1-6 少女検証中

 寮の廊下を抜けて、自分の部屋のドアを開けたとき、いつもの小さな世界が私を迎えた。


 白いシーツのかかったベッド。窓際に寄せた学習机。カーテンは薄い生成りで、外の明かりをほんのり通す。

 私はカーテンを引き、机のランプを点けた。暖色の光を見ると、少しだけ安心する。


 私の部屋は、典型的な寮室だ。誰かが見たら「個性がある」と言うかもしれない。机の上には、透子といっしょに遊びに行ったときの写真が数枚飾ってある。

 古いボイスレコーダー、使い込んだ懐中電灯、透子にもらった小さなアクリルの花のキーホルダー――それらがごちゃごちゃと並んでいる。


 壁の一角には、私たちが集めた噂やメモを貼った小さなスクラップボードがある。そこには新聞の切り抜きや、地図のコピー、私が書き残した「旧館→鏡の間」みたいな走り書きがある。


 私は鞄を置いて、カーペット敷きの床に座った。


 頭の奥がまだ重い。だけど、私がどうしてもと頼み込んで、透子とふたりでアザレアの怪談を整理してみることになった。

 作業に手をつけると、妙な活力が湧いてくる。知りたくてたまらない自分がいる。


「じゃあ、まとめてみよっか」


 透子が折りたたみデスクにノートを広げながら言った。いつもの穏やかな口調で、私を見て困ったような顔で微笑する。

 私は深呼吸して、ノートをのぞき込む。

 透子がひとつずつ項目を指して読み上げる。


《アザレア女学院の七不思議──私たちのまとめ》


 ・旧館の少女(鏡の間)

 旧館に鏡張りの部屋があるらしく、夜になるとそこに“少女の幽霊”が現れるという。

 この部屋が、何のために使われていたかは不明。


 ・保健室の声

 深夜、誰もいないはずの保健室から会話や機械の音が聞こえるという話。

 「録音された音声を流しているようだ」と証言する子もいる。


 ・開かずの資料室

 教師も立ち入れない、厳重に閉鎖された資料室。

 噂によれば、中には普通の学校のものとは違う記録が保管されているらしい。


 ・消える名簿

 数年に一回、生徒名簿から誰かひとりの名だけが消えているとされる。

 消えた名は記録にも残らないという話がある。


 ・忘れものロッカー

 誰も入れていないのに、たまにロッカーに“自分の持ちものではない物”が入っている。

 持ち主不明の名札、古い日誌、鍵……。


 ・踊り場で泣いている子

 夜の校舎の階段を下りると、踊り場で、小学生くらいの女の子が泣いているという。

 その女の子は、ツインテールの髪型、白いワンピース、こちらに気づくと追いかけてくる、などの特徴があるという。


 ・午後五時の鐘の音

 放課後、決まってその時刻に礼拝堂から鐘が鳴る。理由を尋ねると、昔の設備の時刻に由来するとか、古い礼拝の儀式の名残だとか言われる。


 透子がひとつひとつ説明してくれる。私はノートにペンを走らせながら、項目の横に小さなチェックマークをつける。


 どれも怪談としての興味深さはあるが、同時にどこか“科学的”な香りがする。観察される、記録される、再生される──その共通項が私の中でじわじわと温度を上げていく。


「ねえ、この中で気になるのはどれ?」


 透子が聞く。

 彼女の目が真剣だ。私たちはいつもこうやって噂を解体して、現実の説明を当てはめていく。


 私は“鏡の間”と“踊り場で泣いてる子”を指した。


「これがわかりやすく怪談っぽいかな。歴史の長い学校だから、過去に何か不幸なことがあった生徒の想いが残ってるとか……ありがちな話だと思う」


「でも、アザレアって中高一貫校でもないし、まして小学生の怨念なんて残りようがないと思うけどなぁ……」


 透子はペンを持ちながら口元に手を当てて思案する。


「たしかに。あと、保健室の声って……声が“機械的に”流れてるっていう証言があるの。誰かが勝手にテープを流してるとかじゃなくて、設備が勝手に再生するような──」


 そう話ながら、机の上のボイスレコーダーが、突然別の世界からの声を拾ったらどうしようなんて、馬鹿げた想像で身震いする。


「そういえば――蘭先輩に注意されたでしょ?」

 

 透子が話を変える。


「うん。『近づくな』って。遠回しに警告するような言い方で、逆に気になっちゃうよね」


 私は正直に答えた。


 透子は小さく笑ったけれど、その目には影があった。


「カリギュラ効果ね。禁止されると余計にやりたくなる」


 私の胸の中では何かがまた動いた。頭の奥の痛みが、じんわりと広がる。片頭痛というよりも、脳のどこか一部が失われていく感覚。


「でも、もうやめようと思ってるんだよね。先輩に見つかったら面倒だし」


 私はそううそぶいた。けど、その言葉とは裏腹に、心のどこかですでに決めていた。知りたい気持ちが、理性より大きくなっていく。


「ほんとにやめるの?」


 透子が聞く。私はしばらく黙った。窓に映る自分の影とにらめっこする。

 やっぱり透子は、私のことはお見通しみたいだ。


「……ほんとは、確かめてみたい」


 言葉と同時に、後悔という冷たい手が胸を掴んだ。それでも、私の口元は笑っていた。透子は少し躊躇ったあと、小さくため息をつき、ノートを閉じた。


「じゃあ、明日の放課後に行ってみよ。今夜は寝て、体調整えて。無理はしないでね、玲奈」


「ありがと」


 私は顔を上げてにっこり笑う。

 けれど、その瞬間、窓に映った私たちのシルエットが、少しだけ遅れて動いたように見えた。

 気のせいだと言い聞かせて、ふと手元のキーホルダーに触れる。透子からもらったアクリルの花が、指の間で震えていた。


 明日の放課後、旧館に向かう約束をして、透子は自室へと戻った。


 夜が深まるにつれて、寮の廊下はより静かになった。

 私は机に向かい、ノートに今日のまとめを書き残す。項目の下に、小さなメモを書き添えた。


 ※旧館は何のために作られた施設なのか?

 ※七不思議は何らかの記録に関するものが多い?


 書きながら、自分でその言葉を読み返すと、胸の奥の違和感がまた鋭くなる。不思議なことに、その違和感は恐怖よりも期待に近い。知ってはいけない一粒の秘密が、私の手の届くところに転がっているような――そんな感覚。


 窓の外の闇が、さらに深くなっていく。


 

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