第6話
降り出した雨は、まるで天が怒りをぶつけるように雷鳴を伴い、容赦なく地を叩いていた。
びしょ濡れになったセリカリーナは、ようやく屋敷の門をくぐった。
靴からは水が滴り、髪は頬に張りつき、吐く息が震えている。
疲労のせいか、寒さのせいか、それとも恐怖か――自分でも判然としなかった。
婚約破棄を告げられたあの瞬間から、世界はずっと軋み続けている気がした。
宮廷のざわめき、嘲りと憐れみの混じった視線、そして血溜まりに沈む父の姿。
それらが耳と瞼の裏に焼き付き、剥がれ落ちることなく彼女を蝕んでいた。
震える唇で、セリカリーナは屋敷の者たちに今夜の出来事を告げた。
第三王子からの婚約破棄――そして、父が暗殺されたことを。
言葉を吐き出すたびに胸が裂けるようで、声は途中から掠れていた。
その報せを聞いた瞬間、家中に雷が落ちたような衝撃が走った。
いや――実際に、雷が落ちたのだ。
耳をつんざく轟音とともに、屋根を貫いた稲妻が炎を呼んだ。
豪奢だった屋敷の紋章旗が燃え上がり、金糸の刺繍が赤く溶け、やがて灰となって空へ散る。
燃え盛る光が雨粒を朱に染め、夜空にかすかな煙の匂いを残した。
雷が落ちた後、雨は不思議なほどすぐに止んだ。
だから炎の勢いは衰えずに、業火が屋敷を包み燃やし尽くした。
残ったのは瓦礫の崩れる音と、誰かが誰かの名を呼ぶ悲鳴だけ。
その声は夜に吸い込まれ、やがて風の音と区別がつかなくなった。
夜が明けた。
濃い灰の匂いが漂う朝の空気の中で、セリカリーナは焼け落ちた屋敷の前に立ち尽くしていた。
かつての誇りも栄華も、いまは黒い煤の中に沈んでいる。
隣に立つ執事も、侍女も、誰もが沈黙のまま。
その沈黙が「この家はもう終わりだ」と告げていた。
それは真実だった。
父の死と婚約破棄によって王家の庇護を失い、積年の悪行が暴かれた。貴族たちは待っていたかのように牙を剥き、正義の名のもとに糾弾した。
ハーベスト家は断罪され、家名も領地も財産も――すべて、灰のように散った。
セリカリーナ自身に罪は問われなかったが、この国には、もう居場所がなかった。
かつて“完璧な令嬢”と讃えられたその名も、いまや「没落令嬢」と嘲られるだけ。
誰も彼女を庇わなかった。
恩を受けた者たちは、昨日までの笑顔を捨てて、静かに屋敷を去っていった。
一人となったセリカリーナは、少ない資産である一頭の馬-名はプレオ-に跨がり、王都の灯を背に走り出した。
行くあてはない。
頼る者もいない。
ただ、彼方に広がる見知らぬ地だけが、彼女を受け入れるかのように沈黙していた。
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