手紙
永久福
手紙
拝啓 笹凪 恵様
お久しぶりです。お元気でしたか。
あれから十五年の月日が流れ、僕は三十歳。随分大人になりました。
どうして今更手紙を書いたのかと思うでしょう。僕には伝えたい思いがあったのです。
その話をする前に、僕のことを知ってほしいと思います。そして、恵さんにはあの時のことを全て知る権利もあるでしょう。もうすぐ全部終わります。そして、恵さんにこの記憶を託します。
僕は、極めて優秀な子供でした。生まれたとき、医者も驚くようなスピードで生まれ、母はずっと「この子はずっと私のことを考えてくれている」なんて言っていました。
言葉を覚えるのも、つかまり立ちするのも、同い年のどんな子よりも早かったそうです。
小学生になってからも、ずっと母を喜ばせてきました。テストではほとんど百点を取っていましたし、運動も得意でした。よく色んなクラブチームに誘われましたが、母はどれにも賛成しませんでした。
習い事は塾にそろばん、パソコン教室に絵画――バレエや剣道なんかもやってました。毎日違う習い事でしたが、僕は一度も母に逆らったことはありませんでした。
それから、小学生の頃も中学生の頃も、僕は生徒会長でした。友達も多く、俗に言う人気者だったのです。クラスのみんなからは、秀人がぴったりだよと言われていました。
中学でも、もちろん成績が下がったことは一度もなく、友人関係も問題ありませんでした。順風満帆な日々です。
ではなぜあんなことをしたのか? そう思ったことでしょう。それを話す前に、僕の家族の話をさせてください。
僕は、父・誠と母・京子の間に生まれました。誠なんて名前ですが、家族に誠実だったことは一度もありませんでした。父親と顔を合わせたのは、片手で足りるくらいで、もはや父親の顔も思い出せません。
父がセラノバ製薬の役員をやっているのはご存知ですよね。よくあの有名企業の息子だなんてすごいねとも言われました。確かに僕の家は、豪邸と呼ばれるものでしょう。お金の面で困ったことは一度もありません。
でも父は、ずっと女と遊び歩いていて、家族をかえりみません。通学の途中、香水とたばこ臭い知らない女に、馴れ馴れしく話しかけられるんです。おかげさまで、僕は女性が苦手になってしまいました。
ですが、母はそんな父と離婚しようとはしませんでした。お金目当てなんて思うかもしれません。でも違うんです。母はそんな相手と結婚しなくても、生活できる経済力はあります。その理由として、あの豪邸と土地は、母の物です。父の家柄自体は一般家庭だったので、婿養子で結婚したんです。
母は、本当に父を愛していました。きっと父が貧乏だったとしても、結婚していたはずです。
そんな母が、たくさんの愛人を作られて、普通でいられるはずがありません。僕が生まれた時には、既に精神的におかしくなっていました。
ご存知だと思いますが、母は近所の皆さんから避けられていました。別にこのことを責めるつもりはありません。突然怒り出したりすることが多かったですからね。まさしく触らぬ神に祟りなしです。
だけど、このしわ寄せは一体どこに来ていたと思いますか? もちろん僕のところです。全部全部全部、僕が頑張らないといけなかったんです。
母は、僕に夫の役割まで求めました。母の感情はコロコロ変わってしまうので、適切な言葉をかけるのに苦労しました。
こんなに大変なのは、全て父のせいです。あいつが母の心を壊したんです。そのせいで僕は、大変な日々を過ごさなければならなかった。僕は、あいつに復讐することを決めました。
これがあのタイミングで事件を起こした理由です。あの時、セラノバ製薬は新薬を開発して、大々的にニュースになっていましたから。ここしかないと思ったんです。
僕が人を殺そうと思ったのは、この時でした。
まず僕は、計画を立てました。何か事件を起こしてやろうというくらいで、最初からああするつもりじゃなかったんです。
先ほど、僕は女性が苦手だと申し上げました。性の対象も男性で、特に小さい男の子が僕の心を満たしてくれました。
恵さんのお子さん、兄の大翔(ひろと)くん、弟の陸翔(りくと)くん。小学三年生と、一年生でしたよね。二人とも僕の理想そのものでした。特に陸翔くんは、魅力的でした。二人は、僕と普段から仲が良いし、僕の計画にぴったりの存在だと気付いたんです。
犯罪を犯すんです。自分の好きなことをした方が良いと思いました。僕は、苦しんでいる男の子が大好きなんです。
そこで、一番そういう姿を楽しめるのが毒殺だと考えました。ちょうどいいイベントもあり、神は僕を見捨てなかったと思いました。
当日のこともお話ししますね。きっと知りたいでしょうから。
十五年前の十月三十一日、町内会のハロウィンのイベントが夜七時からでした。あの時は、三軒のお宅を回って、お菓子をもらう予定でしたね。
その日の午前、事前に僕は笹凪兄弟に渡す予定のチョコレートを作っていました。もちろん、殺虫剤入りのチョコレートです。念入りに二種類全て入れました。この話は、裁判でも飽きるほど聞きましたよね。
午後六時、僕は笹凪家へ向かいました。そこで、用意した泥水を庭の洗濯物にかけました。
恵さんがパートから帰ってきたこの時間、いつも買い物に行くのはわかっていました。特にその日は、ハロウィンイベントがあるので、慌てて買い物に行っていましたよね。後は時間になるまで、僕はゆっくり家で待つだけでした。
そこからは恵さんもご存知の通り、六時半に笹凪兄弟を迎えに行きました。洗濯物の対応に追われている恵さんは、僕を信用して二人を任せてくれましたね。
