この大陸には西から３つの大国が存在する。

　王国、公国、共和国。

　そして大陸の中央部に位置する共和国よりも東には１２もの小国がひしめき合っていた。

　小国同士は対立と争いの歴史を繰り返してきた過去から脱却するため、５０年ほど前から争いを止めて連合を組んでいる。

　それが東側諸国連合だ。

　しかしどの国も険しい山や深い森といった未開の地が多く、人々はそうした厳しい自然の隅で慎（つつ）ましく暮らしていた。

　西側の大国３国に比べると東側諸国はどこも貧しい国々だ。

「まあ、こんなもんか。共和国に比べりゃ見劣（みおと）りするが、山も森も十分だ。これなら食うもんには事欠かねえだろうよ。悪くないぜ。シスタリス」

　焚（た）き火の近くでネルはそう言うと、朝食として弓矢で仕留めた野兎（のうさぎ）を小刀で器用に皮を剥（は）いで捌（さば）いていく。

　シスタリスというのは彼女が今いる国の名だ。

　西側の国境を共和国と接する小国だった。

　一晩の宿にした山の麓（ふもと）の街を出ると、ネルはそのまま山に足を踏み入れた。

　目指すは山を越えてシスタリスの東部だ。

　焚（た）き火で兎（うさぎ）の肉を焼くと、街で買っておいたタレを塗り込んでいく。

　さらに火で炙（あぶ）ると何とも言えない香ばしい匂（にお）いが漂（ただよ）い始め食欲を誘った。

　ネルはその匂（にお）いを胸いっぱいに吸い込む。

「街で男と食う飯も悪くはないが、やっぱりこっちの方がアタシ向きだな」

　そう言うネルの頭上でピロロロと甲高い鳴き声が響いた。

　ネルは即座に弓を手に取り矢を番（つが）え、上方に目を向ける。

　すると上空を旋回（せんかい）していた一羽の鳶（とび）が急降下してくるのが見えた。

　ネルの焼いている野兎（のうさぎ）の肉を狙（ねら）っているのだ。

「フンッ。こいつはアタシの朝飯だぞ」

　そう言うとネルは上空数十メートルから舞い降りて来る鳶（とび）を狙（ねら）って矢を放った。

　風を切って飛ぶ矢は見事に鳶（とび）に命中してその胴を貫く。

　鳶（とび）はアッサリと撃ち落とされ、地面に落下して息絶えた。

　

「昼飯は焼き鳥に決定だな」

　ネルは満足げな顔で弓を地面に置くと、いい具合に焼けた野兎（のうさぎ）の肉にかぶりついた。

　彼女のしなやかな体は鍛（きた）え上げられた筋肉に覆（おお）われている。

　ネルはこのシスタリスから西に遠く離れた共和国と公国の間の緩衝（かんしょう）地帯に存在するダニアという都市国家の出身だった。

　ダニアは街が一つだけの極小国家だが、共和国との強固な同盟関係を誇る。

　ダニアには金の女王と銀の女王という２人の女王が存在するが、そのうちの銀の女王が共和国大統領の妻になったことが同盟関係をより強めていた。

　そしてダニアの一族の特徴は男よりも女のほうが背が高く体格がいい。

　女たちは筋力も強く運動神経に優れているため、戦士として国を守る役目を負っていた。

　対照的に体が小さい男たちは身の回りの世話をして女たちを支えるという特異な一族だった。

　ダニアはその武力をもって共和国の防衛に当たることで、共和国にとっても欠かせない重要な同盟相手の地位を確固たるものにしたのだ。

　ネルはそのダニアの国で弓兵として働いていた。

　若いが天才的な弓の腕を買われて、将来は弓兵隊の隊長になると目された人物だ。

　だが半年ほど前にネルはその一族から離れ、国を出て来たのだ。

　おそらくもし今国に戻れば、彼女は脱走兵として罪に問われるだろう。

　

　もちろん国に戻るつもりなど毛頭ない。

　罪に問われることを恐れているわけではなかった。

　ネルは……自由を欲したのだ。

　誰からも縛られない生き方をしたかった。

　そして国を出て半年間、旅を続けてネルは今ここにいる。

　特に行くアテがあるわけではない。

　ただ大陸の東側はネルにとって未知の土地であるため、のんびり何年もかけて１２すべての国を回ってみようと思っていた。

「さて、朝飯も済ませたし、山登りといくか」

　そう言ってネルが立ち上がったその時だった。

　どこからか叫び声が聞こえて来たのだ。

　山なので時折、鹿（しか）の鳴き声や狼（おおかみ）の遠吠えが聞こえることはある。

　だがそれは明らかに人の声だった。

　男の声だ。

「た、助けてくれぇぇぇ！　誰かぁぁぁ！」

　ネルは声のした方に目を向ける。

　すると２００メートルくらい先の斜面（しゃめん）を登っていく２人の男の姿が見えた。

　その男たちは２人がかりで小柄な男を抱えて運んでいた。

「人攫（ひとさら）いか。気の毒に」

　言葉とは裏腹に少しも気の毒そうではない口調でそう言うと、ネルは出発のために片付けを始めた。

　哀（あわ）れな男の声が虚（むな）しく響く。

「助けてぇぇぇ！　頼むからぁぁぁ！」

　ネルはそれを一切無視した。

　人攫（ひとさら）いなんてこの世には腐（くさ）る程いる。

　いちいち助けていたらキリがない。

　そもそもネルは正義感とは無縁の女だった。

　人助けなど自分に利益がない限りするつもりはない。

　男は必死に抵抗しているようで、人攫（ひとさら）い達の苛立（いらだ）った声が聞こえてくる。

「おとなしくしろ！　黙（だま）れ！」

「嫌だぁぁぁぁぁ！　そ、そこの赤毛のお姉さん！　助けてぇぇぇ！」

　ネルは苛立（いらだ）って舌打ちを響かせた。

「チッ。こっちを見ていやがるな。しつこいんだよ。あきらめておとなしく攫（さら）われな」

　ネルはそう吐き捨てると私物を入れた袋（ふくろ）を背負い、焚火（たきび）に水をかけて消した。

　それでも男の悲痛な声はより一層の悲壮感を帯びて、ほとんど泣き叫ぶように響き渡る。

「助けてくれたらお金払うからぁぁぁ！　お願いしますぅぅぅぅ！」

「……はぁ」

　ネルはため息をついた。

　自由な旅で食料はいつでも山や川で調達できる。

　それでも街で生活必需品を買ったり矢の補充をしたりするには最低限の金が必要だった。

　そしてネルは今ちょうど懐（ふところ）が寒くなりつつある。

「ま、小遣（こづか）い稼（かせ）ぎならいいか。金を持ってなければ身ぐるみ剥（は）いでやりゃいいし」

　

　そう言うとネルは面倒くさそうに男たちを追って斜面（しゃめん）を駆け上がり始めるのだった。