第2話 技術局の日常

朝日が窓から差し込んだ。

目を覚ます。見慣れない天井。村の部屋より広く、空気が冷たい。

窓の外には、王都の街並み。白い屋根、青い光、遠くには大魔導塔――昨夜見上げた“神の心臓”が、今も脈打っている。

私は窓辺に立ち、深く息を吸った。

重い。

霊素の濃度が高い。

空気を吸うたび、舌の奥に金属の味。皮膚が微かに痺れる。

魔力の低い私には、この街の濃度がよく分かる。

――これが、王都の空気。

魔法文明の中心。

「今日から、正式に技術局員か……」

小さく呟く。声が、朝の静寂に溶けた。

制服に袖を通す。

生地は厚く、縫製は精密。胸の刺繍――歯車と魔法陣の紋章。

理屈と神秘を無理やり一つにしたような意匠。

鏡に映るのは、十二歳の少女。

だがその目だけは、大人びていた。

「……行こう」

宿舎の廊下は、もう人の気配で満ちていた。

研究員たちがすれ違うたびに挨拶を交わす。

「おはよう、セリアさん」

「あ……おはようございます」

昨日の実演を見た者たちだ。

その視線には、期待と警戒が混じっていた。

石畳の道を歩く。

朝の王都は眩しい。

霊素を含んだ光が、街全体を淡く照らしていた。

商人の声、子どもの笑い声。

それらが魔法の煌めきと混ざり合って、奇妙な調和を作っている。

だが――どこを見ても、魔法。

灯り、車、扉、道。

全てが霊素に依存している。

私の目には、それが“脆さ”に見えた。

やがて、目的の建物が見えた。

王国第一技術局。

白い石の五階建て。

外壁には防御と供給の魔法陣が層を成し、青白い光が脈を打つ。

それ自体が巨大な回路だ。

――魔法に守られた、理屈の牢獄。

深呼吸して、扉を開けた。

内部は静謐で整っていた。

高い天井、磨かれた床、肖像画の列。

歴代局長の名が並ぶ。

彼らが築いたのは、魔法に従う理屈――私は、その逆を行く。

三階の研究室に着いた。

扉には真新しい札。

『セリア・アーデル研究室』。

鍵を差し込み、回す。

扉を開けると、柔らかな光が差し込んだ。

机、工具棚、設計台。すべて新品。

窓際には中庭が見える。そこには――ブラス・ウルフ。

「……おはよう」

思わず声が漏れる。

真鍮色の装甲が朝日に照らされて輝いていた。

村の工房で組み上げた機体。ここでは異物の象徴だ。

机にノートを広げる。

放熱系統、関節潤滑、視界補正――課題は山積みだ。

理屈で積み上げ、理屈で超える。

そう書こうとしたとき――

「すみませんっ!」

勢いよく声が飛び込んできた。

顔を向けると、茶色い髪の少女が立っていた。

年の頃は十六、いや、もう少し若いかもしれない。

制服の袖口は焦げ、指先には油の跡。

研究棟に似合わない、現場の匂いをまとっていた。

「私、ミラ・フォージです!弟子にしてください!」

息を切らしながら、床に膝をついた。

「……弟子?」

私は一瞬、言葉を失った。

机の上には分解途中の制御回路。ハンダの煙がまだ残っている。

このタイミングで誰かが訪ねてくるとは思っていなかった。

「昨日、王都の広場で見ました!あの真鍮色の機体――ブラス・ウルフ!」

彼女の瞳が輝いていた。

「動いた瞬間、思ったんです!魔力なんかなくても、理屈で動くんだって!」

――理屈。

その言葉に、心臓が小さく跳ねた。

「ミラさん、あなたは魔導技術科の……?」

「いえ、違います。どこにも所属してません」

彼女は恥ずかしそうに笑った。

「魔力が、ないんです」

「ない?」

「ゼロなんです!まったく反応しなくて!魔導炉も結界も、私だけ素通りします!」

彼女の声は少し震えていた。

――ゼロ。

リオンの姿が脳裏をよぎった。

「……魔力ゼロの人は、ここじゃ生きられないですね」

数日前、私が馬車の中で言った言葉。

それに、エリス先生は静かに答えていた。

“ごく少数を除いて、見たことがないわ”――と。

まさか、その“ごく少数”とこんなに早く出会うなんて。

私は机から立ち上がった。

