第7話
名前の種を手渡す日
「また、本当に長い付き合いね」
そう口にした瞬間、
自分たちの時間が、ゆっくりと満ちた川のように流れてきたことを、
あらためて実感した。
推しは笑って、
「あの……子どもの名前、つけてもらえますか?」
と、まるで何でもない提案のように差し出してきた。
その無邪気さに、私は息をのんだ。
名付け――
それは、言葉を生業とする者にとって、
もっとも静かで、もっとも重い祝福の仕事だ。
ましてや、彼の子どもに。
そんな未来の扉が、私の言葉で開く日が来るとは。
人生のどこかで予想できるものではない。
「ま……いいわよ。
あなたのこと、ずっと見てきたしね」
そう言うと、推しは安心したように目を細めた。
その瞬間、私の胸がゆっくり温まった。
あぁ、この若い男とは、
本当に長い付き合いになったのだ。
---
帰宅して、硝子ペンの前に座る。
まだ生まれてもいない子どもへの名前は、
紙の上で静かに揺れている。
名付けとは、
未来のためにひとつの光を置くことだ。
その光が、人生のどこかで誰かを照らす。
彼の子どもなら、
きっと優しい子になるだろう。
人の心に触れる仕事をする父の、
深い声と、にじむ誠実さを受け継ぐ。
私は思う。
この子に“あてがき”をする日も来るのだろうかと。
推しの子どもが成長し、
いつか舞台に立つかもしれない。
そのとき、私はまた硝子ペンを握り、
新しい言葉を紡ぐのかもしれない。
推しから、
推しの子へ。
言葉はゆっくりと受け継がれていく。
言葉もまた、発酵する。
私の人生は、
想像もしなかった景色を見せる。
「名付け親になるなんてね……」
呟いた声が、
なんともいえない甘さを帯びていた。
若い頃には、
こんな幸福の形があるとは思わなかった。
恋ではない。
家族でもない。
それでも深くつながる、長い時間の糸。
未来の子どもの名を一文字書くたびに、
紙の上に、新しい季節の匂いがふっと立ちのぼった。
人生は続く。
推しも、私も、その向こうも。
そして、今日も硝子ペンの先は、
静かに未来を描いている。
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