第3話 花見で一杯

 等外の返答はなかった。三坂と相良も顔をしかめるばかりで何も言わない。


「それだけあれば勝手に覚える。等外くん次第だね」


 頬杖をついて時計を指差す。静まり返った教室中がばたばた騒がしくなった。

 休み時間も終わり、午後の授業はどことない緊張に包まれた。朝倉が目を丸くして等外に聞いていたが、頑として首を振らなかった。

 誰に呼び止められるわけでもなく、帰路についた。貴重な男子はそれなりに警備が厳しく、車での登下校が当然らしい。

 校門前にはずらりと色様々な車が待機している。

 それらを横目に坂道を降りていく。斜陽の影になる西側の道はそれなりに冷え、生足をさらす女生徒たちは早足に過ぎていく。

 奇異な目でチラ見されるのが何度か続き、街中に入ればそれも薄くなる。どこかしこも女性なのは、いい加減慣れたものだ。

 街明かりのもと、大通りを歩いていると、携帯が震えた。壁際に寄ってポシェットから取り出す。


「はい、元浦です」

「あ、元浦くん? 音無です」


 いい予感はしなかった。大抵電話というのはトラブルの一報が多い。

 ため息を飲み込んで壁にもたれかかる。


「等外くんの家からちょっとクレームというか、非難というか。まあ元浦くんに分をわきまえろといった電話があってね」

「ああ、好きですよねえ。その手のやり玉の上げ方。それで先生は事情を確認するためにこの電話を」

「ええ……慣れてるのね」

「はい、等外くんのはまだ理性的な方です。お家に甘やかされた猿大将ならもっと直接的に、わたしを疎外したりしてましたよ」


 腕をさする。肌寒さが増してきたように思えた。こころなし道ゆく人も増えている。

 帰宅ラッシュも本番というわけか。

 音無先生はいい。多分形式的な「事情聴取はしましたよ〜」的なこと言って男子間の問題に介入するのは避けるはず。

 それで問題はなかった。


「男の子にもいろいろあるのね」

「わたしが特別口の悪いってことじゃないですから。まあ、男には独占欲があるんでしょうね。あと山よりも高いプライドが」


 つけ加えると、電話口の向こうでふふっと声が漏れる。

 

「わかったわ、話は聞いておいたと伝えるから」

「申し訳ありません。こんな些事にわざわざ仕事を増やしてしまって」

「ほんとよ、もう先生方の見てる中でぺこぺこするのは嫌なんだから」


 肩をすくめたのはわたしだけではないだろう。

 

「重々注意しておきます、当事者間で済むように」

「そうして。でも話したいことがあったら言ってね。なんでも聞くから」

「ありがたいお言葉です。では」

「こちらこそ」


 通話が切れたのを確認して歩き出す。

 等外伊織、思ったより粘着質な男かもしれない。それだけなら、やっぱり覚えておく意義はないな。

 あの学校には未来の日本を担う人材が集まっている。女子とて、ただ男子をよいしょしていればいいというものではない。

 家としての、将来的な職業人としての役割を加味して対応を変えるよう教育されている。“母”担当の子でもないかぎり、恋愛やらにうつつを抜かせるほど国は安定していない。

 あのクラスは“母”担当が集められていたということか。そこに放り込まれたわたしは、なるほど圧力をかけられている。

 

「もし」


 肩を叩かれて振り返る。たれ目の、同じ背丈ほどの女子だった。制服は同じ校のもの、面識はない。

 ポケットから手を抜き、耳にかかる髪を流した。


「はい、なにか」

「元浦さん、ですよね。私二年の相良ひよりです。妹がお世話になっております」


 頭を下げられて、こちらもおずおず続く。

 しかし苛立ちもあった。学校ではまだしも、学外でまで生徒と話したくはない。

 

「妹、ですか。もしや相良舞さんの。ああ、あちらでよければお話を」

「ええ」


 ベンチに腰を下ろして鞄をついたてがわりに置く。微笑を浮かべる相良ひよりは、気にしていないようだった。

 品よく、それこそピンと伸びた背や重ねられた手がそんな育ちの良さを滲ませる。


「舞はどうですか? なにやら元浦さんにご迷惑をかけたとか」

「いやいや、お気になさらず。醜聞と呼ぶ程度のものでもありません。可愛らしいものですよ。少なくとも二、三日で忘れるくらいの些事です」


 目の前を、女性を引き連れた男がよぎる。ちらと相良ひよりのほうを見やるが、押されるがまま連れて行かれた。

 相良ひよりはなんのことはなく、穏やかな眼差しのままであった。


「左用ですか、それはよかった」

「苦慮されていたわけでもないのでしょう? 意思確認にこられた、そんな気がします」

「そうですね。口止めとは直接的ですが、お願いに参った次第です」


 笑顔を張り付けているものの、声色に変化はなく、嘘ではないようだった。

 断る理由もない。

 ゆるく頷いて立つ。


「しかと承知しました。夜分はまだ冷えます。そろそろ」

「はい」


 楚々とした歩調を保ち、並んで歩く。


「……元浦さんは」

「元浦くんでも、下の名前でもよろしいですよ。さん、とはなんとも居心地の悪い。失礼、さえぎりまして」

「いえ、ではトシくんと」


 帰る方向が同じなのか。それ自体はおかしくないが、疑ってしまうのが偉い方との付き合いだ。

 

