第3話 渓谷

「お頭! あの貴族の坊主をさらいに行ったら……2人が死んだ!」


 息せき切って駆け込んできた部下の報告に、山賊さんぞくの頭目であるデクスターは怒りの形相ぎょうそうでその部下をなぐり飛ばした。


「ぐえっ!」 

「馬鹿野郎! 何を言ってやがるのかちっとも分からねえぞ! 何であのカワイイ坊やをさらいに行って俺の部下たちが死ぬんだ? 転んで石に頭でも打ち付けたのか? そんな間抜けが俺の部下にいてたまるか!」


 山賊さんぞくたちが根城にしている山の洞穴ほらあなでは、総勢50名ほどの手下を、デクスターという男がまとめていた。

 元々このシスタリスの兵士だった大柄な男だ。

 男色家であり、部下だった若い男を強姦ごうかんして軍から追放されたデクスターはその後、この近隣きんりんの土地で山賊さんぞくとして略奪稼業にいそしみ、民を苦しめていた。

 なぐられた部下は必死に立ち上がり、すぐさま頭の中を整理して懸命けんめいに言葉をしぼり出す。


「ダ、ダニアの女戦士だ! とんでもねえ弓の使い手で、一撃で仲間たちは殺されちまったんです。赤毛に褐色かっしょく肌で……女だってのにえらく筋肉質で……」


 ダニアの女戦士。

 その言葉に山賊たちは一様にまゆをひそめる。

 となりの共和国には男よりも強い女戦士の一族がいるというのは皆聞いたことがあるが、この辺りで見かけたことのある者はいない。

 デクスターはなぐりつけた部下の胸ぐらをつかんですごんだ。


「その情報……確かなんだろうな?」

「へ、へい。この目で見ましたから」

「相手は何人だ?」

「み、見たところ1人でした」


 おびえながら必死にそう言う部下にデクスターはフンッと鼻を鳴らした。


「全員、たてを2枚ずつ持て。相手は弓兵だ。包囲網ほういもういて取り囲むぞ。ダニアの女か。殺してもいいし、殺さずに捕らえておまえらが適当にかわいがってやってもいい。俺たちに喧嘩けんかを売ったことを死ぬほど後悔させてやれ」


 そう言うデクスターに山賊さんぞくの男たちはいきり立って声を上げる。

 部下に手を出すこともあって頭目の男色趣味についてはあまりよく思わぬ山賊さんぞくたちだが、女を捕らえた時は自分たちに任せてくれるので、その点は幸運だと彼らはいやしい笑みを浮かべながら思うのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「……面倒だな」


 がけに立ったネルはがけ下を見下ろしながらそう言って顔をしかめた。

 貴族の青年ナサニエルを置き去りにして山を登ってきたネルは、渓谷けいこくに差し掛かっていた。

 がけの下の川までは20メートルほどの深さがあり、向こう岸まではやはり20メートルほどの距離があるがけには、まったく橋がけられていなかった。

 道は渓谷けいこく迂回うかいするように下りながら続いている。

 向こう岸に渡るためにはグルリと遠回りをしなければならなかった。


「まあ、ノンビリ行くか。急ぐ旅でもないし」


 そう言って下り坂を進もうとしたネルだが、不意に足を止めた。

 視覚、聴覚、嗅覚。

 そうした感覚で彼女は不穏ふおんな気配を察知した。

 そしてネルは大きな声を張り上げる。


「おい! 用があるならコソコソしてねえで出て来な!」


 ネルの声が渓谷けいこくに響き渡り、茂みの中から大勢の男たちが姿を現した。

 彼らは見たところ十数名おり、坂道の上と下からネルをはさみ撃ちするように陣取っている。

 ネルはすばやく弓に矢をつがえると嘆息たんそくした。


「やれやれ。さっき殺した奴らの仲間か? かたき討ちとは随分ずいぶんと仲間思いだな。大将はどいつだ?」


 ネルの言葉に一番背丈のある男が一歩前に出た。


「俺だ。威勢いせいがいいな。ダニアの女。このデクスターの縄張なわばりであまりはしゃぐと後悔することになるぜ?」

「そうかい。アタシは後悔しないほうにけるね」

「ほざけ。部下に手を出されたんじゃ俺もだまっちゃいられねえ。ケジメはつけるぜ」


 そうすごむデクスターにネルは肩をすくめて見せた。


「やめとけよ。そのケジメのせいで死ぬことになるぜ。そうなってもうらむなよ」


 そう言うとネルはデクスターと名乗る頭目の男に向かってすばやく矢を放つ。

 しかしデクスターはすぐさま両手に持ったたてを一つずつ構えて、それで顔と体を守った。

 デクスターの首をねらって放たれた矢はそのたてに突き立ってはばまれる。


「チッ!」


 ネルは舌打ちを響かせる。

 見るとデクスター以外の山賊さんぞくたちも左右の手にたてを持っている。

 弓兵対策だった。


 基本的に弓兵は離れた場所からの不意打ち射撃を基本戦法とする。

 たてなどで防御に重きを置いた相手と面と向かって対峙たいじすると、途端とたんに不利になるのだ。

 だがネルはあせらなかった。


「へっ。随分ずいぶんと保守的な山賊さんぞくどもだな。たった1人を相手にそろいもそろってたて2つでガッチリ守りの姿勢か。山賊さんぞくやるにはちょっとばかり荒々しさが足りねえんじゃねえの?」


 そう言うとネルは次の矢を弓につがえ、下り坂を一気に駆け下る。

 彼女はまるで猫のように素早く身軽だった。

 下り坂の下方でたてを構える山賊さんぞくたちの間に1人、あみを持った男がいる。

 あみを投げ、相手にからみ付かせて捕らえるためのものだろう。


 その男だけはたてを持っていない。

 他のたてを持った男が彼を守るように取り囲んでいる。

 だが、それでもわずかな隙間すきまはあった。

 ネルはすぐさま矢を放つ。

 すばやく飛んだ矢はせま隙間すきまを通って男の首に命中した。


「ぐげっ……」


 まさかそんな隙間すきまを正確に射通いとおせるとは思わなかったのだろう。

 あみを持った男はのけって倒れ、白目をいて絶命した。

 ネルが首をねらって放つ矢は、確実に相手の頚椎けいついを断ち切るため、当たった相手はほぼ即死する。

 そして矢が1本通れる隙間すきまさえあれば、ネルはそこを射抜く自身があった。


 山賊さんぞくたちはネルの弓矢の腕が想像以上だと知り、驚愕きょうがくして必死にたてで自分の急所を守る。

 それを見たネルは山賊さんぞくたちの守りの姿勢を鼻で笑い、腰袋こしぶくろの中から小袋こぶくろを取り出してそれを山賊さんぞくたちの頭上に放り投げた。

 そしてすぐさま弓に矢をつがえて放つと、矢は正確に空中の小袋こぶくろを撃ち抜いた。


 これがほんの一瞬の出来事だ。

 やじりで貫かれた小袋こぶくろは破裂し、中から真っ赤な粉が舞い散った。

 それを浴びた山賊さんぞくたちは激しくき込んで苦しみ出す。


「ゴホッ! ゴホゴホッ! 何だこりゃ!」


 ネルが放り投げたのは刺激の強い辛子からしを粉末状にした目潰めつぶしで、目に入ったり吸い込んだりするとしばらく地獄の苦しみを味わうものだった。

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