2部

第1話 魔法の都

朝日が王都の白亜の城壁を照らす頃、エリスと私を乗せた馬車は南門へと到達した。

「着いた……」

窓から身を乗り出し、息を呑んだ。

城壁が、聳えている。

高さは二十メートルを優に超える。真っ白な石材が整然と積み上げられ、表面には無数の魔法陣が刻まれている。

青白い光が脈動するように明滅し、壁全体が生きているかのようだ。

門には巨大な双頭の鷲の紋章。エルドリア王国の象徴。その周囲にも複雑な魔法陣が幾重にも配置されている。

前世の知識に当てはめて考えるなら、これは「多重防御システム」だ。物理攻撃を弾き、魔法攻撃を無効化し、侵入者を検知する。

何百年も前に構築されたインフラが、今もなお完全に機能している。

「こんなに大きな街……」

声は、自然と小さくなった。

「私の故郷よ。五年ぶりね」

隣に座るエリスが、懐かしそうに微笑んだ。

彼女の瞳には、複雑な感情が宿っている。喜び、郷愁、そして――わずかな不安。

馬車が門の前で停止した。

門番が近づいてくる。紺色の制服、胸には王国の紋章。腰には剣。引き締まった表情。

御者が召喚状を差し出した。

門番はそれを確認し、顔を上げた。

「セリア・アーデル殿ですね。お待ちしておりました」

その声は丁寧で、敬意が込められている。

辺境の村から来た十二歳の少女に対して。

緊張で喉が渇くのを感じた。

「はい」

門番は一礼し、背後の門へ合図を送った。

魔法陣が一斉に輝く。

低い駆動音。石が軋む音。

巨大な門が、ゆっくりと開き始めた。

その向こうに――

街が、広がっていた。

石畳の道。

三階建て、四階建ての建物が立ち並ぶ。

屋根は赤い瓦。壁は白い漆喰。窓枠は木製で、ステンドグラスが朝日を受けて輝いている。

道の両脇には魔導灯が等間隔で設置されている。村で見たものより大きく、より洗練されたデザインだ。

すでに街は活気に満ちていた。

商人たちが店先に商品を並べ、職人たちが工房で作業を始めている。

子供たちが路地を駆け回り、馬車が行き交う。

そして――魔法が、至る所にあった。

水車が魔法で回転している。

看板が浮遊し、ゆっくりと回転しながら店名を示している。

小型の魔導機が空を飛び、荷物を配達している。

全てが、魔法で動いている。

「王都は魔法文明の中心地。全てが魔法で動いているわ」

エリスが説明した。

「魔導灯、水道、下水、暖房――生活の全てが魔法に支えられてる」

窓に額を押し付けて、街を観察した。

効率が悪い。

その思考が、自然と浮かんだ。

水車を回すのに魔法を使う必要があるだろうか。水流を利用すれば、魔力を消費せずに済む。

看板を浮遊させる必要があるだろうか。支柱で固定すれば、メンテナンスが容易になる。

魔法は便利だ。だが、それは「魔力がある者」にとっての便利さだ。

魔力がない者は――

「あの馬車……王国の紋章が」

市民の一人が、私たちの馬車を指差した。

「誰か、偉い人?」

「いや、後ろを見ろ」

振り返った。

自分たちの馬車の後方に、もう一台の大型輸送馬車が続いている。

そこには、ブラス・ウルフが載せられていた。

固定具で慎重に固定され、防護布で覆われている。

輸送用の馬車は通常のものより大きく、車輪の下には強力な浮力魔法陣が展開されている。

重量物を運ぶための特殊仕様だ。

「あれは……機械?」

「魔導機装じゃないか?」

「動くのか、あれ?」

市民たちの視線が集まる。

少し居心地の悪さを感じた。

注目されすぎている。

馬車は街の中心部へと進んでいく。

やがて、遠くに塔が見えた。

大魔導塔。

百メートルを超える高さ。尖塔の先端には、巨大な霊素結晶が輝いている。

青白い光が、朝の空に溶け込んでいる。

「あれが王都の心臓、大魔導塔よ」

エリスが言った。

「王都全体に霊素を供給してる。あの塔がなければ、この街は機能しない」

塔を見上げた。

単一障害点。

システム全体の命運を握る、唯一の弱点。

もし、あの塔が止まったら?

もし、結晶が破壊されたら?

