3-4 鉄門扉

 昼下がりの校舎は、どこか静まり返っていた。

 午後の授業がはじまるにはまだわずかに間がある。生徒たちのざわめきが遠ざかった廊下に、靴音がひとつ、規則正しく響いていく。


 私の歩みに迷いはなかった。

 扉の前に立って、深呼吸ひとつ。

 その重厚な木製のドアには金色のプレートが掲げられている。

 ──生徒会室。


 まるで王の間。

 その扉の向こうには、学園の秩序を仕切る“支配者”がいる。


「……行こう」


 隣で透子が小さく拳を握りしめた。


 私はノックをし、蘭先輩の返事を聞き、勢いよくドアを開け放つ。

 ドアノブの回転音が乾いた金属音を鳴らし、続いて広がるのは──別世界の空気だった。


 床は磨き抜かれたフローリング、壁には古びた洋書がぎっしりと詰まった棚。

 中央には重厚な執務机が据えられ、その背後には黒革の椅子が一脚。

 まるで校長室であるかのような威厳と、どこか芝居がかった装飾的な空間。


 その中心の椅子に、蘭先輩がいた。

 組んだ脚の上に手を置き、指先で金のペンをくるくると回している。

 長いまつ毛が影を落とし、その口元には微笑──いや、笑みというよりも挑発の色があった。


「これはこれは……怪談研究会じゃないか」


 年齢のわりに大人びた声が室内に響く。

 その声は、澄んだ音色の裏に刃を隠していた。


 私は一歩前へ出る。

 透子が小さく息をのむ気配を背に感じながら。


「生徒会長。公式に、旧館の調査許可を取りに来ました」


 室内の空気が、ピンと張りつめる。

 沈黙を切るように、先輩はゆっくりと椅子を回転させた。

 その動作が、まるで舞台のワンシーンのように滑らかだった。


「……旧館?」


 先輩は流し目をこちらに送る。


「あの朽ちた建物のことか。あれはもう危険区域だよ」


 私は引かない。


「知っていす。でも、そこに学園の“ある噂”の真相が眠っている。確かめるために、私たちは許可をもらいたいんです」


 先輩は片肘を机につき、頬杖をついた。

 その表情に、興味と嘲笑が交じる。


「……お前ら、本気で言ってるのか? “怪談研究会”が学院の墓荒らしをすると?」


 私の拳がわずかに震える。

 透子がそっと袖をつかむが、私は一歩も退かない。


「……もちろん、本気です」


 先輩の唇がゆっくりと歪んだ。

 それは笑いをこらえる仕草ではなく、笑いを“溜める”仕草だった。


 豪奢な室内に高笑いが響き渡る。

 その笑いには冷たさと支配の色があった。


「お前たちは、おもしろいな。だが答えは──ノーだ」


 先輩は椅子の背にもたれ、指を組む。


「旧館は老朽化が激しく、生徒の立ち入りは危険だ。何人たりとも入ることは許されない」


 透子が小さく息をのむ。

 私はその視線をまっすぐに受け止め、ゆっくりとポケットへ手を伸ばした。


「……そうですか」


 私の声が、思ったよりも低く響いた。


「でも、それは──嘘です」


 生徒会室の空気が、一瞬で変わった。

 先輩の笑みが止まり、沈黙が落ちる。

 机の上で、金色のペンが小さく転がった音がやけに耳に残った。


「……嘘?」


 先輩が細い眉をわずかに動かす。


「ええ。旧館が老朽化していて危険、というのは事実ではありません」


 私は制服のポケットから、使い込まれた“怪談研究帳”を取り出した。

 ページを開く指先が、少しだけ汗ばんでいた。


「旧館が閉鎖されたのは七年前。でも、建てられたのはその数年前です。

 つまり、築十数年しか経っていない。──老朽化というには、少し早すぎます」


 先輩の瞳が、わずかに細くなる。

 けれど私は止まらなかった。


「外壁や窓はたしかに傷んでいます。でも、柱も基礎も、まだしっかりしてる。

 実際に当時の職員の方にも話を伺いました。

“あの建物は、数十年先を見越して造られてたはずだ”と」


 横に立っている透子が、小さく息をのむ気配がした。

 私の声は震えていなかった。

 それは勇気というより、確信だった。


 静寂が流れる。

 先輩はゆっくりと椅子にもたれ、足を組んだ。

 目だけが鋭く、私を観察している。


 やがて彼女は唇の端を上げた。


「徒手空拳で道場破りに来たわけではないと……。なるほど、筋は通ってるね」


 先輩の声には、挑発と愉悦が入り混じっていた。


「噂や感情ではなく、裏を取って勝負に来た。おもしろい」


 私は視線を逸らさない。


「私は、ただ真実を知りたいんです」


「真実、ね」


 先輩の声が、低くなる。


「その言葉を軽々しく口にするのは危険だよ、椿野」


 胸の奥が、少しだけひりついた。

 でも、退く気はなかった。


 先輩が立ち上がる。

 その動作一つで、空気が張り詰める。

 彼女は、まるで舞台の上の役者みたいに、優雅で冷たい笑みを浮かべた。


「いいだろう。なら、その舌先三寸で、公の許しを勝ち取ってみせろ」


 先輩の瞳が光る。

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