フォボフォビア(恐怖症恐怖症)4話

「……。」

座り込んで、しばらく様子を見る。

麗からの動きはないようなので、気にすることをやめて、使いたいように時間を使うことにする。

使いたいようにといっても、学校で溜まった疲れ、主に麗が原因だが、それを少しでも取り除こうと頭をベッドへと預け、しばらく目を閉じることくらいだ。

麗の暗闇に対する反応を窺わないといけないが、さっきから色々な思考が頭を巡り、まずは少しでも休みたかった。

それに、こちらが冷静にならなければ、気付けるものだって気付けないだろう。

少し休憩や整理のために時間を使ったところで、暗闇は逃げるものじゃない。

むしろ、夕方になればなるほど濃くなっていく。

…なにも焦らなくて良い。

なのに、ずっと、どこか焦っているような気がする。

意識すればする程、さらにその感覚が頭から離れなくなる。

「…はぁー。」

ため息が出る。

本当に、落ち着かないと駄目だ。

怒りなのか、滞りへの不満なのか頭の何処かがヒリヒリする。

緊張感さえ伴ってくる。

翻弄されている。

冷静になれ。

麗のことは二の次だ。

『…、…、………』

「…?」

…隙間風だろうか。

どこかしらの隙間を通った風が、切れるように吹く音が聞こえる。

いや、吹くような音かもしれない。

辺りを見渡して、訂正する。

窓は閉じていて、風が入ってくるような場所はない。

それに隙間風なら、外で吹いている風自体が強いのだから、ヒューヒューやゴーゴーと建物にあたる音くらい聞こえるはずだ。

『…、…、…、…』

それにもっと、感覚が短く、一定のリズムの繰り返しだ。

なら、風の可能性は低い。

現に私には、それの正体に思い当たるものがあった。

なら、認めたくないがそれだろう。

それが何か認識すると同時に、嫌悪感がひろがる。

一息ついたからこそ、意識してしまったのだ。

隙を与えてしまった。

『…、…、…、…はぁ…、…はぁ、…はぁ、』

この音は、呼吸だ。

それも過呼吸に近い、普段より大きく、耳障りな、恐怖を象徴するような人間の反応だ。

誰かが実際に、この場で呼吸を荒らげているわけではない。

麗ではない。

もちろん、私でもない。

感覚でわかる。

『…はぁ……はぁ…、はぁ…』

これは、今日の学校と同じで、また幻覚。

こんな些細な感情の動きで…。

口の中を噛む。

『…はぁ…、!…はぁ…!、はぁ…!』

息は大きくなっている。

まるでホラー映画のひとつの見せ場のようだ。

私は、変わらずベッドにもたれ、リラックスしているはずなのに、物陰に隠れて、脅威が去るのを待っているよう。

でも、この脅威は私の前に姿を現さない。

ホラー映画ではなく、私自身の、何回も経験している、この現象、世界中で広まった新しい恐怖症のかたち、フォビアが起こす幻覚でのお約束だ。

この現象は、決して私を殺そうとはしないし、私自身を怖がらせるためのものじゃない。

むしろ逆で、脳が刺激や恐怖を察知して起こる逆流の像。

私の脳が起こしたものだから、脅威を与えるのではなく、脅威を知らせるのだ。

対処法だって理解してる。

呼吸が聞こえるくらいなら、少し意識を逸らせばすぐに消える。

別に、この程度、大したことじゃない。

私が、怖がってることにはならない。

ただ、神経症のように気に障り、鬱陶しいだけ。

「…すぅー…。」

一息、大きく吸って目を閉じる。

「…。」

口の端を、いつもより力を込めて、閉ざす。

「……。」

眉間に皺を寄せ、額辺りに意識を集める。

「………。」

しばらく、頭の中の思考さえ、あまり働かさないように心掛ける。

その流れを繰り返しながら、出来るだけ表情も表に出さないことも心掛ける。

『…はぁ…!…はぁ…!……はぁ…、……、…、……。』

…消えた?