王都は、一瞬で機能不全に陥る。

魔導灯が消え、水道が止まり、暖房が効かなくなる。

街全体が、闇に沈む。

「……脆い」

小さく呟いた。

「え?」

「いえ、何でもありません」

首を振った。

だが、心の中では確信していた。

この街は、魔法に依存しすぎている。

そして、その依存は――いつか、崩壊を招く。

馬車は、やがて一つの建物の前で停止した。

王国第一技術局。

五階建ての石造建築。

外壁には防御と魔力供給のための魔法陣が刻まれている。

正面玄関は立派な石柱で支えられ、扉には双頭の鷲の紋章が掲げられている。

「ここが……」

建物を見上げた。

「王国第一技術局。魔法技術研究の最高機関よ」

エリスが説明した。

「ここで、王国の全ての魔法技術が開発される」

エリスと私は馬車を降りた。

後方の輸送馬車からは、技術局の職員たちがブラス・ウルフを慎重に降ろしている。

大型のクレーン魔法陣が展開され、機体がゆっくりと地面へと下ろされていく。

職員たちの動きは手慣れている。大型の魔導機装を扱うことに、慣れているのだろう。

正面玄関へと向かった。

扉を開けると、広いロビーが広がっていた。

大理石の床。高い天井。壁には歴代の技術局長の肖像画が並んでいる。

受付には、若い女性が座っていた。

「お名前をどうぞ」

「セリア・アーデルです」

受付係は名簿を確認し、顔を上げた。

「セリア・アーデル様ですね。お待ちしておりました」

彼女は立ち上がり、一礼した。

「副局長がお待ちです。5階へどうぞ」

「ブラス・ウルフは?」

「中庭へ運搬いたします。こちらで責任を持ってお預かりします」

「ありがとうございます」

エリスと私は、階段を上り始めた。

一階、二階、三階――

各階からは、様々な音が聞こえてくる。

魔法陣を描く音。金属を叩く音。詠唱の声。

技術者たちの、日常。

胸が、高鳴った。

ここが、私の新しい職場だ。

五階。

廊下の突き当たりに、「副局長室」の表札が掛かった扉がある。

ノックした。

「どうぞ」

落ち着いた声が応えた。

扉を開けると――

広い部屋が広がっていた。

大きな机。その上には、整然と並べられた書類と設計図。

本棚には、魔法技術に関する文献が隙間なく並んでいる。

窓からは、王都の街並みが一望できる。

そして、机の前に――

一人の男性が立っていた。

四十代前半。眼鏡をかけた、落ち着いた雰囲気の紳士。

髪は黒く、わずかに白髪が混じっている。

制服は整然としており、姿勢は真っ直ぐだ。

アルフレッド・クラウス。

王国第一技術局・副局長。

「君が、セリア・アーデルか」

彼は穏やかに微笑んだ。

「はい。お呼びいただき、ありがとうございます」

緊張しながら一礼した。

アルフレッドは机の前から歩み出た。

「魔導機装を再起動させた少女」

彼は私を見つめた。

その視線は鋭いが、温かい。

「報告書を読んだ。見事だ」

「辺境の村で、たった一人で成し遂げた」

「いえ、ガランさんや村の皆さんの助けがあって……」

「謙虚だな」

アルフレッドは微笑んだ。

「だが、設計図は君が描いた。制御系は君が構築した」

「それは、紛れもなく君の功績だ」

何も言えなかった。

アルフレッドの言葉には、嘘がない。

彼は本当に、私の技術を評価している。

「では、実物を見せてもらおう」

アルフレッドは窓の方を向いた。

「中庭で待っている」

技術局の中庭は、広大だった。

訓練場としても使用されているらしい。地面は平らに整地され、周囲には観覧席が設けられている。

すでに、十五人ほどの技術局員が集まっていた。

彼らは皆、期待と好奇心に満ちた目でブラス・ウルフを見つめている。

機体は中庭の中央に立っていた。

全高九メートル超。真鍮色の装甲。双耳状のアンテナ。

胸部の霊素結晶は、まだ光っていない。

「おお……」

「本当に、あれが動くのか?」

技術局員たちがざわめく。

深呼吸をした。

緊張する。

だが、同時に――わくわくする。

ここにいる人たちは、全員が技術者だ。

魔法を研究し、新しい技術を開発し、世界を前に進めようとしている人たち。

彼らに、ブラス・ウルフを見せられる。

コクピットへと歩いた。

胸部装甲を開く。

