万聖節前夜ー再生の祈りー

縞りん

第1話

※登場人物の補足

•悪魔ディンメルング

芸術家の守護者(パトロニス)フランツに才能と力を与え、守護している。

•エーファ

フランツの孫娘。女性で先祖還りの獣耳と尻尾が生えている。職人を目指している。






◾️万聖節前夜ー再生の祈り



 その晩、徹夜で仕上げた義手は、

チラリと見ただけできちんと評価もされず、床に叩きつけられた。



「これが、義手だと?」

師は散らばった魔術粘土(マギウスクレイ)と人工関節の破片を見て、せせら嗤う。



「なんと脆い塵芥だ。一から作り直せ」

フランツ・クサヴァー・ヴィンターホーフ。

彼はクラフトマギウス。

偉大なる宮廷画家にして魔術工芸師。

――そして私の祖父。

私は、小さな頃から彼に憧れて、職人(クラフトマギウス)になった。






ロザリオの月(10月)が終わりを迎えようとしている。



店頭には白い花と蝋燭が置かれ人々は万聖節の準備を始める頃、街はまたひとつ季節が巡ろうとしていた。もうすぐ秋は終わり、冬がやってくる。

ウィーンの旧市街。片隅にある職人街にも冷たい風が届いて、黄金に輝く銀杏の葉を揺らしていた。

午後の柔らかい日差しは窓辺にそっと降り注ぎ、古工房の細かな埃が光に踊る。

外からトン、カンと金槌を振るう音。窯の焼ける匂い。職人達は午後のひと休憩を終えて、日が暮れる前に今日の仕上げに精を出していた。



「ディンメルング」

古工房の軋んだドアを勢いよく開けて、猫耳の少女が入ってくる。歳の頃は15.16の女の子。

エーファの燃えるような赤い髪の間で、黒い獣耳が元気を失って垂れていた。首に掛けたエプロンを握りしめ、彼女は俯いて彼の前に立ち尽くす。


「どうした」

古工房の悪魔は柔らかい日差しの中、カウチに寝そべり煙草をふかしていた。


午前のエーファはフェリクスに花と蝋燭を買いに行く話をしたり、講評に出す義手の仕上げに精を出していた。その彼女はいま、恐らく講評の後だったろうが――影の中に沈んでいる。

ディンメルングはまた祖父に扱かれたな、と考えた。幼少の頃、母を喪ってから時折こうやってエーファは彼の前にやってくる。何も言わず立ち尽くして、ひしと悪魔にしがみつく。ディンメルングがそう考えている僅かな間に、エーファは悪魔にぎゅっと身体を預けるように倒れこんだ。


「私は慰めたりはしてやらんぞ」

そう言いつつ自然と彼女の頭を撫でていた。黒い鉤爪が彼女の垂れた獣耳にあたると、プルリと小さく震える。咥えていた煙管タバコは抱き止める時に悪魔の手を離れた。いまは宙に浮かんで、灰も落とさず静かに細い煙を吐きだしている。

「……何があった?」

彼女はディンメルングのシャツに顔を埋めたまま。エーファの黒い獣の尾がぺしぺしと不機嫌そうに悪魔の大腿を叩いている。それに合わせてディンメルングは宥めるように己の尾を寄せた。すると触るなとばかりに獣の尾が抵抗したかと思うと、彼女は諦めたようで大人しくディンメルングの尾に尻尾を寄せた。

その態度には幼少の頃からの一つの言葉があった。

「どうか私を理解して。無言のうちに悟って」と。

悪魔はため息をついて仮面を外した。


「エーファ。しがみつくのはいいが自分の痛みをきちんと言葉にしろ」

僅かに自分を嗜める言葉にエーファはゆっくりと顔をあげた。残酷な彼は火傷跡の残る美しい相貌でエーファを見ていた。静かな緑柱石の眼差しは、鏡のように痛みを堪えた表情の彼女を、映している。


「……折角作った試作の義手を…」

エーファは痛みを堪えるように唇を引き結ぶ。

「……叩き壊された」

その声は喉から絞り出すように出て、掠れていた。

「何で…?」

それ以上エーファは何も言わなかった。 ただ、強く彼の上着の襟をきつく握りしめていた。指先が、白くなる程に。


悪魔はその問いかけに口を噤んで、静かに古工房の天井を見上げていた。

彼女はディンメルングにしがみついて涙を堪えている。ようやく作り上げた試作品を理不尽に叩き壊された痛みは、いま彼女の中から溢れ出した。震えて堪える姿は強く、繊細だった。だからこそ静かに痛みを流してやらねばと、悪魔は誰よりもエーファを理解していた。


「それはな、エーファ」

静かに芸術の悪魔は語り出す。

窓辺に置いたマスカレードの仮面が鈍く午後の光を反射していた。

「フランツがお前を恐れているからだ」

何処かで鳥が高く鳴く声が聞こえる。それは警戒だろうか?敵が来る、鼬鼠いたちが居るぞと仲間に報せながら声は遠くまで響き、やがて消えた。

「フランツは、お前の芸術の炎が憎いのだよ」

静かに降る悪魔の応えをエーファは黙ったまま聞いていた。しかしもう、身体の震えは止まっていた。

「芸術の…炎?」

エーファは彼を見て不思議そうに首を傾げた。


「ああ」

悪魔は窓辺の仮面を取って顔につけ直した。宙に浮かぶ煙管を口に咥えて、息を吸い、ゆっくりと煙を吐く。煙は宙に浮かんで、兎のような形になりエーファの周りを暫くぴょこぴょこと跳ね回った。彼女は跳ねる兎を見て、暫く考えこんでいるようだった。悪魔はそれを見て柔らかく微笑む。


「炎を持っている者は、時として同じ炎を憎む」

「憎まれてるの、私。お祖父様に」

 エーファは僅かに表情を曇らせていた。

「嫉妬というやつだ」

「でも作品壊すなんてないじゃない!」

「そうだな」


悪魔はまたのんびりと煙草を吸った。

吐き出した煙は今度は大きな蛇になった。

「だから今度は、祖父が叩いても壊せないような丈夫な義手を造るといい。依頼主も案外喜ぶ」

くっくっくっと悪魔は微笑う。煙の蛇がシャーと小さく威嚇した。


「ええ…?また作るの大変なヤツじゃん……」

エーファは悪魔の膝の上で脱力した。

彼は微かに笑った。

工房の中に、冬の始まりの光が差し込み始めていた。


「お前の火蜥蜴石サラマンデルは、協力してくれる様だぞ?」

暖炉の奥で休んでいた燃える精霊は「くあ」と小さく鳴いた。ぱちり、と薪の爆ぜる小さな音が聞こえる。

「もう、ディンメルも手伝ってよ‼︎」

エーファは叫んだ。安心したのか怒りが再燃している。

「お前の守護者パトロニスならばな」

近くの硝子鉢にカン、と灰を落とし、悪魔はまた煙管に新しい煙草をつけ始めた。


テーブルの上には万聖節を迎える花と蝋燭が置かれている。そしてその傍には、彼女の母の肖像画を入れたロケットが、鈍く輝いていた。

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万聖節前夜ー再生の祈りー 縞りん @Shima_Rin

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