「どうして私に?」

「あなたなら、わかってくれると思って」

彼女は拳を握った。

「魔法が使えない私にも、何かできるはずなんです。理屈で、誰かを助けられるって――そう思いました」

胸の奥が静かに熱くなった。

無意識に、頷いていた。

「……いいよ。一緒にやりましょう」

「本当ですか!?」

「でも、“弟子”はやめて。ここでは対等。研究仲間として」

ミラの顔がぱっと明るくなった。

次の瞬間、彼女は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、師匠!」

「……聞いてた?」

「はいっ!」

あまりの勢いに、思わず笑ってしまった。

エリス先生が言っていた“ごく少数”。

もしかしたら、私がここに来た意味は、彼女と出会うためだったのかもしれない。

霊素に縛られない体。

魔法の世界で息苦しくない存在。

――彼女は、次の理屈の鍵だ。

ミラの案内で、技術局を回った。

一階――魔導炉研究室。

青白く輝く球体。直径五メートル。

霊素を圧縮し、魔法陣で安定化させる装置。

だが、構造が複雑すぎる。

あれでは誰にも再現できない。

二階――魔法式設計室。

円と三角と螺旋の密集。

どの術式も、複雑に見えて機能は単純だ。

人は装飾で安心する。だが、効率は落ちる。

三階――試作工房。

金属音。火花。熱。

ここだけは、生きている匂いがした。

油と鉄の香り。村の工房と同じ。

私は自然と笑っていた。

「セリアさん、関節の制御どうしてるんです?」

「油圧と魔導流体の並列です」

気づけば議論が始まっていた。

熱く、理屈だけで通じ合う時間。

――こういう場所なら、生きていける。

昼過ぎ。ミラと資料室に入った。

壁一面の本棚。

『古代魔導機装概論』『霊素理論基礎』『機械式駆動装置研究』……

どれも、知識の塊。

私は一冊を手に取って、呟いた。

「これが、積み上げられた理屈の山……」

ミラが笑う。

「師匠、目が輝いてますよ」

試作工房を抜けた先――格納区画。

天井の高い空間に、銀灰の巨体が三機、整然と並んでいた。

胸の霊素炉が脈動し、青白い光が壁に反射している。

「あれは……?」

「グレイヴナイトです。王国軍の主力マギ・ドライブ」

当然、私は動かせませんけど。なんて言いながら、ミラが誇らしげに答えた。

「魔法炉だけで動く、完全魔力駆動式の機体。搭乗者の魔力量に応じて性能が変わるんです」

セリアは無言で見上げた。

動力炉の脈動に“生気”はなかった。

ただ燃える霊素が、器を無理やり動かしている。

「でも――」ミラが少し顔を曇らせる。

「他の国のマギ・ドライブは、これより出力も反応も上なんです。

 だから局長たちは焦ってるんです、“理屈で差を埋められないか”って」

セリアはしばらく沈黙したあと、ゆっくり口を開いた。

「差を埋めるんじゃない。――“仕組み”から変える」

その瞳の奥に、確かな光が宿っていた。

二人が去ったあと、格納庫には霊素の脈動だけが残った。

静かで、けれどどこか不安定な光だった。

夕暮れ時。

技術局を後にした私は、宿舎の食堂にいた。

長いテーブルに温かな照明。

食器の金属が、微かに反射して光っている。

向かいには、エリス先生。

パンとスープ、焼き魚。

香ばしい匂いが、油と紙の匂いに慣れた鼻にやさしい。

素朴だが、心が満たされる味だった。

「セリア、初日はどうだった?」

「すごく……刺激的でした」

自然と笑みがこぼれた。

ミラとの出会い。

技術局の構造、魔導炉の理屈。

話すたびに、先生は静かに頷いた。

まるで“報告”というより、“確認”のように。

やがて、先生の瞳が少しだけ真剣になる。

「ねえ、話しておきたいことがあるの」

その声のトーンで、空気が変わった。

私はスプーンを置き、背筋を伸ばす。

エリスはゆっくりと語り始めた。

――王都の歴史。

魔法至上主義がすべてを支配していた時代。

ガランがその中で技術革新を試み、教会の圧力で追放されたこと。

