フォボフォビア(恐怖症恐怖症)6話
…ここは、どこだろうか?
ぼやけた視界だったものが、揺られた水面が徐々に静寂を取り戻し、元の水面に戻り゙、像を反射するように、朧げながら、私の目の前にひとつの景色を作り出していく。
…夜だ。
夜に、なんの変哲もない歩道を歩いている。
身体は私の意思とは関係なく前へ、前へと動く。
退くこと、後ろを振り向くことを知らないようだ。
足を前に、豪快に踏み込んで、軽やかに歩いている。
ご機嫌だ。
身体のことは身体に任せ、正反対な冷静な思考を働かせ、状況を把握するため、見えている視界から情報を集める。
身体が相変わらず、ぐわんぐわん進むので、酔いそうになる。
ただ、その頭さえ揺れることを気にしない歩みのおかげで、一瞬だが行き交う上下の景色を把握することが出来た。
まず、上には、いくつもの小さい光が見えた。
それらが横一列に一定間隔で吊るされている。
あれは、提灯だ。
大した高さではないのに、私の視界からは遠く見えることから、今の私は幼稚園児か小学生の低学年くらいだろうか。
道理で、こんなにご機嫌なわけだ。
そして、ご機嫌な理由は、もうひとつある。
それは、手に握られている、おもちゃの景品群。
ヨーヨーを弾ませるために、わざと豪快に踏み込んでいたのだ。
上の提灯と合わせて推測すると、近くで祭りがあり、そこの屋台でゲットしたのだろう。
おそらく、今見ているものは夢なのだろうけど、やけに膝にあたるヨーヨーや、夜風の感覚が生々しい。
周りの光景、小さい身体が変に良く馴染む。
身体が覚えているというのが正しそうだ。
過去の記憶を夢の中で追体験しているのだろう。
眠りに就く前、何かしらの懐かしい感覚を覚えながら目を閉じたことは覚えている。
それが、他の昔の記憶にも影響を及ぼしているのだろうか?
祭り。
思い出せるだろうか?
祭りに行った記憶なんて、片方の指で数えられるくらいしかない気がする。
もちろん、楽しい記憶なんて、今、思い出せていない時点で、さらに無いに等しい。
その認識に反して、今、追体験している私の身体は楽しそうに跳ねているので、その記憶さえ当てにならないかもしれないが…。
実際は、私は、昔から今のような性格なのではなく、どこにでもいるような、日常に泣いて笑えるような、そんな子供だったのではないだろうか。
何故、わざわざ、その頃の記憶を夢で見ているのかわからない。
頭を巡らせ、唯一思い出せた祭り関係の記憶は、引っ越した直後にあった祭りくらい。
新しい土地で暮らしていくのだから、近所の土地勘の把握にちょうど良いと、家族と足を運んだのだ。
確か、引っ越し祝いみたいな感じで、その夜は我儘を言っても、いつもより聞いてくれて、沢山の屋台を回り、景品を満足するまで獲ったはずだ。
両手に溢れている景品群からも、その日の帰りで間違いなさそうだ。
いつの日の記憶かは把握できたが、やっぱり、何故その記憶を追体験しているのかがわからない。
夢なのだから、選ばれる基準なんて曖昧で、特に意味はないと言われればそれまでなのかもしれないが、このままご機嫌に家に帰って、明日、明後日と過ごしていくわけではないだろう。
何かで目覚めるはず。
その何かがわからない。
この道が、今の私に関係しているとでもいうのか。
頭の中は、良くない予感で、今すぐ引き返したいのに、相変わらず、どんどん前へ進む。
提灯が綺麗なのか、子供特有の不注意さで、上ばかり見ている。
…これから、交通事故にでも遭うのだろうか…。
そんな記憶はない。
ぶつかった衝撃で記憶に障害が出て、その時のことを忘れているとか?
いや、別に身体に大きい傷が残ってるわけでもない。
なら、違う…。
一体、何が起こるのか。
…今になって、一声も発せない状況に不安が募ってきた…。
すると
…!
