2.────静景
──目の前に、忘れ去られたような集落が広がっていた。
家々はまばらに点在し、それぞれが時間の流れに取り残されたかのように沈黙している。黒ずんだ板壁は長年の雨風にさらされ、ところどころ剥がれ落ちていた。
割れた窓ガラスはそのまま放置され、風が吹くたびにガラス片がわずかに揺れて軋む音を立てる。
軒先には錆びついた鍬や鎌が散らばり、雨樋は外れ、屋根には草が根を張り始めていた。人の手が加わることなく、自然が静かに侵食している。
空気は湿っていて、土と木の匂いが濃く漂っていた。
風が通り抜けると、どこかの家の戸がわずかに揺れ、ギィ…と軋む音が静寂の中に響く。その音は、まるで誰かが中にいるかのような錯覚を呼び起こす。
だが、辺りに人の気配はまるでない。
健人がぽつりと呟く。
「……いや…マジで村…すげえわ」
その声には驚きと興奮、そしてわずかな緊張が混じっていた。
他の四人も言葉を失い、ただ目の前の光景に見入っていた。
空気はひどく静かで、風の音すら遠くに消えてしまったようだった。
蓮司がスマホを構えながら、低く笑う。
「これはガチなやつだわ…」
その声には、期待と高揚が滲んでいた。
まるで、何か特別なものに触れたような、まるで宝の山を見つけたかのように、
健人と蓮司はハイタッチを交わし、「フォーーーーーーッ!」と叫ぶ。
その声は静かな村に響き渡り、鳥が一羽、木々の間から飛び立った。
「ちょ…うるさい」
澪が顔をしかめて呟くが、蓮司はまるで気にする様子もなく、
スマホを高く掲げて古びた家屋を背景にカメラを回し始める。
「おい健人、見ろって! この角度、マジで映えるって!」
健人はすかさず背後に回り込み、驚いた顔を作ってポーズを取った。
「うわ、ガチホラーじゃんこれ! サムネに使えるって!」
二人はテンション高く、まるで台本でもあるかのように騒ぎ立てた。
笑い声が壁に反響し、場違いな明るさが村に響いた。
少し離れた場所では、直也が一人、古びた掲示板の前に立っていた。
板は湿気を吸い、端が反り返り、紙片は風に揺れて今にも剥がれ落ちそうだった。
彼は指先で慎重に一枚の紙を押さえながら、目を細めて文字を追う。
「閉村式、の表記はなし…」
低く呟いたその声は、誰にも聞こえないほど静かだった。
「……廃村ってわけじゃないのか。昭和六十年の“裂参り”?このあたりに伝承ないはずなんだけどな」
紙の端は擦れて、それ以上の文字は判読できなかった。
ただ、“裂”という言葉に、どこか不吉な響きを感じた。
何かを引き裂くような、あるいは裂け目を覗き込むような、そんな感覚が背筋をかすめた。
だが、なにせ過去のことだ。そう自分に言い聞かせるように、直也は紙から手を離した。
澪と真結は、村の入口からあまり遠くへは行かず、周囲の様子を静かに見て回っていた。崩れかけた家々が並ぶ中、どこかに足を踏み入れる気にはなれず、二人は慎重に距離を保っていた。
真結が井戸の縁にそっと近づき、中を覗き込む
「……普通の井戸だね」
「そりゃね……」
澪は肩をすくめ、答えた。
井戸の底は暗く、静まり返っている。
水面がぼんやりと揺れ、差し込む陽の光が淡く反射していた。
特に変わったものは見当たらず、二人はすぐに手持無沙汰になった。
仕方なく、近くの家屋の縁台へと歩み寄る。
木材は黒ずみ、表面には埃が積もっていた。
澪が手のひらでざっと払い、ためらいながら腰を下ろすと、静かな軋み音が響いた。
真結も隣に座り、何も言わずに空を見上げる。
軒先の風鈴は錆びついていて、風が吹いても音は鳴らなかった。
木々の隙間から差し込む光が、真結の頬を柔らかく照らしていた。
陽射しは揺れる葉に遮られながら、まだらに地面を染めている。
風が通り抜け、葉のざわめきが耳に心地よく響いた。
二人は、髪型のこと、最近買ったコスメ、大学の授業や単位のこと、バイト先のウザい先輩のこと──
いつもと変わらない話をぽつぽつと交わした。
声は小さく、笑いも控えめで、まるでこの村の空気に遠慮しているかのようだった。
やがて話すことが尽きると、澪はふぅと軽く息を吐き、背もたれのない縁台に身を預けるようにして座り直す。
足を前に伸ばして、白いスニーカーのつま先をぶらぶらと揺らしている。
どこか気だるげで、けれどその表情にはわずかな安堵も混じっていた。
遠くでは、健人と蓮司の笑い声が響いていた。
何かを見つけては騒ぎ、スマホを構えてはふざけ合っている様子が、木々の向こうから断続的に届く。
その声は、静かな村の空気に不釣り合いなほど明るく、どこか場違いに感じられた。
澪はスマホの画面をぼんやりと眺めながら、ちらりと二人の方に目をやった。
「…あいつらさ、なんであんなにテンション高いの?…だるすぎん?」
その声には、いつも通りの呆れと、少しだけ肩の力が抜けたような軽さが混じっていた。
つま先を揺らしながら、ふと隣に目を向ける。
真結はじっと前方を見つめていた。
スマホも触らず、口も開かず、ただ静かに何かを見ている。
「……どした?」
その目は、村の中央から少し離れた場所にぽつんと建つ、古びた家の前で止まっている。屋根は傾いてはいるが、崩れてはいない。
玄関の扉はしっかりと閉じられ、窓には割れもなく、手入れされた気配すらある。
だが、周囲には人の気配がなく、まるで時間から切り離されたような静けさが漂っていた。
「……人がいる」
ぼつりと呟くように、真結が言った。
「…え!?……ウソ?」
澪はその言葉に反応し、身を起こして真結に顔を寄せる。
縁側に、老人が座っているのが見えた。
色褪せた作業着を身にまとい、麦わら帽子を深くかぶっている。
顔は帽子の影に隠れて見えない。
ただ、確かにこちらを向いている。
動かないのに、視線だけが突き刺さるように感じられた。
澪はしばらく黙ってその姿を見つめている。
その沈黙の中で、ぽつりとつぶやいた。
「……人いんじゃん」
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