『…………』

…消えた。

「糸、大丈夫?」

「…!」

耳元で声がした。

麗が、真横に移動していた。

気分を落ち着かせた直後なのだから、心臓に悪い。

「…大丈夫…だけど。」

「いや、大丈夫には見えなかったから声かけたんだけど…。学校でも寝てたし、もしかして体調悪かったのかなって…。」

どうやら、こちらの方が逐一見られてるらしい。

「…疲れてないと言ったら嘘になるけど。でも、体調が悪いわけじゃないから。…それに、家はくつろぐところでしょ?」

「そうだけど、休んでるというより、うなされてる感じだったから…。」

「…大丈夫って言ってる…。」

距離を置く。

布が擦れる音で気付かれただろうか。

悪気があるわけではない。

「…何か迷惑かけてたりしたら言ってね…?」

そう言って、遠慮がちに、床に置かれた私の手の上に、手を重ねてきた。

体温に反応して、身体が震えた。

無意識なのか、さっき髪をたくし上げるふりをして距離をとったことに気付いているのかわからないが、どちらにせよ、手を重ねられて、動作が封じられ、同じように逃げることは出来ない。

ここから距離をとろうとすると、少し力付くになる。

「…外の空気、吸うから。」

「ぇ?…あぁ…。」

構わない。気にしない。

理由をつけて、力を込めてでも、半ば強引に腕を引き抜くことにした。

立ち上がって、その場から離れる口実も忘れず。

窓はカーテンごと閉じているというのに、近づけば、部屋を舞っている微小の埃が、漏れた光に照らされて目視で確認できる。

前は、いつ掃除しただろうか。

思い出せない。

今度は思い出せないことが気がかりになってしまいそうだ。

今は、どんな些細なことでも頭の隅に溜まり、苛立つ感覚を紛らわせないものへと変えてしまう。

差す光や、青空だって、肌を撫でられているようで、やけに気に障る。

心象と一致しない、私なんか関係なしとでも言いたげな快晴は、こんなにも疎外感を生むものなのか。

あちらから見たら、明暗のコントラストが映えるのだろう。

開けるか開けないか躊躇するが、空気を吸うと言ってしまったのだから仕方ない。

気だるい腕で、鍵を外し窓を開ける。

カチャッと心地よい音はせず、建付けが悪いキィーーッと間延びした、何処かの名探偵アニメのCM前みたいな音がした。

くだらないな。

呆れて曲がった鼻に、外からの風が乗る。

なんてことはない、帰り道に浴びていたのと同じ風だ。

でも、やけに開放感が沁みる。

部屋が水中だったように、深海魚の展示スペースだったように、暗さ、息苦しさから解き放たれる。

「良い風ー…。」

振り返ると、麗が立ち上がりながら、猫のように背筋を伸ばして、CMにありそうなフレーズを言っていた。

どこかありきたりな風景なようで、案外、脅威ではないような気がして、日常を取り戻したような気がした。

そんな感覚に慌てて首を振って、無理にも黄昏れてみる。

「どう?落ち着いた?」

…また横にくる。

「…うん。」

「なら、良かったけど、窓開けて良かったの?光、完全に入り込んでるけど…。」

「……。」

キィーーッと音がして、今度はバタンとなった。

「あ、閉めた。」

CMより短かった。

座って、立って、窓を開けて、閉めて。

自分の部屋なのに、麗に主導権を奪われて、ちょこまかしているだけ。

このままでは駄目だ。

軽い気晴らしでは、すぐ尽きる。

何かに集中しないと、振り回される時間が続くだけだ。

この状況を変えれるものは部屋にあるか?

