6.────祠前

五人は村の入り口を抜け、一本道を歩き始める。

木々の葉が太陽に照らされて、濃い緑がくっきりと浮かび上がっている。


直也は少し考え込んでいた。

昨夜の散策について、二人は何も語らなかった。

何もなかったのだろう――そう思うのが自然だ。

だが、落胆の様子はなく、むしろ朝になって急に川周辺に興味を示したのが妙に気になる。 考えを巡らせてみたが、答えは見つからなかった。


気まぐれな二人だ。

単に飽きたのか、それとも……。


背後から、澪と真結の軽やかな笑い声が聞こえてくる。

その声に、直也はふっと肩の力を抜いて、まぁいいか、と歩を進めた。

けれど、胸の奥には小さな引っかかりが残った。


蓮司と健人は、しきりに左手の木々を気にするように視線を送っていた。

その様子に直也はちらりと目を向けるが、何も言わず歩を進める。


「お…ここだ」

健人が指をさす。

木々に覆われながらも、比較的穏やかな小道がひっそりと続いていた。

枝葉の隙間から光が差し込み、川へとつながる道を薄く照らす。


二人はためらいなくその道に足を踏み入れた。

直也、澪、真結が静かに後に続く。

踏みならされた地面の上を、しばらく黙って歩く。

木々の間を縫うように進みながら、湿った土や枝を踏む音が静かに響いた。

足元の土が砂利に変わり、ジャリジャリと音を立てる。


やがて、木立が途切れ、静かに流れる川が姿を見せた。


涼しげな空気が肌を撫で、先ほどまでの囲まれた道から一気に開放感が広がる。

木々の葉が風に揺れ、差し込む陽射しが水面に反射してきらめいていた。

その輝きは周囲の緑を映し込み、静かで美しい景色を作り出していた。

水は驚くほど澄んでいて、浅い川底の丸石まではっきりと見える。


緩やかな水音だけが辺りに響く中、真結が「わぁ……」と小さく呟いた。

その声は、まるでこの静寂を壊さないようにと気遣ったかのように控えめだった。


健人もその美しさに目を見張り、

「お~~~!すげーじゃん!こういうのあるなら早く言ってくれよな」

と素直な感嘆を漏らした。


川辺に近づくと、澪がしゃがみ込み、水にそっと手を浸した。

「冷たっ!」と嬉しそうに声をあげる。

その表情は、まるで子どものように無邪気だった。

真結と直也も水のそばに腰を下ろし、静かに流れる川面を眺めている。


透き通った風が頬を撫で、川のせせらぎと溶け合って、耳に心地よい音を奏でていた。


蓮司が靴を脱ぎ始め、ズボンの裾を器用にまくり上げている。

それを見た健人は諫めるように「おい」と声をかけた。

彼らにはこの川に来た本来の目的があり、遊びに来たわけではなかったからだ。


だが、蓮司は笑って「いいしょ~、ちょっとぐらい」と軽く返す。

健人は一瞬ためらったものの、汗ばんだ肌に触れる川の冷たさを想像し、心が揺れた。


「よっしゃぁ!!」と叫びながら、健人も靴を脱ぎ、勢いよく川の中へ踏み込んだ。

冷たい水が足元を包み込み、思わず声が漏れる。

水しぶきが跳ねて、太陽の光を受けた水が眩しくきらめく。


澪はその様子を見て、直也に向かって水をパシャパシャと振りかける。

直也は困惑した表情を見せるが、すぐに苦笑いを浮かべる。

その飛沫は真結にも届き、「ちょっと~!」と笑いながら身をよじる。


わずかな間、笑い声と水音が混ざり合い、場には心地よいにぎわいが広がっていた。


──ふと、健人の目に森の境目の何かが映った。

川の冷たさに浸っていた足を止め、目を細める。

「……なんだあれ?」と呟きながら、川辺と森の境目を指さした。


木々の間に、ひっそりとほこらが佇んでいた。

屋根はところどころ崩れ、木の板は黒ずみ、表面には細かなひびが走っている。

柱も少し傾いていたが、祠としての形はまだ保たれていた。

土台は地面に沈みかけ、祠全体が森に飲み込まれつつあるような、そんな気配を漂わせている。


「お~、なんだっけか!……小屋じゃなくて」

蓮司が軽い調子で言うと、直也が目を凝らしながらその方向を見つめた。

「……祠でしょ。神様を祀るやつだよ。小屋って」

呆れたように返す直也に、蓮司は「そうそう祠ね……」とヘラヘラ笑いながら、手をひらひらと振る。


健人と蓮司は、濡れたまま靴を履き、じゃりじゃりと砂利を踏みしめながら祠へと歩み寄った。

