フォボフォビア(恐怖症恐怖症)7話
目を開ける。
…あぁ、また暗闇が広がっている。
目が覚めたのだ。
さっき見た夢のせいで、やるせない気持ちになって、ごろんと寝返りを打つ。
「…?」
すると、目の前に布の壁が立ちはだかった。
…床の感覚もおかしい。
ベッドで寝たっけ?
何か違和感を感じる。
頭部は柔らかく、それ以外は床みたいに硬い。
枕…?
じゃあ、目の前のは?
ひとまず、触ればわかるだろうか。
重く乗らない気分を、押し込んで、謎の布を触ろうとする。
「…起きた?」
「……はっ!」
「ぐっ…!」
上の方から声が聞こえた瞬間、朧げだった眠る寸前の記憶が鮮明にフラッシュバックして、動かそうとした腕を跳ね除ける勢いで、目の前の布の壁、もとい麗の腹に向かって、チョップをお見舞いしてしまった。
上から苦しむ声が聞こえたが、私はチョップの勢いで、片膝を立てて起き上がる。
「…私は…目覚まし時計か…!」
「…なら、少し遅いわね。お目覚めの後に鳴るなんて…。」
「…痛た…糸が早起きなんだよ…。」
「どこがよ、真っ暗じゃない。勝手に膝枕してる方が悪いわ。」
「…良いって言ったじゃん。」
「覚えてないわ。」
私が寝ている間も、明かりはつけなかったのか、部屋は相変わらず真っ暗なままで、さらに言えば暗さを増している。
窓の外を見れば、もっと時間が経っていることは明白だった。
…どれくらい寝ていたのだろう。
「今、何時かわかる?」
「…ちょっと待って…。」
麗はお腹をさすりながら、スマホを取り出して、時刻の画面をこちらに向けてくる。
画面には19時と表示されていた。
どうやら、夢と現実では、かなり時間経過に差があったらしい。
「なんで、帰らなかったの?」
「…さぁ、なんでだろ?」
「…いや、違うわね。私が寝てたからよね…。玄関の鍵開かないんじゃ帰る手段ないし…起こしてくれて良かったのよ?」
「…そうだよね…。」
「えぇ…今日は、もう遅いし、ひとまず帰って…。」
さっきの夢が頭から離れず、とてもじゃないが誰かといたい気分ではない…。
「…あぁ、えっと…。」
「?」
麗は帰る支度もせず、髪をいじりながら、口ごもっている。
そんな態度になる意味がわからない。
「…何か、私、口ごもるような変なこと言った?」
「!えっと!…違う、糸のせいじゃない!」
…確か、フォビアについての話しを持ちかける時も、同じように口ごもっていたなと思い出す。
「また、何かあるの?」
「…覚えてない?」
「…なにが?」
疑問に疑問で返すと、麗は、やっぱり覚えてないよね、と頬を掻きながらヘラヘラした。
「眠る前に、話したいことあるって言ったんだけど…。」
「…覚えてないわね。」
…嘘だ、さっき鮮明にフラッシュバックした時に、その一連の流れも思い出している。
ただ、まともに考えて返答していなかったので、なしになれば有難かった。
「とにかく、今日は遅いから帰って、明日にでも…。」
「…それも、なんだけどさ…駅まで着いてきてくれない?」
「は?」
「…外も暗いし…ほら!学校からそのまま来たから、あんまり道も覚えてない!頭も使ったし!」
…確かに、外は思ったより暗くなっている。把握出来てない道を一人で帰るのは危険かもしれない。
…それに、さっきの夢の影響か、一人で暗い街を歩くというのは、とても寂しいことのように感じた。
「…わかったわ。」
今日の成果、麗はニクトフォビアではない。
昼の明かりのついてない部屋だけなら、ともかく、私が寝ている間も、移動して明かりをつけなかった。
私は、慣れているが、真っ暗な部屋で何もせず座っているだけなのは、ニクトフォビアじゃなくても多少の恐怖は感じるだろう。
その状況で動かなかった、それでもう、疑いようはない。
もしかすると、麗は、かなり肝が据わっている方なのかもしれない。
怪談のひとつやふたつ聞かせれば、結果は変わっただろうか…それは粗探しと変わらない。