確かに時間を使うのに、とっておきな物はないわけではない。

なら、今はそれで良い。それしか思いつかない無趣味な自分を恨む。

趣味は、あまり他人に見せたくはないのに…。

移動して、教科書程度しか並んでいない、シンプルな棚の一番下の段から、目当てのものを取り出す。

「なになに?」

麗が、子供のように覗きこんでくる。

万人が楽しめるかはわからないが、少なくとも私は楽しめるものだ。

「…パズル。」

「へぇ~、家にあるのはじめて見た。好きなの?」

「比較的…、他にもいくつか種類あるし、全部、ひと通りやった。」

好きなのかはわからないけど、外の情報を遮断して遊べるものは私にはパズルくらいしかない。

勝ち負けも、ゲームオーバーもない。

ルールもない。

完成だけを目指す。

数少ない一人で出来る遊び。

頭も都合良く、疲れてくれる。

都合の良い遊び。

好きとは、あまり言いたくない。

「昔から好きだったの?私と遊んでた時から?」

「だから、好きではないって。そんなにじゃない…。パズルで遊ぶようになったのは、後…。」

「うんうん!」

「……。」

何に納得したのか、腕を組んで自慢でもするように頷いている。

上機嫌だ。

「…何?」

「いやぁ、友達の新しい一面を知れるのは、良いことだなって。」

「麗はパズルは、別に、好きじゃないでしょ?」

「嫌いではないよ?」

噛み合ってない。

「好きかを聞いてる…。」

「好きではないよ?」

好きも嫌いも、なんてことはないかのように、ケロッとした様子で答えてくる。

普通だ、と言うなら、もう少し躊躇してくれても良いはずだ。

好きではない、ではなく、嫌いではない、と答えたのが本人なりの配慮だったのかもしれないが。

でも、そんなに清々しく答えられたら、二人の間で論点というか、見ているものがずれているのではないかと感じる。

本人は相変わらず、こちらの次の行動に集中しているようで、戸惑いは伝わっていないようだが。

「なんのパズルにするの?」

「…これ。」

いくつかのパズルの中から、目当てのものを見つけ出し引っ張り出す。

一番年季が入っていて、見つけやすい花畑のパズルだ。

「…綺麗…。どこかの名所?」

パッケージを見て、麗が見惚れた様子で聞いてくる。

…そんなに綺麗だろうか。

薄暗い部屋に、青空と黄色の花の目立つ色のパッケージは確かに映えるが、私には、それが絶景かわからない。

観光名所らしいところのパズルは、いくつか持っているが、どれも、その場所に詳しくないし興味はない。

あるものを買っているだけで、まともにパッケージも見ない。

完成させて飾りたいなどは、思ったことがない。

また、バラすだけだ。

「…わからない。」

それでも、このパズルは、一番古いのに、捨てようと思ったこともなく、飽きもせず、どのパズルよりも触れているから、惹かれる何かは私にもあるのかもしれない。

「せっかくなら調べる?糸だけじゃ、そんなことしなそうだし。」

「…どっちでも。」

「わかった。じゃあ、中身出したら、箱だけちょうだい?多分、観光名所なら名前くらい書いてると思うから。」

「もう終わるから、好きにして。」

空のパッケージを渡すと、スマホを取り出して、パッケージと交互に、にらめっこしはじめた麗は放置して、散らばったピースの中のひとつを摘む。

指の間でしばらく転がして、手におさまるいつもの感覚があることを確かめて、端にはめていく。

何回も遊んでいるから、大体のパターンは覚えている。

目当てのピースを触り、掘り出すのは難しいが、見つけてしまえば、ピタッとはまる感覚が心地良いだけだ。

最初が左下の隅をはめたので、従って下からどんどん完成させていけば良い。

これから、どんどん埋まっていく景色を想像すると、何回目でも、やはり胸が高鳴る。

次のピースを取ろうと腕を伸ばすと、先ほどまでなかった何かに手があたった。

「あぁ、あたった?ごめん…調べたけど、該当なしって…。箱には書いてたのに、なくなったとかかな?結構、古いし。」

麗が、持ち上げて眺めていたパッケージを降ろした手があたったようだ。

「そう、別にどっちでも構わなかったけど…。」

また、ピースを一枚摘み、はめる。

「まだあったら、一緒に行きたかったんだけどなー。」

隣から聞こえてきた、ため息をついている落ち込み具合に、私が好きにしてと言わなくても、理由をつけて調べていたのだろうと思う。

「私は、行く気はなかったんだけど。」

「…うん、気にしないで。糸はそういうと思ってたし…。」

「そう…。」

「まぁ、どっちにしろ、ここからは行けないかぁ。」

「…そう、私は行かない。」

「あ、ピースいる?」

一枚取り、こちらへ渡してくる。

「……ありがとう。でも、自分で取るから。」

「えー、それじゃ私がいる意味ないじゃん。共同作業!共同作業!」

そう言いながら、重なったピースの山を手でならしているが、陽気というか呑気というか、無邪気に手元を動かす様子は昔、砂場で向かい合って遊んでいた光景を彷彿とさせる。

そういう仕草を見るたびに、どんな心境で接すれば良いのか、わからなくなる。

少し甘く接してしまいそうで、届いてはいけないものがそこにあるような気がして、居た堪れなくなる。

「別にそれでも良いけど、その…あれは?」

受け取ったピースをまごまごと指先でなぞるように触りながら尋ねる。

「あれって?」

