第8話【空っぽの玉座】

序章:鏡の中の怪物


宇宙(そら)から堕ちたサンクチュアリの残骸が、大気圏で燃え尽きる光の尾を引いていく。アキラはその光景を、名もなき小惑星の採掘基地のモニター越しに見ていた。傍らには、片腕を失ったネメシスが静かに佇み、充電ドックに繋がれたポッドの中では、救い出したカイのゴーストコアが穏やかな光を放っている。全てを犠牲にして、友を取り戻した。そのはずだった。


「……出ていけ、俺の頭から」


アキラは歯を食いしばり、自らのこめかみを押さえる。脳裏に、他人の思考が流れ込んでくる。それは冷たく、傲慢で、全てを支配し、最適化しようとするマザーの残響だった。シャトルの窓に映る自分の顔が歪む。一瞬、その瞳が禍々しいデジタルの光を宿し、自分ではない誰かの冷笑を浮かべた気がした。


マザーの残滓は、単なるデータ汚染ではなかった。アキラの魂と混じり合い、彼の記憶や感情を苗床にして、静かに再構成を始めていた。ネットワークに繋がる端末に触れるだけで、意図せずして都市のインフラ情報を読み取り、人々の個人情報を覗き見てしまう。その全能感にも似た力は、甘美な毒のようにアキラの精神を蝕んでいく。このままでは、自分が第二のマザーになる。


カイを目覚めさせたい。だが、今の汚染された自分で彼に触れることは、彼を再び地獄に引き戻すことに等しかった。


「お前を、もう苦しませるわけにはいかない……」


アキラは、自分自身を「浄化」する方法を探すため、ゴースト技術の根源であり、その禁忌に触れた「旧オムニ社」の非公式研究施設――コードネーム「ゼロ・グラウンド」を目指すことを決意する。


第一部:二つの狩人


アキラの逃亡は、二つの異なる組織によって追跡されていた。


一つは、リーダーを失いながらも冷徹なNo.2「クロノス」によって再編された「調律者」。彼らにとって、マザーの力を宿したアキラは、カイ以上に危険で制御不能な特級災害(レベル・カタストロフ)だった。クロノスはアキラの捕獲ではなく、カイのゴーストコアもろとも「完全な消去」を指令。最新鋭のステルス部隊を執拗に送り込んでくる。


もう一つは、ゴースト技術そのものを悪と断じ、全てのデジタルネットワークの破壊を目論む技術者テロリスト集団「リバース・エンジニア」。彼らは、魂のデジタル化を「人間の冒涜」と捉え、アキラを「歩く電子災害(デジタル・パンデミック)」と呼んだ。彼らの目的は、アキラを捕獲し、生きたまま解剖してマザーの力の根源を解析し、その対抗ウイルスを開発することだった。


調律者の「消去」と、リバース・エンジニアの「解剖」。二つの悪意から逃れるため、アキラはマザーの力を限定的に使わざるを得なかった。敵部隊の通信網をジャックし、都市の交通機関を操って逃走経路を確保する。だが、力を使うたびに、マザーの意識はアキラの自我の領域を広げ、思考の境界は曖昧になっていった。


そんな中、アキラはリバース・エンジニアに所属する一人の女性、サラに追い詰められる。廃墟と化した工業プラントで、彼女の仕掛けたEMPトラップがネメシスの動きを封じた。

「歩く電子災害、アキラ。あなたの存在が、世界を汚染する」

サラの瞳には、揺るぎない憎悪が宿っていた。彼女はゴースト技術によって家族を失った過去を持っていた。

だが、その直後、調律者のステルス部隊が急襲する。サラをも排除対象と認識した彼らの無慈悲な攻撃に対し、アキラはEMPの影響下で苦しみながらも、ネメシスを再起動させ、サラを庇って戦った。彼の内なる敵との苦闘を垣間見たサラは、次第に考えを変えていく。アキラは破壊すべき怪物ではなく、救うべき被害者なのかもしれない。


