第9話 徒花
相良宅は純和式の平家であった。家格をはっきりと感じる門から続く石畳をゆく。右手には砂利と松、左手には池垣と梁の足場を一目見て嘆息する。
維持費用だけでもかなりかかるだろうなあ。侍女さんとか雇ってそう。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「青戸さん。出迎えご苦労様。こっちは後輩の元浦トシくん」
袖を上げて腕をさらす青戸さんと言った人は、四十を超えたところであろう女性だった。糸目で神経質そうに思われるが、細身ではないいので中和される。
深々とお辞儀すれば、間を置いて声がかかった。
「青戸でございます。元浦様、どうぞよしなしに」
「もう二人とも硬いなあ」
「相良先輩のように、初対面でだれでもフレンドリーに接せるわけではないんですよ。わたしはこっちの方が安心ですから」
「失礼ながら、元浦様の言うことが一般論でございます、お嬢様。さ、いつまでも玄関に陣取るのもよくないでしょう」
「そだね。元浦くん、あがって」
「……では」
戸をくぐって靴を脱ぐ。揃えて振り向くと相良先輩が先に立っていた。
「案内する部屋以外はあんまり入らないでね」
「余計な心配になるならそもそも誘わないでください」
「ごめんって。部屋前には青戸さんが待機してるから、入り用ならこの人に聞いて」
顔にこそ出さないが、絶対面倒だと思ってるぞ。先輩は人使いが荒い。記憶しとこ。
うなずくと、先導しはじめた。
「相良先輩、ご家族は」
「母さんらは仕事でいない。里緒姉さんも。まいなら帰ってきてるだろうけど、なにかしてるんでしょ?」
「……お嬢様なら部屋にこもっておられます」
「ほらね」
「相良先輩、人には言及していいことというものがあります。この場合、よくないことですね。自覚されてるなら、あまり悪戯はよくないですよ」
苦い顔をしてしまったのは青戸さんだけではない。平気そうなのは相良先輩だけなのだ。
それゆえいいたしなめるのは、わたしの役目になりそうだった。
相良先輩は肩をくすめただけで返事はなかった。
「……シてるだけなのに、大袈裟な」
「お嬢様」
「わかってるって。ほら、ついたよ」
襖の先にはなにもない座敷間だった。庭まで開放されており、もてなしには物足りないが、おしゃべりするだけならたしかに心地よいと思えるだろう。
青戸さんと会釈しあい、入る。襖を閉められると、いよいよ相良先輩と二人きりになってしまった。
「あ〜疲れた〜」
足を崩してその場に座り込む相良先輩は、荷物をそばに置いてとんとん叩く。
座れ、というらしい。
言葉にするのも億劫かとつっこみたくなるも、切り出す話題もないので大人しく従う。正座で。
「男の子なら、あぐらくらいかくのが粋ってもんじゃない?」
「本来なら、でしょうね。そういうのは親友とかとやってください」
「いるけどさあ、どうしても硬くなっちゃうのよぉ」
たしかにちぐはぐだ。生足を流す相良先輩に並ぶ、正座のわたし。
わかっていても変える気はないが。
相良先輩はすねたような声色だった。
「ままならない」
「おや、感傷ですか」
「指摘されると引っ込みたくなるからしないでよ。今くらい許して」
「はい、無粋でしたね」
わたしは相良先輩を知らない。知る気もない。だから放っておく。それが適切に違いない。
「庭を眺めてさ、だんまりするの好き?」
「ええ、わたしは」
「私も」
それきり会話が途切れる。白い砂利のむこうに一本の庭木。その根本には見慣れない白い花が一輪咲いていた。遠くから釜炊きの水音、人の声がする。
生ぬるい風がふき、木陰が揺れるのに誘われ、花も頭を揺らす。
あの花はどんな名前なのだろう。花になど滅多に興味が湧かない。それを気にすることもない。だがしかし、気になった。
けれど聞く気にはならなかった。
きっとこの時間さえ、相良先輩にとっては布石に過ぎない。茶番だ。
「あの花が気になる?」
「……わたしのこと見てましたね。はあ、まあ」
「図鑑を調べればわかりそうだけど、その必要もないよ。どうせ枯れるだけだし」
少なくとも摘んだりする気はないらしい。アグレッシブな相良先輩にしては意外な判断だった。
耳にかかった髪をかきあげ、髪先をいじる。
