛れもない彼だったのだから。


 ポージングの最終チェックを入念に行う。

 サイドチェスト、バックダブルバイセップス……。

 一つ一つのポーズをとるたびに、梓さんと二人三脚で練習した日々が蘇る。

「もっと胸を張って!」「肩甲骨を寄せる意識で!」「笑顔を忘れないでください!」

 厳しくも的確な彼女の叱咤激励が、今の俺を作ってくれた。


 夜、最後のコンディションチェックをしてもらうため、ジムへ向かった。

 営業時間はとうに過ぎているのに、梓さんは俺のために残って待っていてくれた。


「……完璧です」


 俺の身体を隅々までチェックした梓さんは、満足そうに微笑んだ。


「あとはもう、ステージの上で楽しむだけですね。自信を持ってください」


「はい」


 俺は頷くと、真剣な表情で梓さんを見つめ返した。


「梓さん」


「はい」


「ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございました」


 心の底からの感謝だった。彼女がいなければ、俺は今も、薄暗い部屋で膝を抱えていたかもしれない。


「明日、俺の最高の姿を見ててください。あなたのために、最高のステージにしますから」


 それは、単なるトレーナーとクライアントの関係を超えた、一人の男としての誓いだった。

 梓さんは一瞬、驚いたように大きく目を見開いた。だが、すぐにその表情は力強いものへと変わる。


「はい。期待しています」


 彼女は真っ直ぐに俺の目を見て、はっきりとそう言った。


「優斗さんの最高のステージ、この目に焼き付けますから」


 言葉は少ない。けれど、その視線だけで、お互いの想いが通じ合った気がした。

 静かで、しかし確かな熱を持った時間が、俺たちの間に流れていく。


 ジムからの帰り道、ひんやりとした夜風が火照った身体に心地よかった。

 決戦を前にした緊張感と、梓さんへの想いで、胸が張り裂けそうなくらいに高鳴っていた。


 明日。


 このコンテストという大きな目標を乗り越えたら。


 その時は、この気持ちを、ちゃんと伝えよう。


 夜空に浮かぶ月を見上げながら、俺は固く、そう心に誓った。

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