第3話 最初の課題

朝日が技術局の窓を斜めに照らしていた。

私は五階への階段を上っていた。

今日は週に一度の全体会議――局員全員が集まる日。

足音が規則的に響くたびに、胸の鼓動がわずかに速まる。

五階の廊下は、異様に静かだった。

先に着いている者は誰もいない。

重厚な木の扉が見える。

その向こうに、技術局という“集合知”が待っている。

深呼吸。

冷たい空気が肺に流れ込む。

扉を押すと、油の匂いと紙の音が混じった。

会議室には、朝の光が差し込んでいた。

長い机。光を反射する金の装飾。

三十人ほどの局員が着席している。

一斉にこちらを見る視線が刺さった。

上座に、レオナルド・フォン・エルドリア局長。

銀の髪、青い瞳。整いすぎたその姿には、冷たさがあった。

隣には副局長のアルフレッド・クロムウェル。

穏やかに見えるが、その眼差しは計算の光を宿していた。

「セリア、こっち」

ミラが小声で呼んだ。

私は末席の空いた椅子に腰を下ろした。

磨かれた木の感触が、掌に冷たかった。

「――始めよう」

レオナルドの低い声。

部門報告が次々と進む。

魔導炉、設計、試作。

数字と符号の羅列。

紙をめくる音だけが、規律のように響いた。

「――そして、軍用開発部からの報告を」

若い技術士官が立ち上がった。

「グレイヴナイト三号機、出力安定率九十三%。ただし、他国製の標準的なマギ・ドライブとの性能差、依然として二割以上です」

会議室の空気がわずかに沈む。

レオナルド局長の指が、机上を軽く叩いた。

「改良は続けろ。――我が王国が、“理屈”に頼る前に済むならな」

その言葉が妙に引っかかった。

“理屈に頼る前に”。

私が歩もうとしている道は、まさにそれだった。

報告が終わった頃、静寂。

局長が書類を閉じ、私を見た。

「では――新人の件だ」

全身の神経が一点に集中する。

「セリア・アーデル」

「……はい」

立ち上がった瞬間、空気が硬くなった。

「君には、試験を受けてもらう」

ざわめき。

「試験……ですか?」

「我が局に相応しいかどうか、確かめさせてもらう」

局長の指先が一枚の紙を滑らせる。

「課題は――魔導灯の改良だ」

その単語が落ちた瞬間、空気が止まった。

魔導灯。王都を照らす基幹魔導具。

誰も軽々しく触れようとしない、“完成された技術”。

「これを改良できれば、君の力は証明される」

「……承知しました」

「期限は――一週間」

ざわめきが弾ける。

「一週間!?」「あの構造を!?」

驚愕と同情が混じった声が、部屋を埋めた。

アルフレッドが口を開きかけるが、局長の一瞥で止まる。

「どうする?」

挑むような眼差し。

私は視線を逸らさず、言葉を選んだ。

「……お受けします」

短い沈黙ののち、局長は小さく頷いた。

「よろしい。一週間後、この場で報告を」

彼が席を立つ。

背筋の通った歩き方。

その残り香のような冷気が、部屋に残った。

会議が終わると、ざわめきが戻った。

数人の局員が私に声をかける。

「一週間は無茶だ」「構造を変えたら壊れるぞ」

笑い混じりの忠告。

それでも、私は微笑んだ。

「ありがとうございます。でも、やってみます」

その一言で、空気がわずかに和らいだ。

「セリア」

背後から声。アルフレッド副局長だった。

周囲が自然と道を開ける。

「無理はするな。期限の延長も認められる」

「いえ、大丈夫です」

言葉が自分でも驚くほどはっきり出た。

アルフレッドは一瞬だけ目を細め、微笑を浮かべる。

「そうか。なら、ちょうどいい機会だ」

声を落とし、続けた。

「来週、王都に客人が来る。古代遺跡の研究者――マイケル・ハンセンだ」

「霊素生成理論の……?」

「ああ。彼が君の技術に興味を持っている」

胸が熱くなった。

ハンセン。あの理論。

ガラン師匠の研究を肯定した数少ない学者。

「試験の成果、楽しみにしているよ」

アルフレッドは軽く肩を叩いた。

「はい」

声が、自然に強くなった。

私は一礼し、会議室を後にした。

長い廊下に、まだ朝の光が満ちている。

足元の影が、少しだけ前へ伸びていた。


机の上に、ひとつの古い魔導灯。

初仕事として与えられた課題――「既存灯の改良」。

要件は三つ。

光量を二割向上、消費魔力量を三割低減、安定稼働時間を維持すること。

表向きは“改良”だが、私はそれを「再設計」と捉えた。

構造を理解せずして、回路を触るのは愚かだ。

どんな機械も、動く理由がある。

理屈を知らずに触るのは、神頼みと変わらない。

「これが……魔導灯」

ミラが横で覗き込む。

ガラス球の内部に霊素結晶が封入され、外周には制御回路。

点灯試験を行うと、光は安定していたが、わずかにちらつきがある。

「ねえ師匠、まずどこを直すんですか?」

「まだ触らない。まず“何が悪いのか”を定義する」

私はノートを開き、既存仕様の分析を書き出した。

――出力変動 ±8%。

――消費魔力量、定格より15%高。

――光量安定制御、一次回路のみ。

「無駄が多いわね」

「改造、じゃなくて解析……なんですね」

「ええ。改造は誰にでもできる。でも、“理解”は時間がかかる」

分解を進めながら、私は内部構造をスケッチした。

