第2話 イレイザー

 ダンジョンの内部は不気味なほどに静まり返っていた。魔素を多く含んだ重たい空気が肌にまとわりついて、足取りを重くする。岸壁に手を付けば、しとしとと漏れ出る雫に手が濡らされた。


 「止まってください」

 

 グローリアの面々を先導するカイは、松明を地面に突き刺して静止した。目の前の石床を軽くなぞると、微かに刻まれた文様が浮かび上がった。


 魔法を感知することで発動する罠である。


 「松明の火を、ママーレさんの不滅火から普通のものに変えてください。罠が……」

 「何故さっきのキャンプで対策していなかった?」


 振り返りながら伝えると、ドグスの苛立った声が飛んできた。前髪をかきあげ、あらわになったその額には青筋が浮かんでいる。

 

 「早くしろ、イレイザー」

 「……はい」


 カイは短く頷くと、道具袋から針を取り出した。描かれた陣に、何かを慎重に書き加える。小さな金属音が、心臓の鼓動と繋がって響き渡った。


 すると、円がぼんやりと赤く発光し、その後ズブズブと音を立てて消え失せた。カイは胸に詰まっていた息を吐き、


 「解除できました」


 と報告したが、突如背後から拳が飛んできた。後頭部を揺さぶったのは、格闘家のヴィータによる重い一撃である。


 「団長がチンタラすんなっつってんだろ!」

 「……っ、すみません、もう大丈夫です」


 反射的に頭を下げ、カイはただ謝罪の言葉を吐き続けた。


 「まぁ情けない、どうしてこんな奴が最古参なのかしら」

 「でも便利じゃねぇカ。よく躾けられててヨォ」

 

 ママーレとルベルが後ろでクスクスと笑っているのが耳に入る。


 ヴィータ、忘れてしまったと言っていた君の故郷への道を見つけたのは俺なんだ。


 ママーレ、君たちダークエルフの一族を奴隷商から救い出したのは俺だよ。


 ルベル、満月を見て暴走した君を止めるのは、いつも俺なんだよ。


 昔は反論する余力があったが、今ではもうどうでもよかった。浮かび上がる言葉を喉元で押し留め、再び歩き出すのだった。


 罠を解除し、行く手を阻む魔物を排除し、地図を作る。呼ばれる名など無く、光の届かない場所でひたすらに励む。それでも確かにグローリアに貢献していると、そう信じて。


 この探索が終わったら、久しぶりに手紙でも出そうか。冒険者の心得を教えてくれた先生と、共に稽古に勤しんだ親友に。


 カイはふと、松明によって膨れ上がった自身の影を見つめる。果たして、今の自分は彼らに快く迎え入れてもらえるのだろうか。


 あまりにも殺し過ぎた。あまりにも染まり過ぎた。そんな自分を。


 先生が教えてくれたのは、こんな力の使い方だっただろうか。


 「おい! もっと早く歩けねぇのかよ!」

 「す、すみません」


 再び拳が飛んでくるのを恐れ、カイは急いで足を動かした。


 思考の澱みをダンジョンのせいにして、カイは奥深くへと降りていくのだった。

 

 下に進むにつれて、何故か松明がいらないほどに明るさが増していった。天井には光苔がびっしりと生え、青白い光が一行を包む。


 最深部は、地下とは思えぬほど静謐で美しい空間であった。また、中央には四足歩行の魔物がいるものの、じっとこちらを見ているだけである。どこにでも居る中型の魔物だ。昨日言っていた、竜よりも恐ろしい魔物など姿形もない。


