八ツ裂き村

カサリユ

1.────訪村

一台の車が山道を走っている。


木々が枝を大きく広げて空を覆い、陽射しはほとんど届かない。

車が一台通れるかどうかの狭い道は、乱雑に伸びた草がその境界を曖昧にしている。

割れたアスファルトや、無造作に転がる枝に乗り上げるたび、車内の荷物がガタガタと音を立てた。


「道、細ッ!? ガチで遭難ルートじゃね? …てか、これ本当に人の通る道かよ!」

健人けんとが運転席で叫ぶ。ナビをちらりと見ては、首をかしげる。


それに応えるように、ナビが無機質な声で答えた。

「目的地まで、あと1.5キロです。道なりに進んでください。」

何事もないかのように、ナビは淡々と案内を続ける。

画面には、緑に埋もれた細い線が、まっすぐ目的地へと伸びている。


「“道なりに進んでください”って……大丈夫かコイツ」

うねる道と取り囲む木々に方角を見失いそうになる。


助手席の蓮司れんじは、そんな揺れにも構わず菓子の袋を雑に開けて、ひとりでケラケラ笑っている。

「いやいや、こんな道だから誰も見つけてねえんだって! 地図に載ってない村とか、逆にヤバくねえ?」

袋から飛び出したポテチが足元に散らばるが、気にする様子はない。

むしろテンションは上がる一方だった。


後部座席では、みおがスマホのインカメを使ってメイク直しに集中している。

「“ヤツザキムラ”だっけ? 名前からしてヤバくない? なに八つ裂きって。ウケる」

リップをひと塗りしてから、口角をゆるめた。


隣の直也なおやだけは空気に流されることなく、黙々と地図を広げている。

「“八つ裂き”じゃなくて“八佐埼やつさき”ね、『やつさき』。地図にはないって言ったけど、たぶん廃村か何かだよ」

揺れる車内で、直也は地図を見つめながら落ち着いた口調で答えた。


健人が運転席からミラー越しに直也を見て、口元に苦笑を浮かべる。

「ここまで来といて、そんな冷めること言うなよ。俺ら、結構これに賭けてんだからさ」


直也は視線を地図に残したまま、淡々と答える。

「…そう言われてもなぁ、別に珍しくないよ、こういう村。記録から消えてるだけ」


蓮司はポテチの袋をガサガサ鳴らしながら言った。

「おいおい空気読めよ~! こういうのは盛っとけって! ガチでヤバすぎ村、八つ裂き村、ドゥーン! ……って叫んどけよ!」

その勢いのまま、ポテチを一枚つまんで口に放り込む。


澪が「…ドゥーンて何」と呆れたように呟いた。


真結まゆは後部座席の窓に寄りかかりながら、静かに外の景色を眺めていた。

車内のにぎやかな会話には加わらず、けれどその声に耳を傾けている。

蓮司の冗談が響くと、真結もほんの少し口元を緩める。

言葉は少ないが、その場の空気を確かに感じていた。


五人は大学の映像制作サークルに所属していて、今回は夏休みを利用して撮影のためにこの山奥までやってきた。

とはいえ、「映像制作」という真面目な肩書は名ばかりで、実際は健人と蓮司が「動画でバズりたい」という軽いノリで立ち上げた集まりにすぎない。

真結は、高校時代からの友人である澪に誘われ、半ば強引に入部した。

最初は戸惑いもあったが、気づけばこの騒がしい空間が不思議と心地よく感じられるようになっていた。


「あいつら馬鹿だけどさ、悪いやつらじゃないから」

――澪が、入会を渋る真結に向かって言った言葉だ。


蓮司がポテチ片手にふざけているのを見て、真結はその一言をふと思い出した。

そして、ふふっ、と小さく笑った。


やがて、車窓の外に錆びたガードレールや古びた木柱といった人工物がちらほらと現れ始めた。長年の風雨に晒されたそれらは、表面がざらつき、塗装は剥がれ、金属は赤茶けている。ただ、そこに人の痕跡があることだけは確かだった。