理屈は異端で、機械は罪だった。

それでも、彼は止まらなかった。

そして、停滞の果てに起こった“変化”。

十年前、霊素濃度の低下が確認され、

五年前、戦争で王国は初めて敗北した。

「魔法だけでは、国を守れなかったの」

その言葉が、静かに胸に落ちた。

魔法の時代が、終わりを告げている。

理屈の時代が、ようやく顔を出した。

「アルフレッド副局長は、ガランさんの弟子筋よ」

エリスの声が少し柔らかくなった。

「彼が中心になって、技術研究が再開されたの。今の王都は、二つに分かれているわ」

先生の目に、青白い光が映る。

「技術派と、保守派」

「あなたがいる技術局は、もう“異端”じゃない。今や、技術派が多数派なのよ」

スプーンを握った手に力が入った。

喉が熱くなる。

「じゃあ……師匠の研究は……?」

「ええ。正式に再評価されはじめている。今日、私も聞いたばかり」

エリスは微笑んだ。

「あなたのブラス・ウルフが、それを証明したのよ」

視界が少し滲んだ。

長い時間を経て、ようやく。

師匠の“理屈”が届いたのだ。

「……師匠に伝えたいです」

「手紙を書きましょう。きっと喜ぶわ」

二人の間に、しばし静寂が落ちた。

スープの湯気が揺れ、光がそれを透かす。

「でもね、先生」

私は少し俯いた。

「本当は、兵器を作るのがあまり好きじゃないんです」

「……」

「誰かを壊すより、誰かの生活を支えるものを作りたい」

エリスはゆっくりと頷いた。

「分かるわ。でも今は、国が生き残るための戦いの時よ」

その声に、情ではなく理屈があった。

「戦争が終われば、あなたの技術は民の役に立つ。

道路を造り、荷を運び、家を建てる――その全てが、ブラス・ウルフの延長線上にあるの」

私は息を吐いた。

「……無駄じゃない、ですね」

「ええ。どんな形であれ、“作る”という行為は未来を残すものよ」

その言葉が、心にすっと染みた。

熱ではなく、静かな説得力だった。

「それなら、頑張れそうです」

自然と、口元が緩んだ。

「そういえば」

ふと思い出して、私は言った。

「技術局で、“マイケル・ハンセン”という名前を聞きました」

エリスの目が少しだけ細くなる。

「ああ、懐かしいわ。雷系統の魔法技術者ね。古代文明が霊素を人工的に生み出していた可能性を追っていた人」

「ブラス・ウルフの装甲材――オルカニウムが鍵になるって、聞きました」

「そう。彼は“結晶構造が霊素を引き寄せる”と考えていた。まだ仮説だけれど、もしそれが本当なら……」

「霊素枯渇の問題が、解決できるかもしれない」

二人の声が、ほとんど同時に重なった。

沈黙。

灯りの下で、湯気がゆっくりと揺れる。

「セリア」

エリスの声が静かだった。

「あなたの技術は、この国の未来を変えるかもしれない」

「……そんな大きなことを言われると、少し怖いです」

「焦らなくていい。結果で示しましょう」

彼女は杯を傾けた。

「あなたが作るものが本物なら、誰も否定できない。レオナルド局長でさえ」

その名前を聞いた瞬間、私は少し笑ってしまった。

「はい。いつか、納得させてみせます」

二人は再びスープを口に運んだ。

温かな香りが漂い、夜の静けさがゆっくりと戻ってくる。

窓の外では、王都の灯が青白く瞬いていた。

――理屈の時代は、もう始まっている。

夜。部屋に戻り、ノートを開いた。

ミラの笑顔、工房の音、エリスの言葉。

全部を書き留める。

『短期目標:国防技術の確立』

『長期目標:生活インフラの改善』

『最終目的:魔法に頼らない文明の再構築』

ペンが止まる。

窓の外には大魔導塔。

青白い光が、静かに揺れていた。

あの光は永遠ではない。

霊素の枯渇。五十年後、この塔は沈黙するだろう。

「だったら、私が次を作る」

呟いた声が夜に溶けた。

「理屈で、神秘を超えるために」

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