制御陣列の重複、入力抵抗の非対称、出力位相の不整合――

どれも“動くこと”だけを目的に作られた設計だった。

つまり、“動けばいい”思想。

「設計思想がない」

「そんなこと、分かるんですか?」

「見れば分かる。論理が散らかってる」

回路の無駄を削るだけなら簡単だ。

けれどそれは根本的な解決ではない。

私はペンを止め、呟いた。

「要件を満たす構造を、最初から作り直す」

「えっ、作り直すんですか?一から?」

「ええ。“再設計”ってそういう意味よ」

翌朝、資料室。

私は山積みの書籍の中から、魔導灯の原型に関する文献を探していた。

タイトルを指でなぞりながら、製造時期と編纂者を照合する。

――『古代光術機構全書(第三版)』

――『霊素循環理論初期稿』

どれも埃をかぶっていた。

数百年単位で改訂されていない。

現代の技術者が“過去の原理”を無視している証拠だ。

私はノートを開き、古文書の図面を現代式に書き換えた。

光の生成過程。霊素の流入と反射。

古代では、光を“燃焼”ではなく“霊振動”として扱っていた。

「……なるほど」

光を“霊素の共鳴現象”と定義すれば、魔力の消費は副次的になる。

制御回路で抑え込むのではなく、共鳴を“誘導”する構造に変えればいい。

理屈が繋がった瞬間、頭の中で電流が走った。

――制御から誘導へ。

これが、再設計の方向だ。

研究室に戻ると、ミラが待っていた。

「師匠、あの……局長室から視察の連絡が来てます」

「レオナルド局長が?」

「はい。“新人の進捗を見たい”って」

嫌な予感しかしなかった。

私は手早く試作に取りかかった。

霊素流路の再配置、制御式の簡略化、負荷分散の最適化。

魔法陣の線を一本ずつ削り、数学式に置き換える。

「それって……魔法じゃなくなってません?」

「魔法は“現象”。理屈は“説明”。どちらかが欠けても成立しない」

最後の符号を描き終えると、装置が小さく光った。

青白い脈動。だが、まだ不安定だ。

「霊素の流量が足りない……」

私は資料のページをめくった。

“位相遅延による共鳴加速”――古代光術で使われた補助理論。

「これを組み込めば……」

私は小型の共鳴板を追加し、結晶を再装着。

点灯スイッチを押す。

光が広がった。

前よりも明るく、均一で、静か。

霊素の揺らぎがほとんどない。

「成功……?」

ミラが呟く。

「いいえ。まだ“動いた”だけ」

私は光を見つめながら言った。

「動くのは結果。理屈は、これから証明する」

午後、視察が始まった。

アルフレッド副局長と、レオナルド局長。

他の技術者たちがざわめく中、私は改良灯を机に置いた。

「これが、新設計の魔導灯です」

自分でも驚くほど、声は静かだった。

点灯。

柔らかな光が室内を満たす。

光量は規定値の二十五パーセント増。消費魔力量は三割減。安定時間、六時間以上。

アルフレッド副局長が眉を上げる。

「見事だ。理屈は?」

「霊素の流入を制御ではなく、共鳴誘導に変更しました。

 回路負荷を低減し、熱暴走を防いでいます」

レオナルド局長が、ゆっくりと歩み寄る。

その目は、相変わらず氷のように冷たかった。

「なるほど。つまり、既存理論を捨てたわけか」

「捨てたというより、“読み直した”だけです」

「読み直す価値があると?」

「ええ。現実が動くなら、それが正しい理屈です」

短い沈黙。

その隙を縫うように、年配の技術局員が口を開いた。

「しかし局長、この設計では――」

彼は設計図を指差した。

「空持ちでも作れてしまいますぞ。それでは、技術の威厳が――」

レオナルドの声が、それを断ち切った。

「非魔導適性者、だ」

その響きは、静かに、しかし鋭く空気を切り裂いた。

「何度言わせる」

局員は息を呑み、言葉を失う。

会議室の温度が、ひときわ下がった気がした。

レオナルドは視線を設計図に戻す。

「技術の威厳は、独占によって保たれるものではない。

 正確さと、再現性によって保たれる」

そして、私を見た。

「その意味で――この設計は、正しい」

(……なんで?)

胸の奥で、疑問が湧いた。

(なんで、そこまで正確に呼ぶんだろう)

彼の瞳は冷たいままだった。

けれどその奥に、わずかな熱が見えた気がした。

沈黙を破るように、アルフレッドが微笑む。

「セリア。やったな」

レオナルドは机に手を置き、短く言った。

「性能は本物だ。改良灯の量産を試作段階へ進めろ」

そして踵を返す。

「――君のような者がいる限り、この局もまだ死なない」

その言葉は、称賛にしてはあまりに淡々としていた。

けれど、確かに褒め言葉だった。

私は息を詰め、ただその背中を見送った。

夕方。

研究室に戻ると、ミラが目を輝かせていた。

「すごいです師匠!あの局長が褒めたの初めてですよ!」

「褒めてた?」

「はい……たぶん」

私たちは顔を見合わせて笑った。

窓の外、王都の空は夕焼けに染まっていた。

灯を点ける。

柔らかな青白い光が、部屋を包む。

霊素ではなく、理屈で灯る光。

――この一灯が、きっと次の理屈の始まりになる。

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