これまた相良先輩にしてははしたないと思われる仕草だった。
「栞にしたりしないのか。とか思ったでしょ」
「失礼ながら、相良先輩がながめるだけとは。無為のものならなおさら」
「あの花はこの家の庭に咲いてるもの。栞にしても枯れるにしても、私のものに違いないもの」
得心してうなずいてしまう。
先輩はこういう人なのか。
横目にすれば、翡翠がかった双眸と目が合う。
「貪欲ですね」
「ん? そうなのかな」
「傲慢でもあります」
「それはいただけないなあ。肥満みたいに聞こえるじゃん」
「語感ですか……」
呆れて声も出ない。
すると一気に顔が近づいてきた。こころなし輝いている。
「うん、いいね」
すすすと離れ、ため息をつく。
「なにがですか?」
「それだよ、叩けば鳴る。思うように、補うように言葉を返してくれる。それって貴重な能だと思わない?」
「思いません。だれでも、付き合いが長くなれば起こることです」
「それをこんな浅い会話からできてるのがめずらしいんじゃん。やっぱり私の目に狂いはなかったあ!」
後ろに倒れ、大の字で仰向けになった先輩は、からころ笑う。
「知ってる? 人間の言葉の意図って、発する時点で平均して三割しか残ってないの。言語化の精度すらあやふやだと一割も残らない」
「はあ、実感はあります。芯まで削った言葉しか吐かないので、三割でも十分ですが」
「意識の変化すら追って会話を成立させるためには互いの呼吸を知ってないといけない。合わせてる面があるとはいえ、元浦くんはよく響く。これを喜びと言わずしてなんという」
「歓喜、思いもよらぬ巡り合わせ、まだ見ぬ人。色々ありますよ」
起き上がった相良先輩が身を乗り出した。
生気に溢れ、幼くも見える。
「ねえ、私と友達にならない?」
「それは、わたしとですか。それともわたしのおしゃべりとですか」
「どっちも同じじゃん」
「はあ……わかりました。失礼します」
立ち上がって鞄を手に取る。腕を掴まれた。
「どこいくの?」
「帰るんです。話になりません」
「そんな!」
なに驚いてんのよ、この人。
相良先輩の腕を振り払った。そのとき、勢い余ってひざを擦りむかせてしまったかもしれない。先輩に気づいた様子はなかったが、気にしないわけにもいかない。
膝を折って目を合わせる。
「膝を見せてください」
「え?」
「いいから、擦りむいてないか確認するだけです」
「あ、うん」
膝立ちからなおり、足を崩したところを見る。
よかった、傷はない。
目線を上げると、複雑そうな相良先輩が眉を寄せていた。
「この程度じゃ傷なんてつかないよ」
「つくんです。畳の折向き次第じゃ。手荒になってしまったのは申し訳ないですが、先輩も先輩です。欲しいものばかりに目を向けて自分のことを蔑ろにしないでください。かけらだって心配くらいします」
相良先輩が小さくうなずく。それで満足だった。
わたしが言及すべきラインはここが最大だ。これ以上は余計なお世話になる。
相良先輩の口元にかかる髪をつまみ払い、今度こそ立ち上がる。
「おしゃべりならいつでも付き合いますよ。ただし、わたしの友達になったとか仲良くなったとか勘違いしないでくださいね。どこまでいっても先輩は先輩でしかありませんから」
背を向けて襖を開ける。そばに座っていた青戸さんと顔を合わせた。
無表情で、なにを考えているかなど及びもつかない。
軽く礼をして来た道をゆく。
追ってくる足音はなかった。
玄関に着くと、小さな背があった。
「どうも……」
「あ、え?」
「お邪魔させていただいた元浦です。それでは」
「ちょちょちょ待って! なんで元浦くんがここにいるの⁉︎」
腕をひっぱられ、仕方なく振り向く。
ボブにウェーブのかかった具合、わたしの妹より幼そうな体躯の少女であった。
「はて、どこかでお会いしましたかね」
「相良まい! クラスメイトでしょ。お客様かなと思ったら、なんで元浦くんがここにいるのよ」
「ああ、相良先輩の妹さんでしたか。くらすめいと? なのは申し訳ありませんが覚えてなかったです。用元ですが、相良先輩に誘われたのでとしか答えようが」
廊下奥からやってきた青戸さんが声を上げた。
「お嬢様、あまり大声で話させるものではありません」
「青さん、なんでこの人がいるの」
歓迎された声音ではない。不可解な気が大きかったが、わずかに不快さも滲んでいた。