狭い空間に身を滑り込ませる。

座席に座る。

操縦桿を握る。

計器盤を確認。

全てのシステムが、待機状態だ。

「起動します」

魔導炉の接続端子に手を当てた。

魔力を注入する。

胸部の霊素結晶が、青白く輝き始めた。

光が全身に走る。

魔導流体筋肉が蠢く。

油圧シリンダーが圧力を得る。

関節が、わずかに軋む。

そして――

ブラス・ウルフが、立ち上がった。

「動いた!」

「本当に動く!」

技術局員たちの歓声が上がる。

操縦桿をゆっくりと動かした。

右足が前に出る。次に左足。

ブラス・ウルフが、歩き始めた。

重い足音が地面に響く。

だが、その動きは滑らかだ。

機械的なぎこちなさはない。

まるで生きているかのように、自然に。

旋回させた。

機体が左へ向きを変える。

バランスを崩すことなく、流れるような動き。

次に、腕を動かした。

右腕が上がる。肘が曲がる。指が開く。

精密な制御。

誤差は、ミリメートル単位。

アルフレッドが、じっと観察している。

彼の目は、専門家のそれだ。

魔法陣の配置、関節の動き、バランス制御――全てを、見逃さない。

ブラス・ウルフを停止させた。

コクピットから降りる。

アルフレッドが近づいてきた。

「魔法式が……最適化されている」

彼は呟いた。

「無駄な構成要素が削られている」

アルフレッドはブラス・ウルフの脚部を見つめた。

「この関節部の魔法陣……従来の設計より三割は簡素化されている」

「だが、出力は落ちていない」

彼は顔を上げ、私を見た。

「これは……古代の原型を超えている」

「君は、本物だ」

その言葉には、確信が込められていた。

技術局員たちが、拍手を始めた。

少しだけ照れくさかった。

だが――嬉しかった。

認められた。

技術者として。

その時――

拍手が、止まった。

一人の男が、中庭に入ってきた。

長身。銀髪。鋭い青の瞳。

整った制服の襟元まで、完璧に張りつめている。

ただ、その顔は――冬の空気のように冷たかった。

「局長……!」

技術局員たちが一斉に敬礼する。

その声に、かすかな緊張が混じった。

レオナルド・フォン・エルドリア。

王国第一技術局局長。三十五歳。

王族の血を引く、才覚と地位を兼ね備えた男。

「アルフレッド、これが例の者か」

「はい。セリア・アーデルです」

レオナルドの視線が私をとらえた。

冷たい。けれど、何かを量るように静かだった。

「……平民の小娘か」

背筋が凍る。

その時、背後で小さな呟きが漏れた。

「空持ちが、技術局に……?」

レオナルドの青い瞳が、すぐにそちらを射抜く。

空気が一瞬で張り詰めた。

「その呼称は使うな」

声は低く、しかし明確に響いた。

「“空持ち”などという俗語は侮辱だ。

 正確な言葉を使え――“非魔導適性者”だ」

若い局員が蒼ざめて敬礼する。

その静けさの中で、レオナルドだけが微動だにしなかった。

「魔力の有無は生まれの偶然だ。

 そのことで誰かを貶める資格は、誰にもない」

その言葉は、思いがけず温かかった。

けれど次の瞬間には、再び氷のような口調に戻る。

「……だが、魔導機装を動かしたと聞いた」

レオナルドの視線が、ブラス・ウルフへと流れる。

「所詮は古代の遺物。過去の栄光に縋る行為だ」

「そんなこと……!」

思わず声が出た。

レオナルドはわずかに目を細めた。

「魔法こそが文明の礎。機械など過去の幻影にすぎない。

 この王都では、魔法がすべてを支配する」

彼の声には確信があった。

信念の冷たさ――だが、そこに嘲りはない。

「君のような技術者は……まだ、この場所には早い」

胸の奥が痛む。

悔しさよりも、なぜか寂しさが先に来た。

レオナルドは踵を返し、去っていった。

残されたのは、風と沈黙。

「……すまない、セリア」

アルフレッドが肩に手を置いた。

「彼は保守的だが、悪意はない。君の技術を理解できる日が来るさ」

私は小さく頷いた。

けれど胸の奥では、違う言葉が燃えていた。

――いつか証明してみせる。

魔法がなくても、光はともせるということを。

アルフレッドは私を三階の研究室へと案内した。

廊下を歩きながら、考えていた。

レオナルドの言葉。

