第7話 1層1区
職員との会話を終えた鈴鹿は、セキュリティドアに探索者ライセンスをかざし中へと入る。通路を少し進むと、開けた場所に出た。
そこはかなり広く、天井もドーム型となっており開放感があるつくりをしている。壁面の素材はダンジョンから産出される魔鋼をふんだんに使用しており、万が一にもダンジョンブレイクが発生した時に備えた
そんなドーム状の部屋の中心に、ダンジョンの入り口が不気味に佇んでいた。
ダンジョンゲートの異質さに足を止めて見ていると、後ろが騒がしくなってきた。どうやら鈴鹿の後のパーティーがセキュリティドアを開けたようだ。
立ち止まっていても意味はない。鈴鹿は止まっていた足を動かし、真っ暗で水面のようにたゆたっているダンジョンの入り口を潜っていった。
◇
薄い膜を通り抜けるような感覚の後、真っ暗だった視界が一変する。急な明かりに思わず目を細めるが、すぐに目の前の光景に心を奪われた。
「これがダンジョンか……! 」
一度来た記憶はあるのだが、記憶と実際に見るのでは受ける印象は全然変わる。
視界いっぱいに広がる草原。適度に勾配はあるものの、丘陵地帯ほどではない平地が続いている。木立も散見されるが、総じて視界は開けていた。眼下に広がる草を見ればどれも同じ草というわけではない。ひざ丈くらいの高さの草もあれば、芝生のように背の低い草もある。視線を上げれば頭上には空が広がっており、綿雲が優雅に流れている。頬をかすめる風、呼吸をすれば青々とした匂い、6月も終わる初夏だというのに春のような心地よさ。空を遮る高層ビルや電柱もない。空が広いという言葉を一心に体験することができる世界。
鈴鹿は感動していた。なんと綺麗な景色だろうと。ダンジョンと言えば洞窟をイメージする。ダンジョンという言葉自体、地下牢を意味するものだ。そんなじめじめしたような洞窟を探索するのがダンジョンだと、鈴鹿は思い込んでいた。
もちろんダンジョンに来た記憶もあれば、昨日調べた情報で写真も映像も見てはいた。だが百聞は一見に如かずとはこのことだなと、鈴鹿は今までの漫画で仕入れた知識が瓦解する音が聞こえた気がした。
「さ、後ろの人たちも来るだろうし、さっさと移動するか」
周囲を見渡せば、遠くのほうに何かがいるような点が見える。鈴鹿はバットを取り出し手に持つと、そちらに向かって歩き出した。
ダンジョンの広さは層によってもまちまちらしいが、鈴鹿のいる1層の広さは東京23区と同程度と言われている。層の入り口は階層によって異なり、ここ1層の入り口は層の中央よりも少し右下に位置している。ダンジョンの入り口を中心に同心円状に区分けされており、円の中心エリアがその層で最もモンスターの弱い1区。最も外側のエリアがモンスターのレベルも高い5区となっている。
「ラッキー!