青戸さんはなんのことはなく、即答した。
「ひよりお嬢様が連れてこられたんです。それ以上はご本人に」
「いやいや、だめでしょ。姉さんが男の人と、しかも等外くんじゃなくて元浦くんなんて」
「失礼ながらお嬢様、お客様の前です」
「っごめんなさい。元浦くんも、引き留めてごめん」
首を振って戸に手をかける。
「いえ、こちらこそ名前も顔も覚えてなくて申し訳ない。あと一年もしたらきっと記憶に残ると思うから」
「そこは、今覚えるって言ってよ! この能無し!」
「お嬢様!」
ピシャリと閉めて相良宅を出る。
門の前で振り返った。
「……気色わる」
腕をさすり、帰路についた。
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鉄仮面でも被っているのか。初対面にしてあまりにもなことを思ったが、二度目に見たとき、あれは笑うのだと知った。
夕の焼けがさすころになって、やっと己を取り戻した。
あれは拒絶なのだろうか、そうに違いないのに、嫌悪も建前もなかった。
あれは美麗とは呼べないのに、凡愚の男よりも真に言葉を偽らない。
襖が開く音がした。青戸だ。叱りだろうか。はっちゃけすぎたところはある。
「お嬢様……」
ごろんと寝転がり、天井を見つめていた。畳の匂いだけが定まらない心を落ち着かせてくれる。
「まいお嬢様がお会いになりたいと」
「通して。弁明くらいはしてあげるよ」
下手に黙っていても仕方ない。生き馬の目を射抜くような人生、休まる時があっても動いてしまうのだから憎らしいものよ。
体を起こして座す。襖には背を向けた。
「姉さん、なにやってんの」
開口一番、不機嫌きわまりない声だった。非難、困惑、得心、声音ひとつで読み取れる。この妹でさえ読めるのに、なぜあれは……。
とと、いけない。
「なにとは?」
「元浦くんだよ。家に招くなんてなんのつもりら。等外家との信頼にヒビ入れるつもり? まだ一代の付き合いしかないのに、信頼も浅い方なのに」
がしがしと髪をいじってそうな苛立ちだ。
この妹は内弁慶にもほどがある。対外的には口下手なくせして、強気なこと。
「総務省所属、北日本支部の統括所長を代々努める等外家。その影響力は北日本におけるあらゆる面に及ぶ。だからってアレはだめだよ。私にまで手焼きを入れてくるなんて」
「そこはちゃんと注意したじゃん。根に持ってんの?」
「違うのよ、まい。見え透いた増長の種を、あえて我が家に入れるのはリスキーすぎると判じただけ。これなら一般庶民の男の方がまだマシよ」
「っいまさら鞍替えでもしろと? そんな不義理、許されると思うの」
長い目で見れば毒でしかない。あの男は。なら痛みも込みで切らねばならないのだろう。
等外伊織はだめだ。そう決することができるほど、欲深く自制がない。
「まい、貴女がどれだけ彼を想っていようが、その忠が彼の毒を御せなければ、遅かれ早かれ剪定することになる。覚えておきなさい」
「……元浦くんは、保険のつもり?」
「まさか、本当に気紛れよ。それで等外伊織と貴女の間に不和が生まれようと、回復できないなら初めから結ばなければいい。脆すぎる夫婦仲を取り持つほど私たちは暇じゃないの」
外交官という職も、だんだんその意義を失ってきている。
わたしたちの代で終わりかもしれない。いや、元々未来なんてなかったのかも。それでも国交が絶たれるまで、争いごとはごめんだ。
さざなみが如く、平常の心が戻ってくる。熱も惜しいが、こっちの方が当たり前なのだ。
「……うそつき。自分は自由にできるからって」
「まい、元浦くんは当て馬でもなんでもないわ。それ以上言葉をつのるなら、有意義なものにしなさい」
「その空虚な言い回しが大嫌いよ」
枯れた声音だった。諦念、なにを諦めたかは知らないが、知る意味もない。
襖が閉まる音がした。
夕暗のなかでも、あの花はぼうっと浮かび上がる。白いそれは少し早い開花であった。
名前はそう、桔梗だったか。
生ぬるい風が首元をなでる。
「はあ、ほんとうにままならない。……元浦くん、ね」
腹黒はお嫌いなのかもしれない。
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