フォボフォビア(恐怖症恐怖症)3話

「ここが、私の家。」

「…そういえば、昔は公園だけで、糸の家には行ったことなかったよね。」

「そうね、その頃とは家が違うけど。」

家の前で軽く会話を済ませ、私は麗に本題を切り出すことにした。

「麗…。」

「…。」

私の家を物憂げに見つめる麗から返事はない。

「…麗?」

「…!あ、ごめん!ボーっとしてた…なんというか、色々変わったんだなって…。」

その通り。

色々と変わったのだ。

…誰のせいで変わったのか。

私は隣で悲しそうな顔をしている私にとっての元凶の横顔をしばらく見つめ、家の扉へと目を逸らした。

ずっと、見つめていると、変わってしまったのは、私のせいだと言われているようで耐えられそうになかったから。

「…ごめん、帰らないとだよね。私の我儘に付き合わせてごめん、一緒に帰れただけでも楽しかった!…駅向かうから…じゃあ、また明日!」

麗は別れの挨拶を告げて、背を向けた。

「待って。」

「え?」

振り返った麗の目元は、太陽の光に照らされた錯覚か、心なしか水分を帯びているように見えた。

先程の懐かしみ悲しむ顔は見間違いじゃなかったらしいけど、別に涙が溜まる程ではないだろうに、少しリアクションが大きい気がする。

そのリアクションの大きさが、あの事態を引き起こしたというのに…。

…色々変わった…。

確かに色々変わったが、リアクションが大きいのは、あの日から変わらない麗の性格かもしれない。

そこが変わっていれば、もしかすると、少しくらいはこちらから歩み寄れたかもしれないのに。

「帰らなくて良いから。」

私は、家の影から動かずに、影の外へ出た麗を呼び止める。

これからもっと、影より暗くなる。

「…家って言ったのは中ってこと…入って良いから…寄って行って。」

麗の顔が、陽に当たり、表情に似合った眩しさが届く。

「…え!良いの?本当に!?」

私の言葉を聞いた麗は、駆け足でこちらに戻ってきて、勢い良く私の手を握った。

すぐに勢い良く、手を握ってくるのは、やめてほしい。

「ありがとう!」

近くで見ても、やっぱり麗の目は水分を帯びていた。

「…えっと…泣く、ほど?」

「ごめん。…今までのことを思うと、その分…。」

「…何かで優勝でもしたの?」

「してないけど…!」

大袈裟だと思いながらも、私は、麗から伝わる少しの陽の暖かさに息を漏らした。

手を握られた一瞬、感じた寒気を見ないふりして。


「…おじゃましまーす。」

どこか緊張した様子で、私の後を着いてくる。

人様の家に入ることは、やはり緊張するのだろうか。

誰かを家に招いたり、招かれることは麗との一件があって以来、一度もないので、気持ちをはかりかねる。

招く側にも、緊張は伴うのかもしれないが、今の私は良い意味での緊張はしていない。

仲良くなりたいという感情で動いていないからかもしれない。

私の思い通りに行くかという不安だけだ。

「私の部屋は2階だから。」

いつもなら、自分の部屋に行くことに時間なんか要しないので、麗を待つ少しの時間にも心の突っかかりを感じる。

「ま、待って!糸!」

出来るだけ早く階段をあがろうとする私に麗がストップをかける。

「…何?」

「…明かりはつけないの?」

「親がいない時は、いつもつけてない。」

「…節約とか?」

「そういうわけじゃない。」

「じゃあ…何で?」

麗が疑問に思うのも当然だとは思う。

部屋についてから、本題を切り出そうと思っていたが、もう話しても良いかもしれない。

「…暗所恐怖症、ニクトフォビアの方がわかりやすいかもしれないけど、知ってる?」

「…うん。有名だと思うけど…。」

麗の返答に軽く頷いて話しを続ける。

「そう。ニクトフォビアは数あるフォビアの中でも有名な方、それにそもそも暗闇に対する恐怖は誰でも少なからずあるわ。」

「…う、うん。」

顔は見えないが、声色で何が言いたいか理解に困ってることくらいは察しがつく。

「私は暗闇は一番身近にある人間が恐怖を感じやすいもののひとつだと思ってる。だから検証というか証明には最適。」

「…証明ってまさか、私が暗闇に怖がらないか、確認するの…?言ったけど私も糸と同じで…。」

「悪いけど、言葉だけじゃ信用出来ないから。」