「あなたと話していると、会話を切られる恐れがないんです」

「ほむ、それは当然では? わたしはお喋りが好きですから。他の男子がどのような態度かは知るところではありませんが、ほっとしていただけるなら幸いです」


 考え込むように相良ひよりは押し黙った。

 大通りを外れるところまでまだ余裕があるか。気長にいこう。


「ありがたい、ですね」

「こちらこそご丁寧に、揚げ足をとられるような無粋な真似もされないので口も軽やかです」

「そうですか……トシくん、男の子にしておくのはもったいないですね」

「たまに言われます。しかしそうある以上変えられません」

 

 相良ひよりがぽろっとこぼした言葉は、幾度となく言われてきたものだった。親から、同輩から。

 ふいに肩を震わせた相良ひよりに足を止める。


「寒いですか?」

「まあ、はい……」


 相良ひよりは煮えきらない口調で手首をさする。わたしは内ポケットから懐炉を抜き、相良ひよりの手をとって握らせる。

 すぐに手を離した。


「まだ冷え込む日もありますが、懐炉もこれで終いです。明日からは、わたしに用もなくなるでしょう」

「は、はい」


 かすかに目を見開く相良ひよりは、いまだ懐炉を手の中にしまいこんで固まっていた。


「お住まいは近くに?」

「ええ、一駅さきのすぐそばです」

「そうですか、ならここで。あまり遅くまで出歩くのは体に悪いですからね、お体を大事になさいませ」

「……はい、あなたこそ」


 矢継ぎ早に言い残して通りを出る。最後になにか言われた気もするが、もっと大事なことを忘れていた。


「内ポケットの糸がほつれてたんだったー! 針と糸はりといと」


 


——————————————————————


 丘登りの日常にも慣れてきたころ、その話を提案された。


「花見ですか?」


 顔を上げて紙を置く。

 音無先生は目を輝かせて乗り出した。淑女としてはよろしくない姿勢であるからか、遠巻きに見てくる女子の目は冷たい。

 胸を突き出すみたいで露骨だものねえ。


「ええ! 学年の垣根を越えた交流を目的としたものでね、元浦くんにも是非参加して欲しいのよ」

「それを言論の時間で言い出しますか。いやまあわたしとしても助かるんですけど」


 話題不特定、社会や政治、その他諸々について議論し合う時間が設けられているが、あいにくわたしには相手がおらず、音無先生がパートナーとなることが多い。

 しかし花見ともなると……わびしい。非常にわびしい思いをしそうだ。

 満開の桜のもと、うるわしき美男美女が団らんし合い、ときには結ばれる。そんな夢を見てそうな音無先生には悪いが、わたしはひとり飯が好きだ。

 なにより姉妹がいて当然の名家の集まり。この学校でもお互いに一定の距離をとっているという人は多い。“母”担当の子の姉に思慕する男がいたら悲惨なものだ。


「そんなに嫌?」


 渋い顔をしていたのだろう、不思議そうにのぞきこんでくる。

 

「嫌というわけでは……そうですね、参加する理由がないんです」


 イスを引いて距離を取る。膝を突き合わせていたからか、思ったより近かったことを実感する。

 窓際から見下ろす校庭には、まだ青い桜。満開になるのはほど近いだろう。


「お見合いみたいなとりかたをしてるのかもしれませんが、わたしにはそう思えません」

「たしかに将来、関わることの多くなる子女が多いから、顔見知りから始めようなんて側面が大きいけどね。だからって元浦くんが避ける理由にはならないじゃない」

「縁にも良縁と悪縁があるように、むやみやたらに顔を広げるのもよくないと言ってるんです。もしかして先生、わたしを引っ張り出すのを条件に、だれかと取引しました?」


 音無先生は肩をすくめた。


「そんな相手いないよ、私には。元浦くんと話したいって人はたまに聞くけど、それも欲じゃなくて本当に討議みたいなものだから」

「さしずめ不用物ですか」

「男だもの、そんなことはないけど……」

「扱いにくい、ですか」


 あいの手を入れるように差し込めば、うなずいた。

 

