2-5 黒い音で目を覚ませ
アザレア女学院の中庭に、木の机が運び出されていく。
文化祭の準備期間。
花壇には生徒たちが植えた白い花が咲き、校舎の壁を淡い陽光が滑っていく。
私は中庭に並べられた机の白布を整え、しわを伸ばしていった。
布の端を指先でそろえるたび、薄い綿の感触が手に残る。
模造紙を切る音が規則正しく響き、ペンキのにおいが風に混じる。
花壇に植えられた白い花が、陽光を受けて静かに揺れていた。
校舎の壁に反射した光が、中庭全体をやわらかく照らしている。
生徒たちはそれぞれの持ち場で黙々と手を動かし、
文化祭前の学院は、穏やかな準備の時間に包まれていた。
私は机の位置を確かめ、白布をもう一度だけ整えてから、次の作業へ向かった。
そのとき、後ろから軽快な声。
「ふたりともー、真面目に働いてるね。えらいえらい」
柚が、ペットボトル片手に現れた。
スカートのポケットからスナック菓子の袋が飛び出ていた。
「手伝う気あるの?」
透子が呆れ気味に言う。
「もちろん。心の応援を送ってる」
柚は机の端に腰をかけ、祭りの喧騒をぼんやり眺めた。
「ねえ、玲奈。次の旧館調査、どうする?」
「どうするって……蘭先輩の警戒が強すぎる。下手すれば停学よ」
透子の声が低くなる。
「だから、正攻法じゃ無理」
柚がストローを口にくわえたまま、いたずらっぽく笑う。
「でも、逆手に取るのはアリでしょ。あの完璧会長が、“秩序の維持”って言葉に縛られてるうちは」
私は首をかしげた。
「……つまり?」
「乱れを作るの。学院を“混乱”させる。
あの人がそっちの対応に走れば、旧館の前はガラ空き」
透子が目を丸くした。
「まさか、わざと騒ぎを起こすつもり?」
「そうだよ。でもあたしらがやる必要はない」
柚はポケットからスマホを取り出し、何かのバンド映像を流した。
画面の中では、校内のどこかで撮られた練習風景。
金属音のようなギターと、怒鳴るようなボーカル。
透子が思わず耳を押さえる。
「“
柚の声が、妙に楽しそうだった。
私は呆然と画面を見つめる。
「……このお嬢様学校に、そんなグループ存在するの?」
「正式には、いない。非公認。追放寸前。でも腕は本物」
柚はスマホを閉じ、ふたりを見た。
「彼女たち、文化祭でゲリラライブをやりたがってる。
うちらがちょっと協力してあげれば、派手に暴れてくれる」
透子が頭を抱える。
「まさか、これを……利用するの?」
「いいじゃん。
会長は必ず止めに行く。あの人がそんな大問題を放置できるはずがない」
秩序を破ってでも、真実にたどり着く。
私の胸に、ほんの少しの罪悪感と高揚感が入り混じる。
学院の規律を乱すなんて、ふつうなら考えもしないこと。
けれど、旧館への扉を開けるためなら――。
◆
教室棟の裏にある小さな音楽棟。
夜風が吹き抜ける渡り廊下の下で、4人の黒ずくめの少女たちが待っていた。
リーダー格の少女が、私たちを見て口角を上げる。
「怪談研究会がオレらに何の話だよ?」
彼女の名は
三年生で、かつて軽音部を追放された異端のギタリスト。
ステージネームは《RIN・HELL》。
柚が前に出て、砕けた口調で語りかける。
「単刀直入に言うと。文化祭のとき、ゲリラライブをやってほしいんだ」
「……正気?」
「もちろん。あなたたちが全力で暴れてくれれば、こっちは助かる」
凛は目を細めた。
「目的は?」
玲奈が答える代わりに、一瞬だけ透子と視線を交わした。
「――“誰かの注意を、別の場所に向けたい”」
沈黙のあと、凛はフッと笑った。
「いいね。おめぇら、気に入った。オレたちも鬱憤溜まってたとこ。
軽音部の連中が“ハーモニーのノイズ”とか言って締め出しやがったからさ」
「協力の代わりに、条件がある」
柚が口を挟む。
「音響システムと演出はうちでやる。校内電源を拝借して、花火を打ちあげる。
どっちにしろバレたらアウト。そのかわり、絶対に十五分間だけ騒げばいい」
凛は唇の端を吊り上げた。
「十五分? 上等。燃やしてやるよ、十五分で学院ごと」
放火すると勘違いしている透子がハラハラしていた。
夜になると、校内の掲示板に数枚のポスターが貼られた。
白いコピー用紙に黒い文字だけの無骨なデザイン。
【白い檻を壊す音】
十一月○日 昼休み 校内某所
――沈黙を拒む十五分間。
ポスターの端には署名も所属もない。
だが、生徒たちの間で瞬く間に話題になった。
「なにこれ? 本物の告知? 先生に許可取ってるの?」
「これ東雲じゃない? ここでやる気?」
翌朝には、数枚のポスターがすでに剥がされ、
そのたびに別の場所に貼り直されていた。
まるで、見えない手が学院の静けさを乱そうとしているかのようだった。
私と透子は、放課後の廊下でその光景を見下ろしていた。
「……柚の仕業よね」
「たぶん」
私は小さく笑った。
白い校舎の壁に貼られた“黒い文字”は、
この学院の秩序に対する微かなひびのように見えた。
「十五分間だけ、世界が揺らぐ」
私はその言葉を心のなかで繰り返した。
その十五分のあいだに、私たちは――旧館へ行く。
校舎の屋根を吹き抜ける風が、アザレアの花弁をさらっていった。
それはまるで、遠い記憶の断片が時の隙間に舞い上がるようだった。
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