麗の言葉を遮り続ける。

「家まで案内した目的はこれだし、受け入れてくれたら別に変に驚かせたりしないから、黙ってついてきて。」

「…わかった。」

「……。」

暗い室内で、ふたつの足音が床を進む、軋んだ音だけが響く。

「…糸。」

「何?」

麗が、遅れて登っていた階段を軽く駆け上がり、私の隣に移動してきた。

私を呼ぶ声、足音のひとつひとつから、暗闇に過剰な恐怖を抱いていないか、探ろうと試みる。

多少、歯切れの悪い感じはするが、怯えていると判断するには震えが足りない。

もし、今の麗を、怯えている判定してしまえば、常日頃の私にだって、当てはまる状況はありそうだった。

だから、甘いのかもしれないが不慣れな状況の戸惑いだと判断しておく。

「…世間話くらいはしても良い?」

「…?」

「…いや、黙ってついてきてって言われたから…どうなのかなって。」

「それくらいは…文句じゃないなら。」

相手の感情を分析するなら、会話は欠かせないだろう。

私は、上手い話題振りなど出来ないので、麗から振ってくれるなら、ありがたい。

「そう、ありがとう。」

「……。」

「……。」

「……。」

「…え?話さないの?」

てっきり何か話題を振ってくるのかと待ち構えたが、続いたのは沈黙だけだった。

天気の話しでも何でも、聞くだけならこなせる自信はある。

「…話しは、あるにはあるんだけど…どうなんだろ?…これって文句なのかな…?」

「文句だと思ったなら、文句。」

「…文句でも…言っても良い?」

「……聞くだけ。」

「…うん、じゃあ言うけど……糸って、なんか、いや……かなり冷たくなった?」

「…当たり前。遊んでた時、いつだと思ってるの?誰だって、幼い頃に比べたら冷たくなる。」

聞くだけではなかった。

だが、反応してしまったのは、その内容に私自身、何か思うところがあったからだろう。

「まー、少し言いたいこととは違うけど、それもそうか…。私は?」

「は?」

こっちは、張り詰めた空気で見極めようと努めているのに、そんな空気など関係ないかのように話題を振ってくる。

こちらは、聞くことは認めたが、答えることは認めてない。

ひとつのことに集中したいのに、中々させてくれない。

お陰様で、床を見つめていた瞳が、麗の方へ顔ごと向いてしまう。

「だから、私も冷たくなった?」

「…っ!」

思ったよりも顔が近く、見開かれた瞳と目が合った。

こちらの様子を伺うためのもの、特に暗いのだから、こちらを凝視するのはわかる。

だが、見開かれた瞳からは、やはり、あの公園での出来事がフラッシュバックする。

それに、その質問には、ただの確認だけではなく、私自身への攻撃と疑いに似た感情が含まれている気がした。

二人の繋がりに対する解を求める質問だった。

麗からの、仲良くなるには今のままでは足りないのかという遠回りな確認だった。

固唾を飲む。

咄嗟に、麗が立っている方の腕で髪をたくし上げるようにして、目が合わないようにする。

「…冷たくなってて欲しかった。」

半ば、捨て台詞のように、そう言い放ち、冷や汗を払うかのように駆け足気味で、自室のドアノブに手をかけるところまで一直線に向かう。

「いきなり走らないでよ!……うわ!!」

階段をもう少しで登り終えそうだった麗が、私に着いてこようとして、バランスを崩すのが視界の端に見えた。

いきなり動いて驚かせたのと、暗闇による足もとの視界の悪さが災いした。

「…麗!」

叫んだところで、ドアノブにかけていた手は、そのままドアノブを捻り、麗の方へは伸びなかった。

「…あっぶない!…セーフ…。」

どうにか手すりにつかまり、大事は免れたようだった。

「…はぁ…怖かった…。糸、やっぱり明かりつけない?」

「……つ、つけない…けど、ごめん。」

さすがに罪悪感が働かないわけではない。

「……そっか…。」

「…?」

麗が動こうとしない。

観察するように、こちらをまじまじと見つめてくる。

観察したいのはこちらだ。

「大丈夫、大丈夫。こっちこそ、前言撤回。」

考え込む仕草をやめたと思えば、何かしらの言葉を撤回してきた。

「?…何が?」

「さっき冷たくなったって言っちゃったから…。確かに冷たくはなったけど、今の様子見るに、そこまでじゃなかったなって…。」

