第2話 ともだち

 帰宅すれば、祖父の楊一郎が台所から顔を出す。


「おお、帰ったかトシ」

「ただいま」

「なんだ、めずらしく口元なんて緩めて」


 目を丸くする楊一郎の脇を通り過ぎ、座敷間に荷物を置く。学生鞄といい、制服といい、やはり好きになれない。

 上着を脱いでハンガーにかける。

 それでも上等な布地な手前、丁寧に扱ってしまうのが悲しいさがだ。


「学校にね、藍より子どもっぽい子がいてね。微笑ましかったよ」

「そうか。高校には藍ちゃんよりも幼い子がおるんか」

「見た目だけだよ。年はわたしと同じ十五。あの学校自体かなりの倍率らしいし、しっかりしてるはずだよ」


 台所のテーブルにつけば、白のレースが膝にかかる。昔ながらの家と言った風だった。中心の茶菓子を適当に摘んで開ける。

 栗饅頭の、お徳用らしい手頃な甘さに頭が活気づく。

 楊一郎は調理中だったらしく、頭を手に鍋を混ぜる。


「じいちゃんは高校行かなかったのよね? たしか中学にも行けず、花や蝶と持て囃されていつのまにやら婚約者が十三人とか」

「まあなあ、あの頃はそりゃもう男の進学なんてなかったさ。産んで大人しく、それがお国のためになるってな。同じ世代の男なんか会えず、みーんな奥間座敷にしめこまれてたよ」

「今もそう変わらないって。独立して生活できる男性なんて一握りさ。下っ端さえやらせてもらえるかどうか」


 湯呑みを飲み干し、大きな音をたてて置く。


「……まだ怒ってるんか」

「無理矢理お相手さんのとこに詰められたこと? それとも精力剤を夕飯に混ぜられたこと? いやいや、その程度なら別に。ただ話が通じないのがね。働き手の母さんはともかく、父さんは頭使うくらいして理解を示してほしかったよ」


 わたしが自立したいという意味を、いまいち捉えきれてない。

 やはり所詮家族なのだろう。

 空袋を捨てて立つ。


「高望みが過ぎた。やっぱり話すべきじゃなかったね」

「まあそう急くな、トシ」

「生きる意義のないわたしに、今のまま空疎に過ごせというほうが無理あるよ。お金で養われるのも、心苦しいのよ」

「トシ……」

「わたしは働くために生きてるわけじゃない。楽していきたいわけでもない。ただ飢えず、それに満足してたいだけ。幸せなお話はよそでやってよ」


 楊一郎は火を止め、急須を傾ける。わたしも腰を下ろして湯冷めを待った。


「甘ったれやなあ、トシは」

「なに、男の義務を果たしてないとでも? 残念ながら精の提供義務は果たしてるし、同年代の男の子と色んな子を引き合わせたりもしてる。じいちゃんのゆうお国のためにね」

「それで納得するのはお上の方々だけだろうに。ヒフミさんやことりちゃんは」

「母さんたちがどう思おうが、こどもは姉ちゃんや妹たちが生む。適材適所でしょ。あの子たちがそれを望み、わたしは望まない。なら分けて考えた方がいい」


 こつん、こつん。爪で湯呑みの腹を叩く。

 楊一郎はどうしても理解できないらしい。不毛にも思うが、だからといって投げ出すほど嫌気がさしてるわけでもない。

 渋い顔をする楊一郎はこちらに背を向け、火をつけた。


「おれにゃあ、トシはわからんよ」

「だれもわかってくれる前提では話してないし、これも気まぐれだよ」


 ぬるま湯を飲み、腹底の気色悪さを抑え込む。

 

「ご馳走様」


 台所を出る時、楊一郎のつぶやきが耳を掠めた。


「……トシはぜんぶ嫌いなんやなあ」


 次の日、学校では早速授業が始まっていた。前世の日本と違い、その様式は大きく異なる。数学が認識論からはじまったり、国語は作者の意図ではなく、如何なる解釈ができるかという翻訳の真似事に起点を置く。

 中学の頃よりもっと形而上的なものを扱うゆえか、授業中の生徒たちの議論風景は毎日のように見られる。

 女子たちは等外か朝倉に吸い込まれ、わたしはひとりで教科書を読んでいた。

 ただの数式遊びや前時代的知識の拡大再生産になっていないところ、まだ前世より探究の理念が死んでない。

 均質な知者、制度に従順な奴隷の生産に堕ちないだけ見習わなければならない精神だろう。まだ先があると思わせてくれる。それだけで、前世日本とどれだけ違うことか。

 鼻高な朝倉でも、しかし学には真剣らしい。


「つまり、アダムからイブが生まれたとするのは、父性が母性を規定するという象徴的意味合いを含むんだ」

「でもさ、それって先にアダムがいたからでしょ? イブの存在がかえってアダムの特異性を浮き彫りにするのが、わたしたち後の人間の印象だよ。抜き差しからみればどっちでもいいけどね?」