足元の石がざくりと音を立て、湿った空気に水の匂いが混じっている。

祠の扉は外れかけて斜めにぶら下がり、中は暗く、何があるのかは見えない。


祠の正面には白い和紙が敷かれ、そこに花が5本、等間隔で並べられていた。

その花は、どれも萎れておらず、まるで今しがた置かれたように新鮮だった。

その整然とした配置には、妙な緊張感が漂っている。


「お供えか?これ」

蓮司が小声でつぶやく。

「さぁな。でも、昨日のジジイの目的は、多分ここだろ」

健人は祠から目を離さず、低く呟いた。

「……だな」

蓮司も祠を見つめたまま、静かにうなずく。


二人は祠の正面に立ち、スマホを取り出してその姿をとらえた。

画面越しに映る祠は、何十年、いや何百年も前からそこにあったかのように、静かに、変わらぬ姿で佇んでいた。

苔むした木の表面は時の流れを物語り、風に揺れる枝葉が、わずかな光を遮っていた。


「さぁて、こっからどうすんだ?」

蓮司が祠の側面をコツコツと叩くと、乾いた木の音が静かに響いた。

表面は黒ずみ、ひび割れた木材が剥き出しで、触れるだけで崩れそうなほど脆く、長年風雨に耐えてきた様子が窺える。


「ちょっと押してみ」

蓮司の声に健人が笑いながら石造りの土台に手を当てる。

「お? 隠しダンジョンか?」

冗談めかして押してみるが、祠は根を張ったようにびくともしない。

苔の張りついた石は地面と一体化しているかのようだった。


「まぁ、そりゃそうだわな」

健人は手についた埃をはらい、正面の外れかけた扉に目を向けた。

木製の扉は一方が傾き、蝶番は錆びついて今にも外れそうだ。

「やっぱ本命はこっちか」


健人はしゃがみ込み、隙間から祠の中を覗き込む。

内部にはほとんど光が届かず、闇が静かに沈殿している。

その奥で、金属のような質感をわずかに反射している何かが見えた。


そっと指先を差し入れ、触るとひやりとした冷たさが伝わってくる。

「……なんかあるな。金属っぽい」

健人が低くつぶやく。


その言葉に蓮司は即座に反応した。

「マジ?じゃあ開けてみようぜ」


祠の前に立つと、蓮司は正面に並べられた花を軽く払いのけた。

視線は扉の奥に向けられている。

取っ手に手をかけて引いてみるが、ガチャガチャと音が鳴るばかりで、扉はびくともしなかった。

「なんか引っかかってんのか?」

樹脂も木材も軋み、祠全体から冷気が漏れるような気配が漂った。


「そんなんじゃダメだ」

健人が蓮司の肩を軽く叩きながら、交代の合図を送る。


しゃがみ込み、祠の正面に右足を掛けて大きく息を吸う。

力を込めて扉をこじ開けようとすると、ミシミシと木の悲鳴のような音。

蝶番が鳴き、奥から冷たい風が一瞬吹き出る。

「お、いけるか?」

蓮司が横から力を添えるように、側面を蹴ってみせた。

鈍く乾いた音が森に響き、落ち葉がざわりと舞い上がった。


「おい、なにやってんだよ!」

その騒ぎに気付いて、声をあげた直也の胸の奥に、何かが引っかかるような感覚が走った。


──「お~、川かぁ。ちょっと涼みに行ってみるのもアリかもな」

今思えば、あの言葉も、あの流れも、どこか不自然だった。

まるで何かに誘われてここへ来たような、妙な違和感がある。


祠の周囲の空気は湿気を帯び、重くまとわりつくようだった。

風すら止んでいるかのように、木々がさざめき、葉が震える。

川の音も聞こえなくなっていた。


直也は頭を軽く振って、すぐに二人の元へ駆け寄った。


澪と真結も気配を察し、顔を見合わせ、慌ててそれに続く。

澪は濡れた足のまま、両手でスニーカーを摘み上げている。


「また馬鹿やってる!ちょっと!やめなよ!」

澪が眉を吊り上げて声を張った。


祠に注視したまま、健人は力を込め続ける。

「……もうちょい… コイツ、結構硬えな…」

ギシギシと木が軋み、祠全体が揺れた。

埃と砂が舞い上がり、空気がざわつく。


真結が「やめて──」と言いかけたその瞬間、

ギギギギッ、木材が擦れる音が轟き、祠の扉が勢いよく開いた。

健人は思わず「おっとと」と声を漏らし、後ずさる。


──開かれた。

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