僕は、時間まで公園で遊ぼうと二人を連れ出しました。二人は大喜びでしたよ。さっきまで、洗濯物の泥汚れを自分たちのせいにされていたのに。
公園に着いて、僕は例のチョコレートを二人にあげました。喜んで食べてくれました。僕の心臓は大きな音を立てていて、この二人はばれてしまうんじゃないかと心配していたのが、まるで肩透かしでした。
全てのチョコレートを食べてからは、二人に体を動かす遊びを提案しました。少しでも早く、毒を巡らせるためです。いつ来るのか、その時を今か今かと待っていました。
七時になって、やっぱり効かないのかと思ってがっかりしていたときでした。陸翔くんが、地面にへたりこみました。そして、うずくまってしまったのです。
僕は陸翔くんに近づいて、仰向けにしました。大事な表情が見なくては損ですから。
すると、陸翔君は嘔吐していました。体は痙攣を起こしていて、本当に最高でした。間違いなく、この世で一番の幸福の瞬間でした。この喜びを伝えるには、言葉では足りません。
振り返ると。大翔くんもお腹を抱えてうずくまっていました。僕の計画は成功したのだと確信しました。
あとは恵さんもご存知の通り、午後七時二十分に救急車が呼ばれました。思ったより発見が遅くて助かりました。二人は天国に行けたのです。
これが、大翔くんと陸翔くんの最期の瞬間です。
復讐を達成し、父を退職に追い込み、母と離婚させることができました。
目的を果たした僕は、この十五年ずっと考えてきました。どうしてもあなたに伝えなければならないと思ったことがあります。それは感謝です。
恵さんがあの二人を産んでくれなければ、僕はあのような人生最高の瞬間を味わうことはできなかったのです。あの二人も、尊敬していた僕の支えになれたことを天国で感謝しているでしょう。三十歳になった今も、あの二人の苦悶の表情にはお世話になってます。
だから恵さん、本当にありがとうございます。僕にとって、恵さんは偉人なのです。
どうか、一人の人間を救ったことを誇ってください。
敬具
氷瀬 秀人(ひせ しゅうと)
あなたへ
手紙でのお別れでごめんね。結婚する前に、「俺が嫌になったら出してね」って言われてくれた離婚届を出してきました。これで私たちは他人。私のことは忘れて生きてね。
最後に伝えておきたいことを全部ここに書いておくね。
息子二人を亡くして、前の夫ともすぐに離婚して……。つらい日々を送ってきた私をあなたは支えてくれた。本当に感謝してる。そこから結婚までは長かったけど、待っててくれて本当に嬉しかった。思い切って、事件のあった町から引っ越して正解だった。
実はね、あなたに話してないことがあったの。子供二人を亡くしていたのは話していたけど、どうして亡くしたかは話していなかったじゃない?
実は、十五年前のハロウィン児童毒殺事件の被害者なの。今更話すことになってごめんね。
あの事件の犯人から私宛の手紙が届いたの。出所の一週間前かな。弁護士から受け取ったの。そこに書かれていたのは、本当にひどいものだった。
私ずっと、自分のことを許せなかったの。あの事件よりもずっと前から、犯人のことを信用して、子供たちを遊ばせたりしてたから。ああなったのも、全部私のせいだって思ってたの。事件当日も、家事を優先して子供たちを蔑ろにした私が悪いって思ってた。
手紙には、裁判では話されなかったことが書いてあった。実は私の子供を性的な目で見ていたことや、事件当日の洗濯物の汚れは子供たちの仕業じゃなかったんだって。あの子たちの最期に、そのことを怒っちゃった。本当に最低な母親だよね。子供たちはやってないって言ってたのに、信じてあげられなかった。
犯人があの事件を起こして、逃げなかった理由もわかった。なんてことをしてしまったんだろうと思って逃げなかったって言ってたけど、本当は父親の復讐のために起こした事件なんだって。あの子たちの人生は、一体何だったんだろう。
特に手紙の最後の部分は、許せなかった。こんなに人を憎いと思えるんだって、びっくりしたくらい。
当時、死刑にならないことを納得できなかった。二人も殺しておいて、刑期はたった十五年。少年法なんてくそ食らえよね。
でもね、今は少し感謝してるの。無期懲役や死刑だったら、もう二度とあのくそ野郎に会うことはできないもの。
私は、復讐します。迷惑をかけるかもしれない。
あなたの口座に全財産は入れてある。それを使ってあなたの幸せの道を歩んでください。
この二年間ありがとう。幸せでした。
羽伏 恵(はぶせ めぐみ)
手紙の内容が中々頭に入ってこない。恵は、どこに行ってしまったのだろう。俺は家中を探した。洗濯機の中や、クローゼットの中まで。だが、彼女はどこにもいなかった。
やっと掴んだ幸せな日々だった。恵は、初めてまともに愛した人だった。以前の結婚では、何もかもがうまくいかなかった。全てを捨てて、安月給の仕事で荒んでいた俺に、恵は優しくしてくれた。何年もかかって、やっと結婚できたのに――。
その時、つけたままにしたテレビからニュース速報が流れた。
「速報です! 本日釈放されたハロウィン毒殺事件の犯人、氷瀬秀人が刺殺されました。犯人の女は、その場で抵抗することなく逮捕されたとのことです」
――ああ、またこの男は俺の人生を邪魔するのか。
テレビ画面に映し出された秀人の顔。眉毛の形と鼻は、俺によく似ている。
もう一度、恵の手紙を見ると大きく空白を開けて書かれていた言葉に俺は泣いた。
誠さん、愛してる。
手紙 永久福 @nanpakunegi
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