何よりも、さっきの夢で、幼少期の話しではあるが私自身が、暗闇に恐怖したことがあるという目を背けたい事実を知ってしまった。
そんな人間が、どんなに疑いをかけても、滑稽でしかない。
でも、まだ他のフォビアの線は消えたわけではない。
どうにかして、他のフォビアも試していかなければならない。
…そのために、いろんなところを回る必要さえあると考えると、不本意に青春に参加している気がする。
色々、思考は巡るが、今は麗のためにも、はやく駅まで向かった方が良さそうだ。
「…はやく、忘れ物はない?」
「大丈夫!」
ドアノブを捻り、廊下へ出る。
「…階段、気を付けて…。」
階段は昼とは打って変わって、慣れていなければ一段先さえ見えないような深淵に変わっていた。
「…糸、これ見えるの?…さすがに暗すぎるって…。」
…仕方ない。
「…手握って。」
「良いの…?」
「今度は、頭から突っ込まれたら困るもの。」
「…ありがとう。」
麗の方は見ないで、手だけ、そちらへ向ける。
「…え?」
「…うわ!なに!?」
あと少しで手を握るところで、いきなり視界が眩しさに包まれた。
明かりがついたのだ。
ずっと暗闇にいたから、目が慣れるまで、時間がかかり、目を何回も瞬きさせ、軽い耳鳴りに耐えながら、慣れてくるのを待つ。
「…っまぶしい…糸、大丈夫?」
「…えぇ、麗よりは慣れてるわ…。いつも、こうなるから…。」
「…それって、どういう…。」
何回も経験しているというのに、慣れない身体を恨む。
「降りれば、わかるわ。…手は握らなくて良いわね?」
「…だ、大丈夫…。」
下で鉢合わせになるだろう人物に、少し気が重くなるが、これ以上暗くなっても困るので気にせず降りる。
階段から、玄関を覗くと、やはりいた。
「おかえり…お母さん。」
「…ただいま…明かりくらい、つけなさいよ。」
「…うん。」
一瞬、こちらを見たあと、視線をすぐに下に戻し、靴を揃えている。
「…お父さんも、あと少しで帰ってくるから…いつでも、ご飯食べれるようにしときなさい…。」
「…うん。」
「…そっちの子は、友達?」
「…うん、覚えてる?昔、仲良かった、麗…。」
「…そうね。」
「…うん。」
「……。」
「…駅まで送っていくから。」
「…わかったわ…。」
お母さんは、それだけ言葉を残して、さっさとリビングへと去っていった。
それをしばらく見届けて。
「…行こう、麗。」
「…う、うん。」
靴を履いて、外へ出る。
外はすっかり夜だが、春の緩やかな生暖かさや、風が道路の端で咲いている桜をゆっくり着実に揺らしている様が、体感の寒さを軽減し、特に着込まず出てきたことに後悔を感じさせない。
特に何もしていないのに、束の間の休息のようにも感じる。
人通りが少ないからか、時々横を通る自転車の音がやけに耳に残る。
駅へ近付けば、人通り、車通りも多くなるのだろう。
「さっきの、糸のお母さん?」
「…えぇ。」
「昔、会ったことなかったけど、なんというか、顔は似てないね?」
「…顔は?」
「性格は似てそうだったけど。」
「…そう。」
「お父さん似?」
「…どっちにも、似てないわよ。」
「…覚えてるか聴いてたけど、子供の頃は私の話しとかしてたの…?」
「…そうなんじゃない?」
「…そっか。」
「……。」
「ねぇ、駅着くまでの間、言ってた話しして良い。」
「…そうね、その方が効率が良さそうだし。」
「良し!…それじゃあ話すけど、今度さ、一緒に遊園地行かない?」
「は?」
「今日、見せたホームページのところ!」
…あれは、私をからかうためではなく、誘うために開いていたのか。
…人が説明している時に、何をしているのか…。
誘われたところすまないが、行く気はない。
「お化け屋敷、ジェットコースター、観覧車とか他にも色々あるよ?」
「…!」
麗が挙げたものでピンと来る。
…そうだ、よくよく考えれば、遊園地というのはフォビアを暴くにはもってこいの施設なのではないか?
