3-6 問いの檻
蘭先輩は、いい警官とわるい警官をひとりで演じるようにギアを変える。
なまじ整った顔でほほ笑むから、聖母のような視線になって私にささやく。
「では質問だ。椿野、お前はなぜ旧館を調べたいんだ?」
机の上のアールグレイから、胸のすく爽やかな香りが立ちのぼる。
「それは――」
私は喉を鳴らした。
言葉が、喉の奥でひっかかる。
「怪談研究会として、“少女の霊”の噂を調査するために――」
先輩は目を細めた。
「椿野が、怪談が好きだからか?」
「えっと――」
その問いに、私は言葉を見失った。
“好き”なんて、そんな単純なものではない。
でも、どう説明すればいい? 私は、なぜこんなにも――。
「“少女の霊”を……どうしても調べなきゃいけない気がして」
「その理由を知りたいんだよ」
先輩の声が、ゆっくりと私を締め上げるように響いた。
次の瞬間、世界が一瞬ねじれた。
――脳を割るような痛み。
白い閃光が視界を覆う。
旧館の廊下。
古びた照明、静まり返った空気、立ち並ぶ鉄の扉。
そこに、誰かの影が立っている。
それは私の知らないはずの光景。けれど、あまりにも“懐かしい”。
息を吸おうとした瞬間、視界が現実に引き戻された。
紅茶の香りが、再び鼻をかすめる。
「もういいじゃないですか……」
透子の声が、現実に私をつなぎ止めた。
「玲奈も体調悪そうだし……」
「ダメだ」
先輩が即座に切り捨てる。
その声には、焦りにも似た色が混じっていた。
「これは大事な話なんだ」
先輩はソファから少し身を乗り出した。
机の上に置かれた紅茶のカップが、わずかに揺れる。
「椿野、お前はどうして“少女の霊”にこだわる?」
その一言に、鼓動が跳ねた。
まるで胸の奥で何かが共鳴するように。
――なぜ、私はこの話を追っている?
なぜ、こんなにも“少女の霊”が気になる?
「その異常な探求心は、どこから?」
頭の奥がざわめく。
何かが、記憶の表層に浮かびかけては、波のまにまに消えていく。
思い出せそうで、思い出せない。
ただ、心の奥で、たしかに何かがささやいている。
「それは――」
声にならない。
口の中が乾く。
視界がマーブル模様に歪んでホワイトアウトしそうになった瞬間――
「もういいじゃないですか!」
キャンバスを引き裂くような透子の叫びが響いた。
その声には、怒りと焦りが入り混じっていた。
「ほら、玲奈帰ろ。ね?」
透子の腕が、私のセーラー服の肘に絡まる。
その指先の震えが、やけに切実だった。
だけど、私はそのまま固まってしまった。先輩の目が、じっとこちらを見据えている。
すると、先輩の声が滑り込んできた。低く、問いかけるように。
「梧桐、ではお前に問う。お前は、どうしてこの学院に来た?」
透子が一瞬うつむき、あわてて答える。
「それは……お父さんとお母さんがこの学院を勧めたから……」
先輩はゆっくりと言った。
「そうだな。ここに来る生徒のほとんどがその理由だろう、梧桐。お前の両親は――お前を愛しているのだな」
その言葉を聞いた透子の瞳が、ふっと澄んで、光を全部吸い込んでしまったように見えた。彼女の顔からは一瞬、子どもらしい無垢さが消えて、何か堅い殻のようなものが浮かんだ。透子は私の腕を痛いくらいに強く掴みなおす。
先輩はそのまま私に向き直る。声は冷たく、外科医のメスように正確だった。
「椿野、お前はなぜこの学院に来た?」
私は――答えを知っているはずだ。けれど、言葉が喉に絡んで、なかなか出てこない。
「それは……私もお父さんとお母さんから……」
かすれた声が出た。
先輩が、じっと私を見つめる。問い続けるように。
「父と母の名は、何という?」
