フォボフォビア(恐怖症恐怖症)2話
「……はぁ…。」
机に肘をついて、項垂れる。
いつの間にか、自己紹介の時間は終わり、休み時間が訪れていた。
胸騒ぎはおさまったが、無駄にすり減った体力に何もやる気が起きず、机に突っ伏す。
教室内では、早くも関係作りのため、ほとんどの生徒が席から離れて楽しそうに会話を交わしていた。
耳をすませば、私はなんとかフォビアだとか、中学の友人で同じフォビアの子いる、だとか、何気ない日常会話に、すっかりフォビアというものが馴染んでいる。
意識しなくても、そういう流れから私は孤立しているのもわかる。
フォビア以外に話しの切り口があったとして、その話題をなしにして混ざれそうな雰囲気ではなかった。
名前しか告げなかった私に誰も興味を示すわけもない。
話しかけてくる人もいないし、話しかけるわけでもない。
きっと言わずもがな、私には壁を感じさせる何かがあるのだろう。
何かひとつの共通認識を拒んだ結果として、他も全て芋づる式に崩れていくのは受け入れている。
孤立する状況には慣れているし、そもそも、私と彼女達では相容れないと思っている。
恐怖を否定する私と、恐怖をアイデンティティとして受け入れている彼女達では、関係を築く前提がすれ違っている。
確かに、恐怖は、誰かと分かち合うことで薄めることは出来るのかもしれないけど、根本から消したければ、自分自身で向き合うしかない。
なら、もういっそ認識しなければ良い。
それに、誰かと関係を築こうとすれば、関係の終わりにいた彼女の姿が脳裏をよぎる。
彼女は今も、誰かと繋がりを求めては私を思い出しているのだろうか。
思い出したくもない彼女の声が、声なんか覚えてないから、響きだけが、聞こえてくる。
『…いと?』
私を呼ぶ声が聞こえる。
『いと?』
まただ。
思った以上にさっきので頭に疲労が溜まっているのだろう。
名前を呼ばれるのは、今までの幻聴で初めてだ。
ないはずの声に反応する耳に、自分の精神状態を若干疑う。
「ねぇ、糸!」
「!?」
また、声が聞こえると同時に何者かに後ろから肩を掴まれ、振り向く。
「やっと反応した。久しぶり!覚えてる…?」
振り向いて見えた顔に、呼吸を忘れる。
周りの音なんて耳に入ってこなくなり、五感は目の前のたった一人に向けられる。
「麗だけど…。岸出麗(きしで れい)、引っ越して以来でしょ?」
また、幻覚かと思い、数回瞬きをする。
それでも、目の前の麗と名乗る少女は消えず、何にも恐れる様子もなく笑っているのが何よりも、いつもの幻覚ではない証拠だった。
そもそも成長した彼女の姿を知るわけがないので、幻覚なわけがない。
今までだって、そんなものはなかった。
幼少期の彼女の幻覚も、記憶が薄れると共に、現れなくなり他の人間の幻覚に置き換わっていった。
つまり、引っ越して以来、私の頭に現れるようになった幻覚の張本人が、そこに立っていた。
「…麗。」
「やっぱり聞こえてなかった。さっきの時間ボーっとしてたみたいだったし。」
状況について行けていない私を放って、親しげに話しを続ける麗が頭の中のイメージと一致しない。
私の中の麗は、何かに怯えていた。
私にとって、彼女は恐怖の代名詞だった。
だが、目の前にいる彼女は確かに、一緒に遊んでいた時の明るい面影を残していた。
「やっぱり入学したては緊張するよね…。良かった、疎遠とはいえ顔見知りがいて…。」
「何で、麗が…。」
悪いけれど、相手の話しに反応出来る状況じゃない。
疑問は色んなところから湧いてくるけど、結局は何故ここにいるのかへと繋がり、それさえ上手く言葉にまとまらない。
「何でって、それは……。」
私の表情から混乱が伝わったのか、少し考え込み、麗はようやく私と話しを合わせてくれた。
「…私からしたら、逆に何で糸が?って感じだけど…。あぁ、嬉しいから!そこは誤解しないで?…でも、特に理由とかないんじゃない?たまたま同じ高校に入学したってだけで。」
それはそうだけど、私は麗がいた地元から引っ越したのだ。
高校だって別に地元に近い場所を選んだわけじゃない。
なんなら、私の家のすぐそばを選んだ。
「まぁ、私の地元からは少し遠いし何でってなるかも。私は別にあれから引っ越してないし…。でも、高校から遠くに行くのは別に珍しくないでしょ?私も、まさか糸と再会できるとは考えてもなかったけど、ここの女子校にして良かったよ。」
「…でも。」
「はいはい、そこまで!……糸が引っ越した時に私だって色々言いたかったのに、糸だけ今更、疑問投げかけるのずるいよ?…それより、これからの話しじゃん!」
少し興奮気味なテンションに押される。
確かに…何も言わずに、何も聞かずに逃げ出したのは、自分でもずるいと思ってる。
それなら、私だけつらつらと疑問を並べるのはどうなのだろう。
掘り下げたところで、再会したことには変わらないので、余計な疑問は振り払って、麗の話しに合わせることにする方が良さそうだ。
「これからって?」
「えっと…だから、また友達としてやっていかない?」
「…友達。」
教室にいる何人かで集まり盛り上がっているグループに目をやる。
…友達とは、ああいう感じになろうってことなんだろうか。正直、快く首を縦に振れるわけではない。
群れるのが嫌なわけではない。
ただ、私の中には明確な線引きがある。
「…ちょっと、待って…。」
麗との会話を中断して、しばらく近くのグループを見つめ続ける。