「元浦くんを前に言っちゃうのはあれだけど、男の子ってほら、どこまでいっても種馬以上の価値がないというか。むしろそれだけだから上手く回るところが多くて」

「ほむ、遠回しに言わなくていいですよ。とりあえず話を戻しましょう。そして単純に考えてください。わたしには参加する理由がない。でもそれは“わたしには”ということです。知り合いのだれかに“一緒に花見でも”と誘われれば……」


 音無先生はごくりと息を呑んだ。

 思えば先生も不器用な人だ。まわりくどい誘い文句ばかりで、本音らしい本音を語れていない。

 わたしも、願望がないからと言って受け身すぎるのだろうけど。


「じゃ、じゃあさ」

「はい」

「花見で一杯、付き合ってもらえない?」

「よろこんで」


 声音を柔らかくする。相好を崩すくらいの余裕はあった。

 ぱっとはなやぐ先生は、先生らしくないものの、指摘するのも無粋に思えた。


「よかった〜。私ひとりで学生たちの華模様に焼かれずにすんだ」

「先生方はまとまって動くんじゃないですか?」


 胸を撫で下ろす音無先生はしみったれたことをこぼすが、あの若々しいグループにいてもなんら違和感はない。

 むしろわたしのように、どうしても馴染めない男の方がうく。


「え、いや休日だから自由なのよ。でも学内には待機しておかなきゃいけないし、飲み交わすほど仲のいい先生もいないし」

「それでわたしを……必死すぎません?」

「だって元浦くんとはいえ男の子と花見だよ? そりゃ逃す手はないよ」


 さらっと失礼なことを。

 等外と朝倉を横目にする。

 あれらと比べたら気持ちもわからなくはないけど。高嶺の花よりたんぽぽのようなものだろうか。


「そうだ、妹を連れてきてもいいですか? 藍、いえ妹は毎年のように桜を見たいというので。もちろん警備上問題なければ」


 案内用紙を読みなおしつつ問いかける。


「ご家族の参加なら、事前に申請してくれれば可能よ」

「では三人で、ということになりそうですね」


 音無先生は微笑みを崩さなかった。良いらしい。


「にしても断られるとは思わないのね」

「兄妹仲はそれほどですけど、風情を楽しむ趣味は似通ってまして。なんとなく、拒否されるとは」


 首を振って書き込みんでいく。

 日程、用意するもの……。


「男の子のいる家庭じゃ、仲は良くないの?」

「家が特殊なんですよ。わたし自身は自立志望だし、妹たちは典型的な働くのが好きみたいなとこありますから。普通なら間違いなく家族同士のまぐわいが毎夜起きます」

「た、他人事みたく言うのね」

「あ、この部分は」

「そこはこっちで手続きしておくよ」

「ありがとうございます。それで、まあ他人事ですよ、間違いなく」


 とんとんとプリント類をまとめ、咥えたクリップを手にして挟む。

 言論の時間もそろそろ終わりそうだった。


「等外くんや朝倉くんを見てるとわかるでしょうが、わたしには男としての魅力はありませんから。だれかとそういう関係になるのは想像できません」

「迫られたことくらいあったでしょうに」


 眉をひそめる先生は声を落とした。


「盛りのついた猫みたいなものですからね。それで祖父母の家に越した面もありますから、先生が心配するほど過激ではないですよ」


 夜半に忍び込んできたところを締め落とし、寝室に放り込んでおけば良いのだから。

 むしろしもの濡れが布団についていないか。そちらの方が心臓に悪い。洗濯するのもなかなか手間だ。

 

「さて、妹の方の話はつけておきます。先生も、当日を憂いなく過ごせるようお仕事頑張ってください」


 そのとき、終齢が鳴る。

 先生も席を立った。息抜き程度にはなったらしい、緊張がほぐれたように思える。


「労りも社会人になると、身に染みるね」

「この程度でお助けになるなら安いものです。ひと頑張りする理由にもなったでしょうし」


 目を丸くした音無先生は、肩を揺らして笑った。こちらもつられて、口元を隠して笑む。


「そうね、お金に上乗せされたお駄賃があると、いっそうやる気になるものね」

「わたしも、ふだんあの子にかまってあげられない分をここでガス抜きしないと、どんな目に合わされるか」

 

 くすくすと、二人して我慢できなくなってしまう。

 ひとしきりそうして先生が去る。その背を見届け、イスに背をあずけた。

 今世の世界は男女比が崩壊してしまっているからか、男も女もそれはそれはお盛んだ。家族に姉妹がいるのは当然だし、藍が慰めを覚えたのも小学生の時だった。

 深夜の洗面所で、濡れた布片手にはちあったときはどれだけ気まずかったことか。

 とかく、昼は人間でも夜は獣。わたしが引っ越してから、わたしの私物を手にできないでいる藍が、どれだけ溜め込んでいることか。

 心配だけはしておこう。


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