第2話 貴族の青年

 人さらいの男たちを追ってネルはゆるやかな山の斜面を駆け上った。

 その強靭きょうじんな足腰と軽快な身のこなしでネルは見る見るうちに男たちに接近する。

 そして走りながら慣れた動作で弓に矢をつがえた。

 まだ人攫ひとさらいの男たちまでの距離は80メートルほどはあるが、ネルは強靭きょうじんな筋力で弓弦ゆんづるを引いて矢を放つ。

 

 それは木々の間をうように飛び、人攫ひとさらいのうち1人の首を貫いた。

 そしてネルはそれを確認することもなく、つがえた2本目の矢を放つ。

 走りながらの射撃だというのに、2本目の矢も正確にもう1人の人攫ひとさらいの首を貫いた。

 ネルはそれでも注意をおこたらず、立ち止まって周囲の気配を探る。


 山の空気は独特で、けものや人が近くを移動していると、わずかな物音などで気付けることがある。

 そうして周囲に人がいないことを確認すると、ネルはゆっくりと歩きながら被害者の男の元へ向かうのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 茂みの中に身を隠しながら山賊さんぞくの男は息を殺して状況を見つめていた。

 最近、この山によく姿を見せている貴族の若者をさらってくるようにと山賊さんぞくの頭目に命令され、仲間と共に若者を誘拐ゆうかいしたのだが、その途中でこの男だけは急な腹痛に襲われて茂みの中で用を足していたのだ。

 終わったらすぐに仲間たちに合流しようと思った。

 だがそこで彼は仲間たちの悲鳴を聞いたのだ。 


(ど、どうなってんだこりゃ……)


 貴族の若者を抱えて運んでいた仲間2人は飛んできた矢に首を貫かれ、あっと言う間に死んだ。

 そこに現れたのは赤毛のたくましい女だったのだ。

 女は戦士だった。


(女の……戦士)


 うわさには聞いたことがある。

 西の隣国りんごくである共和国の近くには赤毛で褐色かっしょく肌の女戦士の国があると。

 彼女たちは男よりも大きな体格を誇り、並の戦士を遥かに凌駕りょうがする戦闘能力を持つという。

 見つかれば自分も殺されてしまうだろう。

 そう恐れた山賊さんぞくの男は物音を立てぬよう茂みの中に潜み続けるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 人攫ひとさらいに連れ去られる寸前にネルに救われたその若い男は、まるで神をあがめるかのように両手を組んでひざまずきながらネルを見た。


