第5話「愛らしい少女」

 迎えた放課後、帰る準備を済ませた俺は、すぐにA組へと向かった。


「来ると思っていたわ」


 A組に入ると、机と椅子が両左右の壁へと寄せられており、不自然に中央が開けられている。

 お付きの女子たち――というか、A組の女子たちが机と同じく左右に別れるようにして立っている中、声を発した主は中央後方にデカデカとした態度で座っていた。


 まるで、玉座に座る女王だ。


 その膝の上には、右手首に包帯を巻いている風麗ふれいが、気怠けだるそうに翠玉えめらへともたれていた。


「まさか待っていてくれたとは……。話をさせてほしいんだ、いいかな?」


 俺は左右から寄せられる敵意の視線に晒されるが、それらの視線は無視して翠玉に話しかける。


「話、ね……こちらはあなたと話すことなんて、何もないのだけど?」


 意外……というか、随分と落ち着ているな……?


 昼間の様子を踏まえるに、今も荒ぶっていると思っていたがその様子はない。

 そして、言葉通り本当に話すつもりがなければこのように待ち構えてなかっただろうから、交渉の余地はありそうだ。


「今回はこちらの落ち度だったから、謝らせてほしいんだ。天上院さん、腕は大丈夫だった?」


 紛らわしいが、俺は苗字で呼んで風麗に状態を聞いてみる。


「ひねっただけ……」


 風麗は短く返してくると、甘えるように翠玉の首元に顔を優しく擦り付ける。

 それだけで、翠玉の機嫌がよくなったのがわかった。

 本当に、風麗のことがかわいくて仕方がないようだ。


「そっか、本当にごめんな。治療費が必要なら、俺のほうで出すから」


 翠玉が慰謝料として馬鹿みたいな金額を言ってくる可能性はあったが、今の落ち着いた様子を見るにそれは杞憂きゆうだったのだろう。

 となれば、雛が酷いことをされないように、話を円満に終わらせるだけだ。


 そう思ったのだけど――。


「何を、もう許されるつもりでいるの?」


 翠玉は突然、敵意を秘めた瞳で俺を見据えてきた。


 地雷を踏んだ……?

 いや、違う。

 さすがに先程の発言は、今までの翠玉を考えるなら地雷じゃない。


 元々、円満に終わらせるつもりがなかっただけか……。


「雛に嫌がらせをするのはやめてほしい。何かあるなら、俺に言ってくれないか?」


 今回雛が悪いというのはわかるけど、それであの子がいじめを受けるのはおかしい。

 だから、やるなら俺にやれ、と暗に翠玉に伝える。


 すると――

「私と交渉がしたいのなら、それ相応の器を示しなさい」

 ――翠玉は口元を意地悪く緩め、見下すように目を細めた。


「器……?」

「えぇ、この子に勝てたなら、少しは話を聞いてあげるわ」


 パンッパンッと翠玉が手を叩くと、左右に待機していた女子たちの中から、雛と変わらない身長のかわいらしくて幼い顔つきをした少女が、俺の前に出てきた。

 珍しい水色の髪をした彼女は、髪型がツインテールというのもあり年齢以上に幼く見えるが、氷のように冷たい表情で俺の顔を見上げてくる。


 いや、というか……こんな子、学校にいたか……?


「初めまして、白雪しらゆきこおりと申します。本日この学校に入学致しましたので、以後お見知りおきを」


 白雪さんと名乗る少女は、柔らかい物腰で、礼儀正しくスカートの両端を指で摘まみ上げる。

 右足を少し引き、膝を軽く曲げて礼をする仕草に受ける印象は、上品でいいところのお嬢さん、という感じだった。


 だが、言っていることがおかしすぎる。


「このタイミングっていうのもおかしいが、それ以上に転校じゃなくて入学ってどういうことだよ……? 無茶苦茶するにも、ほどがあるだろ……?」


 明らかに今日の一件で呼び出されたであろう少女を前にし、俺は翠玉に苦言を呈する。


「うちは私立だもの、多少の融通は利くわ。その子は学校に通ってなかったからね、入学という形になっただけよ」


 多少!?

 これのどこが多少だよ!


 そもそも、いくら私立でもそんな融通が利くわけないだろ!


 ――とツッコミたくなるが、グッと我慢をする。

 翠玉に常識など通じないので、言っても無駄なのだ。


「氷、勉強嫌いなのに……。よくも、巻き込んでくれましたね……?」


 そして、目の前では愛らしささえも感じるかわいいお顔をしながら、白雪さんが全力で俺に対して恨みを持った視線を向けてきている。

 翠玉に嫌々連れてこられたのが、丸わかりだった。


 まぁ、うん……それに関してはごめんなさいなのだけど、この件に関してだけは悪いのは、君のあるじだと思う。

 恨むならそっちを恨んでくれ、と言いたくなった。


「勝てたら、というのは?」

「決闘」


 なんとなくわかってはいたが、一応聞いてみると翠玉はニヤッと口角を吊り上げながら、手短に告げた。


「おいおい、女の子……しかも、こんな小さな子と――」


 そう言いかけた直後、視界の端に俺の顔へとまっすぐに向かってくる小さな手が見えた。

 俺が慌てて首を傾けると、ビュンッという音共に、手刀が俺の顔をかすめる。


「ほぉ……これを躱しますか」


 避けた俺に対し、感心したように白雪さんが呟くが、こんなの褒められたって嬉しくもない。

 わざわざ翠玉が呼び出しただけあって、どうやら彼女は只者ではないようだ。


「ふふ、その子を甘く見てると痛い目に遭うわよ? 熊にだって勝ったことがあるんだから」


 ギョッとしながら躱した俺のことがおかしかったらしく、翠玉は実に楽しそうに笑みを浮かべる。

 教室にいる他の女子たちも、今から始まるショーという名の一方的な暴力に、胸を高鳴らせているようだ。


 なるほど……これは、俺を痛めつけるための舞台だったってわけか……。

 それにしても、奇遇なことがあるものだな……。


 見れば出入り口は女子たちに塞がれ、廊下にも騒ぎを聞きつけて多くの生徒たちが集まっている。

 これは、逃げ出すのも容易じゃなさそうだ。


 交渉がスムーズにいくとは思っていなかったが、まさかこんな展開になるとは……。


 つくづく、俺は運がないのだと思い知った。

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