その瞬間、世界がまたぐらりと傾いた。頭の奥に、針が突き刺さるような鋭い痛みが走る。耳鳴りで現実が遠くなる。私は思わず片手でこめかみを押さえた。
「父は――椿野誠一。母は――椿野美和」
声が震える。いま口にした名前は、たしかに父の名前のはずだ。母の名前もそう。だけどその名を出した瞬間、胸の奥でなにかがひび割れるような感覚があった。記憶がその隙間から、滑り落ちるようだ。
先輩の声がまた降りかかる。
「椿野、お前は愛されていたか?」
私は咄嗟に「もちろん」と答えた。
「お父さんは公務員で、母は看護師で──寮にいる私によく、手紙をくれて」
言葉を紡ぎながらも、頭のなかで巨大な鐘が叩き割られるような痛みが襲った。言葉の端々が震え、どこか遠い音に溶けていく。私は息をのみ、目をつぶる。
先輩がふっと吐息を漏らした。
「さぞ、愛されていたのだな。うらやましいかぎりだ」
その言葉はひどく薄っぺらく聞こえ、その裏に隠しているものを包み切れていないようだった。私はその意味を測りかねるまま、小さく首を振る。
先輩は立ち上がり、ゆっくりとカップを手に取る。机の上に残る紅茶の湯気が、午後の光に淡く揺れる。彼女は飲み干すようにアールグレイを一気に口に含み、カップの縁に唇をつけてから、しばらく沈黙した。香りが鼻の奥に残る──ベルガモットの風味と、どこかほろ苦い余韻。
やがて、ゆっくりとカップを置き、先輩は私の顔色を見下ろすように、言葉を続けた。声は低く、しだいに重くなる。
「では、最後の質問だ――」
その前に、彼女のほほがわずかに緩む。私の胸はまたぎゅっと締めつけられる。
先輩は、カップを銀のトレイに置き、長い髪をかきあげる。
その所作は妙に静かで、美しく、カップを置く「コトン」という音すら、胸の奥に響く。
「私は――なぜ学院の秘密を守る?」
その言葉は、部屋の空気をぴたりと凍らせた。
私と透子は、理解が追いつかずに固まった。
答えようがない。
沈黙に耐えきれなくなったのか、透子が口を開く。
「生徒会長だから……ですか?」
「ノーだ」
即答だった。
そんなの……わかるはずない。
先輩は、指先で机をとんとんと叩き、楽しげにも見える微笑を浮かべた。
「材料はそろっている。
この謎が解けたら、旧館を調査する許可を与えてもいいだろう」
透子が息をのむ音が聞こえる。
私の心臓も、その瞬間だけ大きく跳ね上がった。
先輩が立ち上がる。
まるで舞台の幕が下りる瞬間のように、ゆっくりと。
「去れ。体を休め、頭を働かせろ。
謎を解いてみせよ」
その声音は挑発的でありながら、どこか導くようでもあった。
だけど、彼女は一拍置いてから、静かに続けた。
「ただし――」
その一言が、ぴん、と張りつめた糸のように空気を震わせる。
「お前がそう望むならな」
そのほほ笑みは――
なぜか慈愛に満ちていた。
同時に、ひどく、悲しそうだった。
まるで、私たちより先に真実を知り、そしてその重さに耐えてきた人だけが持つような表情。
「それでは、期待してるよ。“怪談研究会”」
その言葉を合図に、私と透子は生徒会室を後にした。
扉が閉まる瞬間、背後の空気が急に冷たくなるようで、
先輩の視線が背中を刺すように追ってくる気がした。
歩きだした途端、透子が私の手を強く握る。
「……帰ろ。早く」
私たちは早足で部屋を離れる。
まるで後ろから狩人が追ってきているように。
生徒会室と、その奥に潜む何かから逃げるように。
旧館の影が、どこかで私たちを見ている気がした。
白い檻のアザレア 愛庵九郎 @1ron9row
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