点だったものは近づけば輪郭も
酩酊羊は柔らかそうな羊毛に包まれた羊で、頭にくるんと渦巻のように丸まった角が生えている。酩酊と名の付く通り、本来は白い顔なのだろうがほてっているかの様に赤みがさしている。ふらふらと千鳥足で歩いている様は、まさに酔っぱらいのそれだ。
酩酊羊との距離が100メートルをきったあたりで、背負っていたリュックを置く。2、3回素振りをした後、改めて周囲を見回し他にモンスターがいないことを確認した。
「隠れられるような障害物もないから、索敵も楽で助かるな」
酩酊羊の攻撃パターンは突進一択。角は顔周りの攻撃を護るのが役割の様で、攻撃に使ってこない突進だけのため攻撃も単調で、初心者向けのモンスターとして有名だ。ただ、正面からもろに攻撃を受けるとレベル1の鈴鹿では肋骨が折れてしまうだろう。ふわふわの羊毛は金属バットの衝撃も吸収されそうで、今の鈴鹿の装備とは相性は悪そうだ。
酩酊羊との距離が近づくと、鈴鹿の視界に酩酊羊の情報が表示された。
酩酊羊:レベル2
鈴鹿が鑑定のスキルを持っているわけではなく、ダンジョンのモンスターはこのように名前とレベルが表示されるのだ。これもダンジョンの加護と言われているが、便利なものである。
「レベル2か。初めはレベル1がよかったんだけど……ま、頑張るか」
酩酊羊のレベルは1~3。最大レベルの3であればスルーが賢明なのだが、2ならやれないことはない……はず。多分。
低レベル時のレベル差は
実際はここまで単純な増加ではないものの、レベル1の鈴鹿の場合はレベル1の酩酊羊を探すほうが
鑑定ができる距離にもなれば、酩酊羊も鈴鹿の存在に気づく。威嚇するように吠える姿は、赤い顔も合わさり酔っぱらいというより怒り狂っているように見える。
「突進は避ける……突進は避ける……」
ぶつぶつと作戦を呟きながら、鈴鹿も腰を落とし酩酊羊の攻撃に備える。睨み合う両者。先に動いたのは酩酊羊であった。
かなりの速さ。羊なんて言うほど早くないだろと少し高をくくっていた。原チャリくらいは出てるぞこれ。
急速に彼我の距離が消えてゆく。避けるにしても早すぎては意味がない。闘牛士のようにギリギリとまでは言わずとも、方向転換できないくらい引き付ける必要がある。
「今ッ!!」
反復横跳びのように横に飛び
酩酊羊は攻撃を躱されると急いで急ブレーキをかけ、反転して攻勢に出ようとする。しかし、鈴鹿が距離を詰めるほうが一足早い。
「オラッ!!」
鈴鹿が金属バットを振りかぶる。顔の側面は渦巻状の角があるが、それに当たってもよいと思い切り横なぎに振り抜いた。
グシャッ
嫌な音とボールを打つ時には感じない不快な手ごたえがあった。鈴鹿のバットは運よく角を避け、突き出ている鼻っ柱を直撃した。方向転換した直後で頭を上げていたからこそ、鼻っ柱を捉えることができた。
金属バットを本気で振りぬいたおかげか、口先は潰れ血肉が飛び散った。しかし、そんなことは構いやしないと、酩酊羊はアドレナリンでも出ているのか痛みにひるむことなく、再度突撃を
鈴鹿は転ばぬよう注意しながら酩酊羊の突進を避け、通り過ぎた尻めがけて再度バッドを振りぬいた。本気のケツバットをしたのだが、羊毛に守られているからかあまりダメージを与えた手ごたえがない。
「ブゥバァアアッ!」
再度振り向いた酩酊羊は唾液を飛ばしながら吠えると、先ほどと同じく助走もなく突っ込んでくる。それを何とか躱し、今度は背骨を折らんと垂直にバットを振り下ろす。羊毛に包まれた柔らかそうな見た目とは裏腹に、硬質な感覚がバットから手に伝わり、じんじんと痺れてくる。
だが、バットを手放すわけにはいかない。酩酊羊は何度も何度も反転しては突撃を繰り返し、鈴鹿は足がもつれそうになるのを何とかこらえながら避けては顔や背中を狙って攻撃してゆく。依然ひるむことのない酩酊羊を前に、攻撃が効いているのか不安になりパニックになりかけたが、それでもやれることは殴ることしかできないため、鈴鹿は必死に避けては殴り続けた。
5分は続いたのではないだろうか。両者死に物狂いの攻防は、鈴鹿が振り下ろした一撃が終止符を打った。背骨を砕いたような感触の後、酩酊羊はよろける様に倒れこむと黒い煙に姿を変えた。煙は霧散することはなく、静かに鈴鹿へ吸い込まれていった。
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