「あ、ありがとうぉぉぉ! 助かったよぉぉぉぉ」


 泣きべそをかきながら礼の言葉を述べるその男を無視して、ネルは首に矢が刺さった男たちに近付いていく。

 けものを狩る時に気を付けねばならないのは、死んだと思ったけものが息を吹き返して反撃してくることだ。

 油断していると、こちらが致命傷を負うことになる。

 そうならぬためには「止め刺し」と呼ばれるトドメをきっちり刺さねばならない。

 それは人間が相手でも同じだった。


 ネルは腰に帯びているなたを抜き放つと、うつせに倒れている男の背中を足で踏みつけて、その首をザクッと切りつけた。

 途端とたんに男の首からおびただしい量の血が流れ出る。

 地面を染める赤い血だまりを見た若い被害者の男は思わず悲鳴を上げた。


「ひいっ!」


 それを無視してネルはもう1人の倒れている人攫ひとさらいも同じように首を深く切りつけた。

 止め刺しが終わると、血で汚れたなたを遺体の服でぬぐう。

 そして無表情で若い男を見下ろすと、ネルは理解した。

 男がなぜ誘拐ゆうかいされそうになったのか。


 やわらかそうな茶色の髪はよく手入れがされていて、服装も生地きじの良い服を着ている。

 一目見て貴族の息子と分かる風貌ふうぼうだ。

 十中八九、身代金みのしろきん目当てで誘拐ゆうかいされかかっていたのだろう。

 しかしそんなことはネルにはどうでも良かった。


「金」


 それだけ言うとネルは若い貴族の男に手を差し出した。

 貴族の青年はわずかに顔を強張こわばらせ、言いにくそうに言葉をしぼり出す。


「あ、あの……今は持ち合わせがなくて……」


 そう言う青年にネルはため息を吐き、再び弓に矢をつがえてやじりを彼の鼻先に突き付けた。

 あわてた青年は顔面蒼白で必死に言い訳をする。


「ま、待って! い、家! 家に戻ればちゃんと払えるから! い、一緒に付いて来て!」

「アタシはヒマだが、どこにあるかも分からないおまえの家に付いていってやるほどお人よしじゃねえ。金がねえなら3人目の死体になりな」

「わ、分かった! こ、これ……これ渡すから!」


 そう言うと貴族の青年は左手の人差し指にはめられた指輪を取ってそれをネルに差し出した。

 それは翡翠ひすいおぼしき鮮やかな緑色の指輪だ。

 ネルは指輪の価値は分からなかったが、これ以上ここで押し問答をしていても無駄むだだと思い、弓を降ろして青年の手から指輪をひったくった。

 ネルが矢を矢筒にしまい込むのを見ると青年はホッと安堵あんどの息をつく。


「と、とにかく助かったよ。僕はナサニエル。この山で仕事をして……ってちょっと待って」


 ナサニエルと名乗った男の話の途中で、ネルはサッサとその場を後にして山を登っていく。

 ナサニエルはあわててネルの後を追った。


「ねえ! ちょっと待ってよ! 君!」

「うるせえな。アタシはあんたを助けた。あんたは代価を支払った。それで終わりだ。他に用はねえよ」

「ぼ、僕があるんだよ。君、すごい弓の名手だね。赤毛の髪に……その肌の色……もしかして君ってダニアの戦士? は、初めて見たよ」


 さっさと山を登っていくネルに必死に追いすがりながら、ナサニエルはそう言った。

 ダニアの女戦士。

 燃えるような赤毛で褐色かっしょくの肌、そして高い身長と筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる肉体を誇る彼女たちは、このシスタリスのとなりの国である共和国ではめずらしくなかった。

 共和国の主要都市には必ず同盟国であるダニアの駐留部隊があり、赤毛の女戦士らはむしろよく見かけられる存在だ。

 だが彼女たちが東側諸国におもむくことはまったく無いため、東に住む人間にはダニアの女戦士を見たことのない者が多いのだ。


「その弓の腕を見込んで仕事を頼みたいんだ!」

「断る」

「君にしか出来ない仕事なんだ。正式に契約してくれるなら、今度こそ報酬を払う。決して失望はさせない額だ。せめて依頼内容だけでも聞いてくれないか?」

「断る」


 ネルはナサニエルをまるで相手にすることなく、足を速める。

 だがナサニエルはあきらめずに食い下がった。


「君の弓の腕をちゃんとした報酬という評価に変える好機だと思わないか? そんな翡翠ひすいの指輪程度じゃなくて、もっと大きな評価を得るべき……」


 そう言いかけたナサニエルは突然ネルが振り返って、鋭い眼光で自分をにらみつけてきたのを見て思わず身をすくめる。

 ネルは一足飛びにナサニエルに近付くと右手で彼の首を鷲掴わしづかみにしてめ上げた。

 女とは思えない腕力にナサニエルは呼吸が出来なくなり、苦しげにもがく。


「うごっ……」

「おい。さっきからゴチャゴチャとうるせえぞ。しつこいんだよテメー。アタシは別に必要以上の金もいらなけりゃ、他人からこの弓の腕を評価してほしいとも思ってねえ。これ以上付いてくるなら、両足をへし折って歩けなくしてやるぞ」


 そう言うとネルは力任せにナサニエルを押し倒して地面に叩きつけた。


「かはっ! ゴホッ! ゴホッ!」


 ロクに受け身も取れず、ナサニエルは背中を地面に強打して、苦しげにむせあえぐ。

 それを見たネルはフンッと鼻を鳴らしてその場にナサニエルを置き去りにするのだった。

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