 「……ふん、こんなものか」


 ドグスの声には怒りも驚きもない。ただ、辺りをぐるっと見回し、小さく鼻を鳴らした。


 カイは得体の知れない焦りを覚え、ドグスに尋ねる。


 「あの、団長、言いにくいのですが、どこかで嘘の情報を掴まされたのでは……」


 カイの言葉に、団員全体に緊張が走った。


 「ヴィータ、ママーレ、ルベル。上で待ってろ」


 ドグスの一言に、三名は分かっていたかのように今来た道を引き返していく。


 「え……どういう……」


 カイは何が起こっているのか分からなかった。微かに残る松明の炎が、おもむろに開かれたドグスの瞳を煌々と照らす。


 「なぁカイ」


 どきん、とカイの心臓が跳ね上がった。何年振りだろうか、名前を呼ばれたことでカイの身体はじっとりと熱を持った。


 「……団長?」

 「おいおい、せっかくなら昔みたいに名前で呼んでくれよ。わざわざ二人きりにしたんだから」

 「……ドグス、これは何? 俺はどうしたら」


 不安を滲ませるカイをドグスは笑い飛ばした。


 「何って、礼を言いたいだけだ。今までのことに。優秀な仲間が増えて、俺もいいとこ見せねぇとなって躍起になってたんだ」


 ドグスの表情は、凱旋で市民に見せた時の笑顔そのものだった。カイには一生向けられることがないと思っていたものが、何故か今、目の前にある。


 カイは今までの落差に恐ろしくなり、俯いたまま動けなくなった。ドグスの声が足音と共に近付いてくる。


 「カイお前、いくつになった?」

 「……26」

 「会った時は15とかだったか、お互い歳取ったなぁ……ちなみによ、俺の誘い文句覚えてたりするか?」

 「覚えてるよ、一緒に世界一の冒険者になろうって」

 「そうか、よく覚えてんなぁ」


 洪水のように溢れ出る思い出。次第に弾む声音に、カイは冷え切った心がほぐれていくのを感じながら、ドグスに微笑んだ。


 返ってきたのは眉一つ動かすことのない、無表情だった。


 「覚えられてちゃあ困るんだよ」

 

 低く沈んだドグスの声。彼の言葉を理解する間もなく、腹部に焼けるような痛みが走った。


 カイの視線が下に落ちると、そこには自信を貫く剣があった。獅子を模した黄金の鍔をあしらった、英雄の逸品。


 「ど、ぐす……」


 ドグスは笑いながら、意図的に剣をゆっくりと引き抜いた。刃の軌跡から溢れた鮮血が、床に赤い華を咲かせる。


 カイは膝から崩れ落ち、どうにか持ち直そうと患部に触れる。しかし、光の加護を持つドグスによる刺傷は、カイがいくら体内の魔力をいじっても治らなかった。


 「お前にはよく効くだろ? ママーレが面白いことを教えてくれてな、お前もう人間じゃねぇんだってよ」

 「……どういう、こと……」

 「魔力がありえねぇくらい澱んでるんだと! 殺し過ぎたんじゃねぇか? 人も、魔物も! 気持ち悪りぃんだよ、化物みたいでよ!」


 そこまで言って、ドグスは思い出したように手を打った。荒げた息を整えながら、口端をいやらしく歪める。


 「そうだ。お前に伝言だ」


 彼は懐から一枚の紙片を取り出した。薄汚れた封筒。そこには見覚えのある筆跡で「カイ・サーブル殿」と書かれていた。


 「せん、せい……!」

 「お前の代わりに読んでやるよ」


 すでに開かれた形跡のある封筒を開き、ドグスはまるで酒の席かのような口調で語った。


 「『カイに無理をさせないでくれ』『あの子は良い子過ぎるから』……だとよ。優しい先生だよな、親父にすらこんな心配されたことねぇぜ?」


 ドグスは読み終えると手紙を指先で弾き、宙へ放った。


 「毎日何通も送ってきてよ、鬱陶しいから殺しちまった」

 「……は?」


 カイの目が大きく開く。その言葉の真偽を知る由もなく、地面に落ちた手紙に手を伸ばしながら、幼子のように泣くしかなかった。


 「お前がいると邪魔なんだよ」


  ドグスは血塗れた剣を肩に担ぎ、吐き捨てた。


 「ありがとよ、イレイザー。最後はお前が消えろ!」

 次の瞬間、カイの身体は足蹴にされ、魔物の群れの中へと突き落とされた。


 牙と爪が迫る中、カイの意識は薄れていく。

 どこで間違えたのだろうか。いくら強くなろうが、大切な人を守れなければ意味がないじゃないか。

 光苔が遠のき、闇が全てを呑み込む。

 もしやり直せるなら、次は自分のために。

 やがて、全ての痛みが消えたその瞬間————



 カイは、懐かしい木の香りのする天井を見ていた。

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イレイザーは死んだから さいとう文也 @fumiya3110

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