魔法が全てを支配する。

技術者は不要だ。

――違う。

そう思った。

魔法だけでは、足りない。

この世界には、魔力がない人たちがいる。

リオンのような、真面目で優しい人たちが。

彼らのために、技術が必要なんだ。

「ここだ」

アルフレッドが扉の前で立ち止まった。

扉には、「セリア・アーデル研究室」のプレートが掛かっている。

扉を開けると――

広い部屋が広がっていた。

二十畳ほどの空間。

作業台、工具棚、設計用の大きな机。

窓からは、中庭が見える。

「こんなに立派な……」

驚きの声を上げた。

「君の研究に必要なものは、遠慮なく申請してくれ」

アルフレッドが言った。

「予算は確保してある」

「資材、工具、文献――何でも手配する」

「ありがとうございます」

深く頭を下げた。

「明日から、正式に技術局員だ」

アルフレッドは微笑んだ。

「期待している」

彼はそう言って、部屋を出て行った。

一人残された。

窓の外を見る。

中庭には、ブラス・ウルフが立っている。

私の相棒。

共に戦い、共に歩んできた機械。

「……大丈夫」

小さく呟いた。

「私たちなら、できる」

夕日が、王都を照らしている。

その夜。

技術局付属の宿舎。

自分の部屋で、窓辺に立っていた。

清潔で快適な部屋。

ベッド、机、本棚――全てが揃っている。

窓からは、王都の夜景が見える。

魔導灯の光が、街を照らしている。

青白い光が、無数に瞬いている。

美しい。

だが、同時に――脆い。

魔法が止まれば、全てが消える。

その光景を見ていると、レオナルドの言葉が蘇った。

機械は過去の遺物。

技術者は不要だ。

「……違う」

拳を握った。

「機械は、過去の遺物じゃない」

機械は、未来への希望だ。

魔法に頼らない力。

理屈で動く技術。

誰でも使える道具。

それがあれば――

この世界は、もっと良くなる。

「魔法だけが全てじゃない」

窓に手を当てた。

「私が、それを証明する」

ノックの音がした。

「セリア、入るわよ」

エリスの声。

「はい」

扉が開き、エリスが部屋に入ってきた。

手には、温かいお茶のカップを二つ持っている。

「初日、お疲れ様」

エリスは微笑んで、カップの一つを私に渡した。

「エリス先生」

「局長のこと、気にしてる?」

エリスは、すぐに核心を突いた。

「……少しだけ」

正直に答えた。

「大丈夫よ」

エリスは優しく言った。

「あなたには、アルフレッド副局長がついてる」

「それに……私もいるわ」

エリスを見た。

彼女の目には、温かい光がある。

「……ありがとうございます」

「明日から、頑張りましょう」

エリスは微笑んだ。

「あなたなら、きっとできるわ」

「はい!」

微笑み返した。

二人は、お茶を飲んだ。

温かい液体が、喉を通る。

心が、少しだけ落ち着いた。

エリスが帰った後、再び窓辺に立った。

遠くに、大魔導塔が見える。

青白い光が、夜空に輝いている。

魔法文明の象徴。

そして――私の挑戦の対象。

「レオナルド局長」

小さく呟いた。

「あなたは間違ってる」

「魔法だけでは、この世界は救えない」

「私が、それを証明してみせる」

拳を握りしめる。

決意が、胸に満ちていく。

「技術で――」

目が、輝いた。

「世界を、変えてみせる」

夜風が、窓から吹き込んできた。

カーテンが揺れる。

魔導灯の光が、横顔を照らした。

琥珀色の瞳に、決意の炎が宿っている。

新しい戦いが、始まろうとしていた。

私は、王都で――

理屈と祈りを、融合させる。

魔法と機械を、融合させる。

そして――

誰もが夢を追える世界を、作る。

「待っててね、リオン」

小さく呟く。

「ガランさん。村長さん。みんな」

「必ず、証明してみせるから」

理屈は、誰にでも開かれた扉だと。

技術は、魔法に勝るとも劣らないと。

そして――

魔力がなくても、誰もが強くなれると。

王都の夜は、静かに更けていく。

だが、少女の心には、熱い炎が燃えていた。

挑戦の炎が。

希望の炎が。

そして――変革の炎が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る