 朝倉は乾いた笑いを浮かべ、目を逸らした。

 

「いやあ、古崎さんは積極的だなあ」


 周りの女子たちでさえ苦笑気味だった。

 教科書で口元を隠し、等外を見やる。端正な美丈夫は、サークルを組んで、各々意見を出し合っていた。


「今は等外くんの地域じゃどんな祭りやってたの?」

「そうだな、ふんどし一丁で冬場の町内をまわり、まぐわうものだった。以前は夏でもやっていたんだが、受胎治療のおかげで頻度が減ったんだ。父上たちは腰が痛まずに済むと言っておられた」

「へ、へえ。……く、うらやましい」


 偉い方の子女ともなるとまぐわいひとつとっても段取りやらなんやらが必要と聞く。淡々と応える等外のグループは、どこか妄想に浸っているような恍惚とした沈黙があった。

 この手のしもの話にはことかかないのが今世の人生。前世なら腹を抱えて笑った話も、男女比が狂っていると子作りも必死だ。

 等外の言う祭はよくあるものだった。そうしていると目があう。軽く手を振れば会釈された。


「どう、元浦くん」

「気楽なもんですよ。朝倉くんの目があるから、わたしに話しかけにくい。その気が等外くんのグループにまで及んでいる。女子方々は朝倉くんに対する比重が重いですね。やっぱり軽そうだからですかね」


 あれはやるのを躊躇わず、後腐れもないタイプだ。

 音無先生はうなずき、満足といった様子だ。カーディガンにフレアスカート。教師でも着飾るところ、ほんとうに前世と違う。


「わたしも欲しいものね。縁があればだけど」

「男の籠絡くらいできそうなもんですけど、音無先生」

「誘ってるの?」

「まさか、意外なだけです」


 隣の空席からイスを寄せ、微妙に向き合わないように弧を描く。

 音無先生が腰を下ろす時、ふっと甘い香りが鼻腔をくすぐった。それは安物にありがちな人工臭がない天然もので、ミルクにも似た滑らかさに安堵する。


「今は仕事してたいの、かな。私は自分の天命が教育にあると確信してるから」

「いいですね、それ……」


 クラスを眺める音無先生は、それを疑っていないようで、少しばかり妬ましかった。

 昼休憩になると、校内はいっそうにぎやかさを増す。岡上の学校という立地もあり、窓際や涼やかな中庭は人気のスポットらしい。

 薄雲が漂い、間延びしたお昼の空気に気が抜ける。

 

「元浦」

「……等外くん、どうなさったんで?」

「昼」

「は? ああ、飯ですか」


 手に下げた弁当は、大柄な等外と比していっそう小さく思えた。

 女子らが集ってきていないところ、払ったらしい。みな物欲しそうに目を向けてくるが、等外が咳払いすればそそくさと戻っていく。

 朝倉はいなかった。


「敬語はいい」


 前のイスを反転させ、どかっと座る等外は抑揚のない声音で言った。

 少し見ればわかる。ざっくらばんな態度が好まれるやつだ。


「わかった。して、なんの用?」

「声をかけては悪かったか?」


 わたしも弁当を取り出しつつ返す。


「いや、わたしに話しかけるのは、大概用がある人だから。ないなら別にいい。いただきます」

「いただきます」


 黙々と、のんびりした女子らの雑談を耳に箸を進める。意外なことに等外のつめはよく整えられ、一見雑髪だが手入れが細かい。

 箸の使い方に至ってはどこか形式的な美を感じた。

 さすがに良家か。


「元浦は」

「ん?」

「女嫌いと聞いた。ほんとうなのか?」


 まっすぐなやつだ。真にこちらを見つめてくるのですわりが悪い。そして巨躯なために圧迫感が凄い。

 水筒を傾けて口直すと、一息ついた。


「嫌いではないよ。話すのも、まじるのも忌避感はない」

「ならなぜそんな噂がたってるんだ。お前に近づく女子などこの二日見てないぞ」

「音無先生の前で言っちゃだめだよ、それ。あとは人まだ若いし。そうだね、わたしがことごとく婚約を破棄したり、近くの男子と縁結びするからかな。みんなどう接すればいいのかわからないんでしょ」


 窓の方に横目をやる。

 グラウンド側では、男子一人を見目麗しい女子が三人で囲んでいた。

 

「わたしの方から仲ようなりたいと思うこともないし。四六時中考え事してる身じゃ、まわりをちょろちょろされるのも苛立たしい。つまるところ求めてないのよ」


 等外はそうかと一言きり、押し黙った。

 

「ほら、行きなよ」

「わ、わかったから押さないでって」


 等外と顔を合わせてそちらを向くと、小柄な子がいた。肩を押す後ろの女子はにまにましている。


「あ、あの」

「どうした、相良」

「だれ?」

「え……」


 等外はそうだったとばかりに得心し、教えてくれた。

 

