2-2 怪談研究会、再起動
昼休みの校舎は、戦場だった。
購買前のパン争奪戦を横目に、私は空のトレーを抱えたまま逃げるように群衆を抜け出した。
……だって、廊下の向こうに見えたから。
腕を組んでこっちを見る蘭先輩が。
私はいまだに要注意人物らしい。
私は小動物のような身のこなしで角を曲がり、
人目のない部室棟へと駆け込む。
「……ここなら安全……のはず」
ドアを開けると、珍しい背中が目に入る。
怪談研究会――通称“怪研”。
正式な部員は三名。内ひとりは幽霊部員なんだけど。
「おっ、噂の脱獄犯じゃん」
幽霊がパイプ椅子にふんぞり返っていた。
小柄で中性的な顔立ち。
独特の癖っ毛と赤い縁メガネがトレードマーク。
その手元には、ノートPCとエナジードリンクが二本。
「捕まってません。生徒指導です」
「どっちも似たようなもんでしょ。
生還おめでと。次は懲役コースかな?」
「励ますって概念知ってる?」
「データベースに未登録です」
後ろから、心配そうな声がした。
「玲奈! 無事帰って来れたの!?」
振り向けば、透子が半泣き顔で駆け寄ってくる。
髪はいつもより乱れて、目が真っ赤だ。
寝不足と心配のオーバーフローが見て取れる。
「うん、なんとか。頭は打ったけど、まだ動くから」
「心配したんだから!」
透子の声が裏返る。
柚はそのやり取りを見ながら、ポテトチップスをかじった。
「で、ふたりとも。
夜の旧館に不法侵入して、生徒会長に現行犯逮捕されたわけだけど――」
「“現行犯逮捕”はやめて」
「事実でしょ」
柚はパソコンの画面を回転させて見せた。
そこには、旧館の施設配置図のようなもが表示されていた。
……どう見ても、一般生徒が見られるレベルじゃない。
「ちょっと待って、それどこで手に入れたの?」
「ネットの海の底」
「つまり違法?」
「“努力”って言って」
「で、どこからこれ拾ってきたの?」
透子が聞くと、柚は肩をすくめた。
「まず大事な話。『黎明心理学研究機構』で検索しても、公式な情報は出てこない。法人登録もなし、学術データベースにもまともな資料がない。要は──表向きには存在しない組織、だね」
「え、存在しないって……」
「都市伝説クラスだよね、けど私が興味を持ったのは“無いこと”より、“隠され方”の方」
柚は画面上でいくつかの窓を切り替える。どれも空振り。だけど、その内のひとつにPDFのサムネイルが残っているのが見えた。
「で、見つけたのがこいつ」
柚が指差す先のファイル名は、古臭い書式の英文タイトル。出版社や学会の正式マークはなく、代わりに手書きの注記と「CONFIDENTIAL(摘)」というスタンプが薄く読み取れる。
「タイトルは『反復観察による意識同調現象の外部臨床評価──臨床事例と倫理的考察』。
発行はどこかの私設リポジトリに投げられた一枚物。“まともそうな面した怪文書”だよ」
柚が少しだけ真面目な顔をすると、部室の空気がすっと変わる。彼女の“本気”は長続きしない分すごみがある。
「読んでみて」
透子が差し出したプリントを受け取り、私はイスに腰掛ける。見出しと図表が詰め込まれていて、ところどころに奇妙な注釈が差し込まれている。
被験群:女子(n=12)
観察装置:鏡面被覆室(Mirror Chamber)
測定値:同調係数 = 0.65 ± 0.12
注:観察は一方向(観察者→被験体)。被験体の主観的報告は二次資料として扱うこと。
小さな段落の最後に、もっと気味の悪い一行が続いていた。
付録A(封印):被験体Cに関する定性的記録は保存上の理由により削除済み
「付録A……削除済み?」
透子が小さく息を漏らす。
「お約束すぎる」
柚は肩を震わせて笑う。一瞬、ジョークに聞こえるのだが、その笑いの後ろに冷たい何かがある。
「本文によるとさ、外部の評価チームは“倫理的配慮”として被験者の同意を確認できなかったと記している。で、興味深いのはこんなフレーズ」
柚は指で行を追いながら読み上げる。
「“被験体の反応はデータとしてのみ有効。感情残滓の解釈は観察者に委ねられる”――観察者側の記述だね。要は『あんまり詮索すんな』ってこと」
「詮索するなって、言われてもね」
透子が小声で言う。
「それに、ここにある図表の注に“鏡面はビームスプリッターで、別室から観察可能”って書いてある。まるで被験者を別の部屋から眺めるための設備ってことだよ」
柚が目を細める。
「鏡面……もしかして“鏡の間”のこと?」
私が聞くと、柚はうなずく。
「そう。さらにおもしろいのは、資金出所の断片。研究費の一部が匿名の“財団X”からの寄付とされている。つまり表には出せない資金で動いてた可能性が高い。倫理的にはなかなか黒そうだぜ」
柚は軽く肩をすくめ、ポテチを一枚口に押し込む。
「結局、ネットで直球検索しても“黎明”は出てこない。でも、外側からこっそり投げ込まれた“研究論文”はある。しかも情報が削られてる」
柚はモニタを指でタップした。
「外側から迫るって、そういうこと?」
透子が眉をひそめる。
「うん。正面突破はできないけど、
柚はにやりと笑った。
「まるで考古学だね」
私は感心していいのか迷った。
「考古学的ハッキングだよ。土を掘る代わりにログを掘るだけ」
三人で紙をのぞき込みながら、部室の窓の外を昼休みの集団が歩いて行くのを見る。その喧噪と私たちの小さな“遺跡調査”の対比が、どこか楽しくもある。
「とにかく、方針は決まりだ」
柚が人差し指を立てる。
「古い論文を手がかりに、関連記録と照合していく。図書館の古雑誌、アーカイブ、匿名リポジトリ、昔の卒業論文、職員の古いメールログ――できるかぎり外側から攻める」
透子が目を輝かせる。
「それ、おもしろそう! なんか探偵みたいでワクワクする」
柚は冷めた目で二人を見てから、また妙な笑みを浮かべた。
「ワクワクは大切。あとで心が折れるかもしれないけど、その時は脳内メンテナンスしてあげる」
「それ、慰めになってるの?」
私の言葉に、柚は胸を張って答えた。
「きみたちの脳みそいじくって、楽しい思い出だけを無限にくり返してあげるよ」
柚が笑い、透子はそれは勘弁という表情を浮かべる。けれどみんなどこか逸った気持ちで。私たちは確かに、動きはじめていた。
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