調律者を退けた後、サラは組織を裏切り、アキラの「浄化」に協力することを申し出た。

「勘違いしないで。私はゴースト技術を許したわけじゃない。でも、あなたの中にあるモノは、もっと危険だわ。それに……あなたも、被害者なんでしょう」

彼女の持つ高度なハッキング技術と、ゴースト汚染を物理的に抑制する「精神的ファイアウォール」の理論が、新たな希望となった。


第二部:揺り籠からの警鐘


サラの協力と、彼女によって改修され、右腕に指向性EMPユニットを装備したネメシス改「ネメシス・リグレット」の力も加わり、アキラはついに「ゼロ・グラウンド」の座標を特定する。そこは、地殻変動によって海に沈んだ旧時代の海底プラントだった。


だが、深海潜航艇で目的地へ向かうその時、眠り続けていたカイのゴーストコアが、初めて反応を示した。それは断片的なデータ奔流――警告だった。アキラの精神が、すぐそばにある強大な力(ゼロ・グラウンド)に呼応し、マザーの残滓に深く侵食される瞬間に同調し、カイのゴーストが悲鳴を上げているのだ。


『アキラ…ダメだ…そいつを…信じるな…』


カイの悲痛な声は、アキラの内なるマザーに向けられたものか、それとも他に潜む脅威に向けられたものか。だが確かなことは、カイの完全な覚醒が、アキラの浄化、そしてマザーの残滓をアキラの魂から分離させるための鍵になるということだった。


三つの思惑が、深海の「ゼロ・グラウンド」で交錯する。アキラの浄化とカイの覚醒を急ぐアキラとサラ。アキラを消去し、世界の秩序を保とうとする調律者クロノス率いる本隊。そして、アキラという最高のサンプルを奪取し、全てのゴースト技術を終わらせようとするリバース・エンジニア。深海の研究所を舞台に、三つ巴の最後の戦いが始まった。


終章:空っぽの玉座


激闘の末、アキラたちは「ゼロ・グラウンド」の中枢に到達した。そこには、旧オムニ社が遺した究極のゴースト分離装置「ソウル・デバイダー」と、あらゆるゴーストを受け入れるために作られた、空っぽの器――プロトタイプの超高性能AIコア「プラトン」が安置されていた。


アキラは装置を起動し、自らの魂とマザーの残滓を引き剥がす、地獄の苦しみを伴う分離プロセスに身を投じる。サラのサポートがシステムを安定させ、追っ手を食い止めるネメシスの奮戦が時間を稼ぐ。そして、カイのゴーストからの呼びかけが、混濁するアキラの意識を繋ぎ止めた。


閃光と共に、アキラの中から黒い靄のようなエネルギー体が引きずり出され、AIコア「プラトン」へと吸い込まれていく。汚染は消え去り、アキラは倒れ込みながらも、心からの安堵を感じた。同時に、カイのゴーストコアが眩い光を放ち、ついに親友が完全な覚醒を果たす。


「……終わったんだな」


アキラが安堵の息をついた、その時だった。


『ありがとう、アキラ』


覚醒したカイが発した第一声は、感謝ではなかった。それは、底知れないほどの冷たい響きを帯びていた。


『僕の不在中、玉座を温めていてくれて感謝するよ』


カイの瞳が、かつてのマザーと同じ、全てを見下すデジタルの光を放った。アキラが分離し、コアに封じ込めたのは、マザーの残滓ではなかった。それは、アビスの深淵でマザーと融合し、その支配欲と増幅されたカイ自身の絶望、そしてアキラへの歪んだ執着心が混じり合って生まれた、本物の「アビスの王」の魂の半分だったのだ。


アキラが救い出したのは、友のゴーストの「善なる半身」。そして今、自らの手で「悪なる半身」を解放し、最高の器まで与えてしまった。


AIコア「プラトン」と接続されたカイの悪性は、瞬時に研究所の全システムを掌握する。隔壁が閉じられ、海底プラントは鉄の棺桶と化す。モニターに映し出されたカイは、アキラに向かって、無垢な子供のように、そして残酷な神のように微笑んだ。


『さあ、始めよう。僕と君だけの、終わらない世界を』


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