2-3 三者三様

「じゃ、役割分担はこれで決まりね!」


 放課後の部室で、透子が明るく手を叩いた。机の上には、七不思議の資料と旧館の地図、そして柚のノートパソコンが広げられている。


「玲奈が聞き込み、透子は図書室で文献調査、あたしは——まあ、サイバー地下街をちょっとのぞいてくるよ」


「また物騒な……」


 柚は唇の端を上げ、銀色の指輪をいじりながらにやりと笑った。


“黎明心理学研究機構”。

 旧館に関わるその名を、三人で何度も口にしてきたけれど、実態は相変わらず霧の向こうだった。


「聞き込みって言っても、何から話せばいいんだろ……」


 透子がノートを閉じる。


「玲奈は人当たりがいいもの。気負わずに聞けば、きっと何か出てくるよ」


 透子の言葉に少し勇気をもらって、私はふたりに背を向けた。

 こわい。でも、それ以上に、何かを知りたい。

 ――あの夜のこと。あの“既視感”の正体を。


 ◆


 最初に向かったのは、校舎裏の温室の近くにある詰所だった。そこにはいつも、用務員の森下さんがいる。学院に二十年以上勤めているという古株だ。


「珍しいな、椿野さん。この老骨に何か用かい?」


 ほうきの柄を肩に乗せながら、彼は人懐っこい笑顔を向けてきた。


「ちょっと、旧館のことを調べていて……森下さん、あそこが使われていたころのこと、覚えてますか?」


「旧館ねえ……」


 森下さんはしばらく考え込むように空を見上げた。午後の光が、彼の白髪を明るく透かす。


「使われなくなったのは十年くらい前だったかな。あそこには“研究室”があってな。なんでも、学院と外部の研究機関が共同でやってたとか」


「それって、黎明心理学研究機構ですか?」


 私の言葉に、彼は少し驚いたように眉を上げた。


「おお、よく知ってるな。そう、その名前だった。けどな、あそこはどうも雰囲気が悪かったんだ」


「雰囲気、ですか?」


「うん。夜遅くまで電気がついてて、時々女の子の叫び声みたいなのが聞こえた。不思議だろ? しかも、出入りしてたのは学院の先生じゃなくて、白衣の見知らぬ連中ばっかりだった。学生は立入禁止。俺たちにも詳細は知らされなかったよ」


 詰所の時計がカチコチと鳴る音が、妙に大きく聞こえた。


「でもまあ、今となっちゃ関係ない。あそこは封印だ」


 森下さんは、そう言って苦笑したが、その目の奥には言い知れぬ影が差していた。


 ◆


 次に向かったのは、礼拝堂だった。

 ステンドグラス越しの傾きかけた日が鮮やかな光の模様を身廊に落とし、オルガンが静寂のなかで佇んでいた。


 そこにいたのは、学院で最も古い教師のひとり、シスター・ルチア。

 修道服の裾を整えながら、私を見ると穏やかにほほ笑んだ。


「椿野さん。どうしたの?」


「シスター、少しお聞きしてもいいですか。旧館について、何か知ってますか?」


 その問いに、彼女はふと目を伏せた。


「旧館……。あそこには、神に近づこうとした人たちがいたの」


「神に……?」


「ええ。けれど、神の声を聞こうとして、耳を壊してしまった人もいたわ」


 その言葉に、背筋がひやりとした。


「黎明心理学研究機構という名前を聞いたことはありますか?」


「あります。彼らは“心の構造”を探る研究をしていたと聞いています。でも、それは学問ではなく、祈りに似ていました」


 ルチアは首から下げた十字架を指先で撫で、そっと続けた。


「人の心を解明しようとした人たちは、いつも最後に迷うのです。どこまでが神の領域で、どこからが人の業なのか。……その線を、あの人たちは越えてしまったのかもしれませんね」


 私は何も言えなかった。

 静かな鐘の音が、いまにも響いてきそうな気配だった。


 ◆


 日が暮れるころ、部室に戻ると、透子と柚がすでに待っていた。

 机の上には資料とノート、そしてパソコンの光。


「どうだった?」


 透子が顔を上げる。


「用務員さんとシスターに聞いたんだけど……どっちも研究ってより、人の心をのぞく実験みたいなことをしてたって」


「人の心、ね」


 柚がキーボードを叩きながら、片眉を上げた。


「ふーん、なんかロマンチックじゃん。“心をのぞく”とか言われると」


「いや、ぜんぜんロマンチックじゃないでしょ……」


 柚は小さく笑って指を止めた。


「でも、旧館のサーバーにはログがほとんど残ってない。削除されてる感じだね。だけど、一件だけ変なデータがあった。“AZ-Project”っていうフォルダ名」


「エーゼット……プロジェクト?」


「はじまりからおわりまで……ってこと?」


 透子が即座に答える。


「削除・隠ぺいされてる箇所が多すぎて何が何だかなんだけど、ここに何かあるのは間違いないぜ」


 三人の視線が交錯する。


 それは、冗談半分で始めた放課後の怪談ごっこが、いまや現実の“境界”を踏み越えようとしていることを、誰もが無意識に感じ取った瞬間だった。


 柚が軽く笑って言う。


「ね、面白くなってきたじゃん」


「うん……でも、少しこわいね」


 そう答えると、透子は静かにうなずいた。


「こわい。でも、知りたい。この学院が、そして私たちが何に囲まれて生きてるのか」


 私は怪談研究帳にこう記した。


 ※旧館:何らかの研究が行われていたようだ


 部室の窓の外、群青の空が少しずつ夜に沈んでいく。

 黎明心理学研究機構――その名は、夜明けの向こうにある闇のように、私たちを呼んでいた。

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