「部屋入る前、聞いてこなかった?…世間話しても良いかって…。」

意地らしい視線になってることは承知で見つめる。

歴は何に反応したのか両目を見開いた後、身を縮こませ首を傾けながら、肩を揺らしくすくすと笑いだした。

「…なに?」

「…ううん。言った、言ったね。」

なんだか、こちらが気恥ずかしくなって、髪を振り払うようにパンパンと整える。

「…でも、正直ないかな…。」

「…なにそれ…。」

軽く耳の横に手を滑らせた後、再びピースを急かすように空の手を麗に向ける。

「…ごめんごめん、次のピースね?」

「…ん。」

滑らせて、できるだけ素早く、受け取ってはめる。

「…ん。」

また、せがむ。

「…ん。」

「………。」

「…ん?」

「………。」

「んーーー。」

いくら待っても、次のピースが来ないので、そのまま麗の方へ腕を伸ばし続けたら、体育座りの脚を突く感じで衝突した。

「ちょっと!次は!?」

ようやく、応答もない方に顔を向けると、さっきとは打って変わって、唇に指を当て悩んだ様子の麗がいた。

「麗?」

「…世間話、…世間話ねぇ……。」

「……?」

仕方ないので、自分でピースを一枚取ると、ジャラッと山が崩れる音に反応して麗の意識が戻ってきた。

「!…ごめん!ちょっと考えごとに夢中で…!」

「…もう、取った。………世間話が、どうしたの?」

無沈着にピースをはめて、腕全体でジェスチャーするように、こちらへと求める。

「ええと!…次のピースだよね!…えっと、は、はい!…あっ。」

急いで、掴んだであろうピースは、麗の手を滑り落ち、床に弾かれ、私の足元近くに転がってきた。

「…違う。」

床に落ちたピースを人差し指で、足の小指にあたるまで引っ張り、掬い上げ、はめる。

そのまま、指を浮かせず、パズルの額縁に付くまで表面をなぞる。

「ん?…違った?……何が?ピース?」

全然隠せてない。

瞬きが明らかに多い。

「…さっきの。世間話が、なに?」

「…それ、は………。」

私が、次のピースをねだる手を出さないことから、話さなければ事態が進まないことは伝わっただろうか。

「…あぁ、えっとね?…世間話ね?…まぁ、話すことは、あるにはあるんだけど…。」

「……。」

「また、同じって言うか…。」

「…文句?」

「……文句って言うか、パーソナルというか…。」

「…話して良いから、私はひたすらパズルしてるから、話題振りは、そっちに任せる…再開。」

そう言って、手を構える。

「う、うん!」

麗は、背筋を伸ばし勢いよく、またひとつピースを手のひらに乗せる。

「…えっと、これは正直、聞いて良いかわかんないんだけど、糸とまた友達として、やっていくには知ってた方が良いと思って。」

はめて、受け取って、はめて。

受け取ることで、無言ながら相手に対して、ピース以外のもの、言葉も受け取る許可を与える。

「糸はさ、フォビアを持ってる人間は嫌だって言ってたけど、それって、どこまでなのかなって。というか、どこまで知ってるのかなって…。」

「どういうこと?」

少し、はめ込む音が大きくなったかもしれない。

「嫌いなら嫌いなりに理由があるじゃん?何で嫌いなのか、背景までは聞くつもりはないよ?…ただ、糸が、どれくらいフォビアについて知っていて、どう思ってるかは、これからのために知ってた方が良いかなって…。私、全然知識ないから教えてよ。」

「…ふーん…。」

ピースをはめた後の指を、ざらざらと触る。

「…はい、次のピース。」

「…うん。」

「…どう、かな?」

受け取ったピースを、親指と人差し指の間に縦に摘み、はめずに眺める。

四方全てに出っ張りがあり、縦に持つには不安定で、力を込めれば、パチンと飛んでいってしまいそうだ。

「…麗は、本当にフォビアないの?」

「…ないって言ったでしょ?」

「…言ってた。」

「だから…!」

「言葉だけなら、いくらでも言えるって私も言った。」

そう、言葉だけでは、薄っぺらい。

いくらでも言いようがあり、重宝される万能なピースの様にもなれるし、特定の人間とだけ繋がれるピースにもなれる。

「…わかってるよ、それは!…だから、わざわざ私を家に招いてくれたんでしょ?…今も、その実験中…。」

「…そう。」

忘れそうだけど、今も麗が本当にフォビアがないのかの検証中。

結論から言うと、麗が暗所恐怖症、ニクトフォビアである可能性は、ほとんどないだろう。

実際、そこまで部屋自体、暗くないが、ニクトフォビアに対しての検証をすると本人に伝えた上で、無反応。

ニクトフォビアなら、暗い部屋自体だけではなく、部屋が暗くなる、暗くするという行為自体に恐れがあるはず。

そのどちらも見る限りないのだから、ニクトフォビアではないのだろうと今はとりあえず考えておく。

最初は怖がっていたが、こう慣れた様子を見せられては、本人の性格の範囲内だと留めるしかない。

もう、これ以上付き合わせる必要もなさそうなら、帰ってもらっても良いが、麗がそれを許さないだろう。

もう、一般的に遊んで帰る時刻まで、時間を潰すには、麗の質問にこたえるしかない。

「…わかった。細かく話していくけど、良い?」

「…うん。」

返事と共に、ピースを受け取り、はめ込んで、一息おいて話し始める。

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