更に進むと、車体を揺らしていたガタガタとした振動は次第に収まり、比較的穏やかな一本道へと差し掛かる。

森の圧迫感も少しずつ和らぎ、頭上には一筋の空が顔を覗かせていた。


健人が前方を指さす。

「おい、見ろよ! あれ、家じゃね!?」

前方の緩いカーブの先に、建物の屋根らしきものが木々の隙間から、ちらりと見えた。形ははっきりしないが、古びた構造が遠目にも分かる。

どうやら、目的の“村”の敷地内に入ったようだった。


車はゆっくりと進み、健人は道の脇に広がったわずかなスペースを見つけると、そこに車を停めた。エンジン音が止むと、周囲は一気に静けさに包まれる。

風が木々を揺らす音だけが、耳に残った。


後部座席の澪が、スマホを見ながら口をとがらせる。

「まだ結構先じゃん? なんでここで止まるの?」


蓮司が助手席で振り返り、笑いながら答える。

「わかってねぇな~澪。こういうのは導入が大事なんだよ。いきなり村に突っ込んだら、雰囲気も何もあったもんじゃねぇだろ?」


健人も頷きながら、車から降りる準備を始める。

「そうそう! いきなり村からスタートじゃ盛り上がらねぇって。 まずは“近づいてる感”が大事なんだよ」


澪はため息混じりに「え~…だる……」と呟きながら、スマホをバッグにしまった。

車内の空気は、期待と不安と、少しの面倒くささが入り混じっていた。


車のドアが順に開き、五人が外へと足を踏み出す。

蓮司は真っ先に腰を伸ばしながら「あ~ケツいてぇ~!」と声を上げ、長時間のドライブの疲れを笑いに変える。


すぐにスマホを取り出し、撮影の準備を始めた。

蓮司はカメラアプリを起動し、健人は構図を確認するように周囲を見渡す。


他の三人も車から降りてくる。アスファルトの上に靴音が響いた。

田舎の澄んだ空気が胸いっぱいに広がり、耳に届くのは、遠くで鳴く鳥の声だけ。

ここまでの荒れた山道の緊張感とは打って変わって、辺りには静けさが漂っていた。

木々の間をすり抜けた風が、さらさらと葉を震わせる。

その音もまた、森の静けさにそっと溶け込んでいた。


健人が準備を終えると、勢いよく片手を高々と掲げて叫ぶ。

「おっしゃ~~! 出発~~!」

その声が森に反響し、どこか冒険の始まりを告げるようだった。


蓮司はスマホを構え、動画の録画を開始する。

「はいはい、記念すべき第一歩ね~!」と冗談めかして笑いながら、健人の背中を追う。


澪は渋々ながらもバッグを肩にかけ、直也は地図を丁寧に折りたたんでポケットにしまう。真結は一歩遅れて車のドアを静かに閉め、最後に空を見上げた。

木々の隙間から差し込む光が、彼女の頬に静かに射す。


5人はそれぞれの思いを胸に、村へと向かって歩き出した。


蓮司と健人は撮影に夢中になりながら、先頭を歩いている。

スマホを構え、テンション高く周囲の風景を切り取っていく。


その後ろを、澪、真結、直也の三人が少し距離を置いて歩いていた。

木漏れ日が揺れる道を踏みしめながら、澪がふと笑顔を見せる。

「…ま、たまにはいいかもね」

その言葉に、真結が少し驚いたように顔を向け、柔らかく微笑んで答える。

「そうだね、涼しくて気持ちいい…」


直也が右手の木々の隙間に目をやり、静かに言った。

「川が近いんだよ、ほら」

生い茂る木々の間から、陽の光を反射してきらめく細い川がちらりと見えた。

水面がやさしく揺れ、風の音にまじって水の囁きが耳に触れた。


真結もその景色に目を向ける。


──ふと、川沿いの木々の幹に不自然な痕があるのに気づいた。

浅くえぐれた傷が、ところどころに広がっている。

幹の表面は削られ、木の皮がめくれ上がっている箇所もあった。

自然にできたものとは少し違う印象を受ける。


真結はほんの少し声をひそめて、隣を歩く直也に尋ねた。

「ねえ、熊とかいないよね?」


「…熊かぁ、それはチェックしてなかったなぁ」

直也は顎に手を当て、真面目な顔で考え込む。


「ちょっ…やめてよ」

澪が怯えたように後ずさりし、車の方へと距離を取る。


真結が「ごめんごめん」と小さく笑いながら、そっと澪の腕を掴んで引き止める。

その話はそれ以上続けられることなく、自然と途切れた。


水面を渡る風が涼やかな音を運び、葉先がほんのり震えた。


蓮司が振り返り、スマホを三人に向ける。

「ほら~、みんな笑って~!」

声を上げるが、澪は無言で手をパタパタと振り、撮影を拒否する意思を示した。

その仕草に蓮司は「ノリ悪ぅ~」と笑いながらも、すぐにカメラを自分に向け直す。


軽いやりとりを交わしながら進んでいくと、五人は村の入り口へと辿り着いた。


そこには、朽ちかけた木製の看板が斜めに傾いて立っていた。

長年の風雨に晒されたその表面は、木目が浮き出てざらつき、塗装はほとんど剥がれている。

文字はかすれて判読不能だったが、地名の一部だけが辛うじて残っていた。


風が看板を揺らし、軋みがひそやかに響いた。

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