重苦しい気持ちになりながら、答えを検討しようとする。
どれくらい、見つめていたのか。
私の聴覚には、聞こえるはずのない誰かの恐怖に耐える様な息遣いが少しずつ聞こえはじめていた。
…そういえば、麗は自己紹介の時、フォビアを言っていただろうか。
言っていたところで、フォビアだけ覚えていて名前は誰一人頭に入っていないから、判別がつかない。
ただ、フォビアを持っているかが重要だ。
フォビアを持っているなら、私は…。
…幻覚でさえ、悩まされているのに、実体にも悩まさせられるなんて以ての外だ。
「……麗。フォビアはある?」
この返答次第で私は、また麗から離れる。
「…聞いてなかったの?」
心臓の鼓動の代わりのように、どんどんと苦しむ息遣いが大きくなっていく。
「…だから、聞いてる…。」
「…誰だって持ってると思うけど…。糸は言ってなかったけど、あるでしょ?」
「ない!!」
その言葉に、身体が、口が反射的に動く。
「私は、ない!」
グループを怪訝に眺めていた目を、そのまま麗に向ける。
「…凄いね。…そういうケースもあるんだ。でも、糸だって、何かしら…。」
「ない!私は絶対にフォビアなんか、ない!!」
「………。」
麗は、困りきったように、引きつった笑顔を浮かべていた。
「…なんかって…、そこまで酷いものじゃないと思うけど…。」
「私からしたら酷いの…フォビアを持ってる人とは、正直、関わりたくない……それが難しいのはわかってるけど…私は、それをやってきたから…。」
本音を吐くと共に下へと目を伏せたので、完璧には見えはしなかったけど、一瞬、麗の身体が硬直した様に見えた。
でも、それは当たり前だ。
あんな言葉投げかけられて平然と流せる人間なんて、それこそフォビアを持っていない人間くらいだろう。
「…だから、もし麗がフォビアを持ってたら、友達にはなれない…。」
言ってる内容が酷いことくらい私自身、理解してる。
それでも、酷いからって簡単に直せるわけじゃない。
私だって、ある程度は妥協するし、してきたはずだ。
最低限な関わりは持つし、関わらないなら、関わらないなりに迷惑がかからない程度には、いろいろとしてきた。
我儘に聞こえるだろうけど、我儘にならないと、私が危機に直面する。
「………。」
「…麗?」
「…あぁ、いや…思い詰めてるとこ悪いけど、無いよ!私も…無いから、どう声かけようかって迷ってた…!」
「…本当…?」
「うん!だからさ、私と一緒にいようよ!」
「……。」
私からフォビアはないと言っておきながら、疑うのはどうなのかとは思うけど、本当にフォビアがない人間なんて、いるのだろうか。
それこそ私が望んでやまないものだ。
「とにかく、一緒にいようよ!信じられないなら一緒にいればわかると思うから!」
そう言って、麗は半ば無理やりに私の手を掴んできた。
その握られた手から感じた汗や力強さが、あの時をフラッシュバックさせたのは私の気のせいだろうか。
「糸、この後時間ある?」
放課後、と言っても、正午を少し過ぎたあたり、まだ青空が広がっていて、一般的には夕方や夜のような暗闇とは無縁で、寄り道する学生達で溢れるだろう時間帯。
麗は、鞄を背負い、さっさと教室を去ろうとする私に声をかけてきた。
なんとなく、何を言われるか察して、少し嫌な顔をした私を知ってか知らずか、提案を持ちかけてくる。
「せっかくだし、どこか寄り道しない?」
…想像通りだ。
「どこって、どこ?」
「え、いや…まだ考えてないけど、ゲームセンターとかカフェ?無理なら一緒に帰るだけでも…。」
「私の家は、近いけど、麗はただでさえ家まで距離があるんじゃない?もし高校より距離が離れたらどうする気?」
「糸の家がここから近いなら、あんまり変わらない!遠くても着いていくつもりだったし、糸が良いなら一回、糸の家まで着いていく!」
「……。」
頭を搔く。
長年、他人とまともに関わっていないから、納得し辛いことに直面した時の感情の隠し方がわからない。
だが、受け入れられない程ではない。
正直、下手に寄り道するよりは、家にそのまま帰りたい。
麗は着いてくると言っているけれど、道中、面倒なことが起きないのなら、案外着いてくるくらい構わないのかもしれない。
変に断って粘られるのはさらに嫌だ。
それにもしかすると、麗は本当に私が望んでいるフォビアを持たない人間かもしれないのだ。
これは良い機会だ。
私がしている習慣を麗にも体験させたら、きっと、麗の言葉が嘘か本当かわかるはず。
「…わかった。じゃあ、家まで着いてきて。」
「いいの?楽しみだな…。」
「はやく来て。」
「ごめんごめん!」
教室内で立ち止まっている麗を、急かす様に呼びかける。
謝って後ろから駆けてくる麗の腕は、やはり、昔のように握る気にはなれなかった。
一瞬、こちらへ向かって来ているかだけを確認して、すぐ前に向き直り、歩き出す。
後ろから、絶えず着いてくる運動靴の音が響く。
隣、すぐ近くに誰かがいるのは一体いつ以来だろうか。
自分以外の足音の存在に慣れなくて、歩き方がいつもよりぎこちない感じがする。
私の傍にいたのは、誰かの怯える幻覚ばかりで、その幻覚も、決して私に近付かず、私も近付こうとしなかった。
この足音があったりなかったりで恐怖する人間もいるのだろうかと靴箱まで向かう間、少し考えた。
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