「…前言撤回する意味がわからないけど、この短時間のどこで何を見たら、そうなるの?」

麗からの私の評価はなにも、悪くなったわけではなく、些細な変化ではあるが、良いものになったらしい。

素直に受け入れるか、突っかからず流してしまうのがベストだろう。

でも、私にはそれが出来なかった。

麗を観察するスタンスは崩せないし、私にはわかっていた。

麗が階段から落ちそうになった時、ドアノブに手をかけていようがいまいが私は、彼女の方へ腕を伸ばすことは無かったということを。

ドアノブに手をかけていたから、なんて言い訳にしかすぎない。

どこで、撤回しようと思ったか知らないが、今、まさしく私は冷たい人間であることを証明したのだ。

…麗がバランスを崩した瞬間に、捻るために強く握ったドアノブの冷たさが、心臓を冷やすかのように中々離れない。

「…正直、ほっとかれるんじゃないかって…落ちそうになった瞬間によぎってさ、でも…名前は呼んで心配してくれたから。」

「…名前を呼んだだけ。」

「そうだけど、前向きになれた。友達として少しでもやり直せるかもって。」

「…良いふうに捉えすぎ。」

なんだか、これ以上この話しを広げたところで、ただこちらの気が滅入る気しかしなくて、さっさと部屋に入るから

と首とアイコンタクトで示して、本来の目的へ戻る。

いつものように明かりもつけない部屋に入り、ベッドの側に背を丸めて座り込む。

またもや、言葉は発さず、動作のみで近くに適当に座ってとジェスチャーする。

周りに人がいれば、今の私は不貞腐れたように見えるかもしれない。

実際、不貞腐れていた。

麗にも伝わっているのだろうか。

暗闇だから、きっと大丈夫。

首の動きは見えているし、昼過ぎの光が窓から入っているので、完全に視界不全とは言えない。

だが、近づかなければ表情までは読まれないだろう。

一体…何が、暗闇なんだろうか。

改めて見ると、この程度、全然暗闇なんかじゃない。

私は今まで窓から入る光さえ、気にしてなかったというのだろうか。

なんだが、これを暗闇と言っていた私さえ馬鹿馬鹿しく思えてきた。

中途半端だ。

麗を家に招いたのだって、私の意思か定かじゃない。

どこか、胸の中に妥協めいた感覚がへばりついている。

麗に流されている気がする。

思えば、全て麗の思い通りに進んでいないか?

友達になる…いや、まだ、なったわけじゃない。

なったわけじゃないが、少なからずその提案を完璧に否定しなかったから、家までついてきてるわけで、ここまでの道だって、麗が放課後一緒に、どこかへ行きたいと言ったから、仕方なく家に招いた。

上手く使えそうだから、承諾した事実もあるが、結局は麗の頼みをどこかしらで受け入れている。

麗を受け入れた時点で私は、何かを諦めてしまっているのでは?

麗が、この部屋に入ったから、着いてきたから、自分が暗闇と言い張っていたものが暗闇ではなかったことに気付いた。

いや、暗闇じゃなくなった。

私一人なら、どんなに明るかっても暗闇と言い張れた。

いつものように過ごしてた。

誰かがいるから、間違いになる。

正しくはならない。

いつも、間違い側だ。

間違い側だと、わかってるから、浮き彫りになるから、さらに間違いへとひた走った。

藪の中に逃げた。

フォビアが当たり前の世界で、それを否定し続けた。

それは、何よりもわかりやすい間違いへの道だった。

違う。私は間違っていない。

間違っていることがあるのなら、それは恐怖を感じること自体だ。

恐怖を感じることが間違いだと、子供の頃に理解しただろう。

…本当に?

私は何がしたいのだろう。

何を私から遠ざけたいのだろう。

恐怖?麗?それとも他の何か?

わからない。

でも麗は、それの始まりなのは確かだ。

そして今、始まりを私の領域に招いている。

それを意識すると、私の根底が大きく揺さぶられる、そんな感覚があった。

これだけ思考がまとまらないのだって、普段なれないことをしているから、頭が疲れはじめているだけだろう。

そういうことにした。

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