「相良舞、俺のグループの一人だ。気は弱いがこれが可愛らしいとこでもある。……なぜ三坂はほうけている」

「二日でそれだけ印象付けられる等外くんの方が気になるよ。二人ともどうかしましたか?」


 相良と呼ばれた子は愕然としているようで、固まっていた。

 三坂なる少女が横に来た。透き赤髪の編み込みが印象的だ。これなら一日でも忘れなさそう。三坂は言いにくそうに口を開いた。


「えっと元浦くん?」

「はい元浦ですが」

「昨日のあれ、覚えてる?」

「昨日、なんかありましたっけ。等外くん、この方たちが用あるそうですよ」

「いや、明らかに元浦にだろう」


 控えめにうなずく二人を確認してなにかあったか思い出す。

 

「特にこれと言って……」

「ああもう、昨日この子の手当してくれたじゃない」


 三坂は相良の腕を掴み、手先を見せてきた。藍より幼くない? この子、すべすべもちもちの肌とか泣くよ藍。スキンケアにかけるお金に頭抱えてたし。

 感心していると、どうと聞かれた。


「ああうん、綺麗な手だね。傷一つない玉の肌なんて、女優さんみたい。いやほんと、わたしたち男と違って潤いがある」

「元浦、聞きたいのはそこじゃないぞ」

「ごめんごめん、この絆創膏だよね。昨日か、どうでも良すぎて覚えてないかも」


 うっと両手をついた相良に、三坂は頭を抱えた。等外は腕を組んでご立腹のようだ。

 仕方ないじゃない、猫と戯れたのを明日明後日まで引きずる人間がいないのと一緒よ。とはいえ収拾をつけないと。


「元浦……」

「そう睨まないでよ。相良さん、顔あげて。ほら、子に泣き顔は似合わんよ」


 ハンカチで目元をとんとん。

 相良は潤目が止むまでされるがままだった。ずっと床に手をつかせるのも悪い。両脇に失礼して、わたしのイスに座らせる。


「わたしに覚えてもらわなくても、等外くんがいるじゃないの」

「俺を代替物のように言うな」

「そうよ、元浦くんと違って紳士なんだから」


 ふん、と二人して鼻を鳴らす。

 息ぴったりじゃん。結婚しちゃいなよ、もう。けどまあそう簡単にはいかないのが上流階級の常。

 相良さんは、本家のスペアみたいなものかな。気が弱いし、出産担当の末妹かな。


「よし、もう大丈夫ですね」

「……うん」

「ごめんなさいね、わたし人の名前とか存在そのものを覚えておくのが面倒で。必要じゃなきゃ基本的には……ね?」

「ね? じゃないわよ、それくらい覚えときなさいよ。まったく見てられない」


 ずかずか言うわりにわたしと相良の間に入ってこないところ、対処は間違ってないのだろう。


「ごめんなさい」

「こちらこそ失礼して申し訳ない」

「なら覚えときなさいよ」

「三坂、おそらく無駄だ。相良もあまり気を落とすな。元浦という男を知る良い機会だったろう」

 

 ここぞとばかりに皮肉ってくるなこの美男子。そんなに『等外くんがいるじゃない』発言が気に入らなかったか。

 しゅんとする相良から目を移せば、案の定等外が笑みを浮かべていた。


「はい、等外くん」

「あ、相良さん結局何の用だったんですか?」

「それは、その……」


 三坂に助けを求めるように顔を向けるが、あごで拒否され、ぎゅっとスカートを握る。

 相良さん将来苦労しそうだなあ。


「き、昨日はありがとうございました。突然のことでお礼が遅れてしまい、今となってしまいましたが」

「礼は受け取っておきます。これでいいでしょ、等外くん」

「ふう、ああ……」


 なぜ嘆息するし。そしてなぜ三坂は嘆かわしいといったふうに、やれやれ首を振るし。

 

「相良さん、あんなになっちゃったら終わりだよ。人として」

「常識的な人は、クラスメイトのことを忘れないと思うんですけど」


 おずおずと、しかしはっきり言及できる相良は、間違いなくしっかりした子だった。ただ涙脆い、それだけなのかもしれない。

 味方がいなくなり、鼻で笑う等外と三坂。


「まあいいよ。どうせ三坂さんと相良さんのこと、明後日には忘れてるだろうし。等外なにがしくんは、先生に頼まれてるから覚えとかなきゃいけないけど」

「……伊織だ。忘れるな、惚けもんが」


 途端に毒づく等外に、三坂が強張る。相良もまゆをひそめてこちらを見つめてきた。


「ならわたしに尊ずべきと思わせるものを見せろ。態度でも能でも、ひらめきでもなんでもいいから。身につけた品格ではなく、自ら育てた精神でな」


 

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