慎重に考える必要はあるが、今挙げたものだけでも、高所恐怖症、つまりアクロフォビアは少なくとも確かめることが出来る。
案外、日常の延長線上では、検証が難しいフォビアも、まとめて検証出来るかもしれない。
それで、怖がらなければ疑いをかけなくて良くなるくらいには。
私だって、ずっと宙吊りは嫌だ。
はやく決着をつけたい。
…これは、飛び込んでみるべきだ。
きっと、目的は隠した方が良い。
「…わかったわ。今日、色々疑ったお詫びよ?」
「本当!?…ありがとう!」
「…えぇ、駅まで暇だし、予定でも決めましょう?」
「…うん!」
さほど、駅まで距離があるわけではないが、私達は乗るアトラクションや日程を話し合いながら駅へ向かった。
「…良し、案外ほとんど固まったね。」
私の方の目的がハッキリしているからか、駅に着いた頃には、ある程度の予定が出来上がった。
「…まぁ、今日はここまでね。」
「あと少しなのに……そうだ、糸はPINEやってる?」
「…パイン?…フルーツ…?」
麗が、また私の知らないものを聞いてきた。
「知らないの!?」
「…え、えぇ…。」
今日一、驚かれた気がする。
そんなに、メジャーな何かなのだろうか?
「さすがに知ってると思ってたよ…。」
「…で、なんなの?」
「メールとか電話できるアプリだよ?…全員、持ってると思ってたよ…。家族とは、どうしてたの?」
「わざわざ、連絡なんてとらないわ。」
「…う〜ん、まぁ、すぐインストールできるから、良ければ貸して?登録するから!」
「じゃあ、頼むわ。」
麗にスマホを渡し、登録が完了するまでの間、周りを見渡す。
道中は、人通りは少なかったが、さすが駅というべきか。
この程度の時間では、全然賑わっている。
彼ら、彼女らも、全員漏れず、フォビアを持っている。
それは、どこでもだ。
学校でも同じ。
唯一、私が、それを克服せず関係を持てそうなのは、目の前の麗ただ一人。
でも、まだ信じるにははやい。
今、やってることだって、麗が関わっていける人間か判断するために必要な一歩にしか過ぎない。
もし、無理だったなら、麗も、駅の改札へ吸い込まれ消えていく、その他大勢のように私の前から姿を消すのだろうか。
その時、私は、どうなるのだろうか。
私の息に混じり、とても小さな別の息が、一瞬、空気に混ざり゙消えた気がした。
「…はい、出来たよ!」
「…え?…あぁ、ありがとう…。」
登録が完了したみたいで、スマホが返ってくる。
「…どうかした?」
「…なんでもない。」
「?…そっか、じゃあ私、帰るから!わざわざ着いてきてくれてありがとう!…また連絡するから見てね!」
そう言って、麗は急ぎ足で、人混みの中へ消えていった。
その後、私は家族とご飯を食べ、風呂に入り、ひと通りのことを済ませ、今度は明かりをつけ自室へ戻った。
すると
「…あ。」
自室の床には、すっかり忘れていたが、部屋を出ていった状況のままで、途中まで完成した花畑のパズルと残りのピースが一箇所に集まって、放置されていた。
全く変わってない。
「…やっぱり、やらなかったのね。」
予想通りといえば、予想通りだが、麗に軽口をたたき、横を素通りし、ベッドへと向かう。
いっそ、今から一人で再開して完成させようか、もしくは、バラして棚にしまってしまうかと考えたが、手に持ったスマホが振動したので、パズルのことは明日にまわし、おとなしく麗からのメッセージを確認することにした。
その夜は、フォビアは息を潜めていた。
フォビアガールズ はららご @hararago
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