いきなり、身体が止まった。
首を上に向けたまま、ピタリと動かない。
何故、止まったのか、思考は一向に理解出来ない。
向いている方向に、何か答えがあるはずだ。
……?
何かが、見える。
……。
…あれは…?
ほとんど見分けのつかない、夜空の暗闇の中で何かが動いている。
黒いもの。
…カラスだ…。
カラスが電線に止まっている。
それを眺めていたらしい。
…身体が、今までにない反応を見せている。
足を一歩、後ろに下げた。
おそらく、この当時の私は、あれがカラスだとわかっていない。
もちろん、カラス自体は知ってるだろう。
だが、夜に見るのは初めてなのだろう。
得体のしれないものとして映っている。
…この反応は、今の私が一番、嫌っているもの…。
…恐怖だ。
思考は断じて違う。
今だって、冷静沈着だ。
幻覚は現れない。
私の頭が、当時の私と一致していたら、幻覚が見えて、この気持ち悪い感覚は消えていたのだろうか。
一致しない。
身体が怯えている。
勝手に息が荒くなり、心臓が速くなる。
抗いようがない。
こんなことはない。
こんなに、鼓動が収まらなかったことはない…!
…幻覚は、いつ見える…!
…はぁ…はぁ…はぁ!…はぁ!
普段は、すぐに感覚が消えるから、大したことのない恐怖でも、体感は走ったあとのように酸素が薄く感じる。
時間が長く感じる。
でも、しゃがめない。
身を守れない。
…違う!
私じゃない!
私は、カラスなんか怖いはずない!
子供の私が怖がってるだけ!
バサッ
…カラスが飛んだ。
私は、いや、子供の頃の私は、その行方を目で追った。
すると、今まで気付かなかったあるものが目に飛び込んできた。
私が立っているすぐそば、右側に神社があった。
真っ暗で、使われていなそうだ。
境内に巣があるのか、その暗闇に一直線にカラスは消えていった。
ブワッと汗をかくのを感じる。
あぁ、こっちが本番だった。
今では、手に取るように当時の私の心境がわかる。
当時の私は、その暗闇に、先ほどのカラスとは比べものにならない、尋常じゃない恐怖を感じた。
暗闇を認識した私は、コンマ数秒で握っていたヨーヨー、景品群を地面にぶち撒けて、後ろへと逃げ出した。
後ろには家族がいる。
家族に抱きつく。
頬を擦り付け、鼻水がついても気にしない程、強く隙間なく、顔全体を擦り付けた。
そして、縋るような目で顔を覗きこんだ。
助かると思った。
…それだ。
…それだった。
その時の家族の表情だった。
…その顔は眉が下がり、ただ何も出来ないと、わからないと訴えかけていた…。
その顔は、他人に感じた。
家族は、私の後ろをゆっくりと着いてきていた。
大人が提灯なんかに気を取られるわけがないのだ。
こんな夜空の中、空と同じ色のカラスになんか気付くわけないのだ。
鳴きもしなかったのだから。
いたことも知らないのだから、飛んで行った先も知るはずがない。
暗闇の神社なんて背景のひとつにしか過ぎない。
ご機嫌に先へ先へ行っていた子供が、いきなり景品を放り投げ、駆け戻り、抱きついてきたところで、何が何だかわからないのだ。
あと、少し待てば、頭ぐらいは撫でてもらえたのかもしれないが、もう、私には、その反応だけで諦めるに充分だった。
麗とは、違う、私自身が恐怖を他人に見せることの無価値さを学んだのだ。
確かこの後、そっと離れて、一定の距離を取りながら、景品も拾わずに前をとぼとぼ歩いて家まで帰った。
家族が代わりに、景品を拾い家まで持って帰ったが、それ以来、私が景品に触ることはなかった。
人を簡単に恨めるくらい純粋だったのだ。
それ以来、一人でパズルをするようになったのだ。
意識がまた落ちていくのを感じた。
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