第7話

 それから、どれほどの時が流れただろうか。


 空はどんよりと灰色に曇り、風は冷たく、乾いた大地を這うようにして吹きすさぶ。旅路の果てに人影はなく、ただ荒涼たる風景が果てしなく広がるばかりだった。


 出来る限り人と会わない、人が居ない場所へと向かっていたからなのか、知らず知らず、いつの間にか隣国の辺境へと辿り着いていた。


 そこは国境を越えた荒野――かつて戦火に焼かれ、今では魔獣どもの棲み処となった地。黒ずんだ地肌の荒れ果てた大地が、過ぎ去った戦の記憶を今も語り継ぐように並んでいる。風の唸りは低く、砂塵が容赦なく頬を叩いた。生者の気配が消えた世界で、彼女の孤独だけが現実の輪郭を保っていた。


 何もかもを失った女――それが今のセリカリーナであった。


 しかし、すべてを奪われた心の奥底では、なおも一つの焔が消えずに燻っていた。あの夜、灰燼と化した屋敷に最後まで燃え残っていた火のように。


――父の仇を討つ。

――すべてを奪った者たちを、地の底へ引きずり落とす。

――復讐したる。


 そのためには、どんな絶望の中でも、生きねばならない。

 たとえこの身がどれほど汚れようとも、息をしている限り、剣を握る限り。


 だが、運命は常に残酷であった。


 森の影が不自然に揺らめいた瞬間、セリカリーナはようやく異変に気づいた。

 濃い瘴気が風に乗って押し寄せ、空気がどろりと淀む。


 闇の奥から這い出してきたのは、牙を剥き、唸り声を漏らす狼のような魔獣。

 赤い瞳が、まるで人間の絶望を嗅ぎ分けるようにギラリと光った。


「……っ……!」


 馬はすでに疲れ切っており、逃げる余力はない。

 セリカリーナは素早く馬から飛び降り、帯剣を抜いた。幼き日に父の知己であった剣聖から教わった剣術――そのお陰で学院での剣術の成績は優秀であった。


 戦うしかない。ここで死ぬわけにはいかない。


 剣を構え、荒い呼吸を抑え込む。


 魔獣が唸りを深くし、涎が泡立つ。死の気配が、吐く息のひとつひとつに混じり始めていた。


「こんなところで……私は……死ねないのよ!」


 渾身の力で剣を振り下ろす。しかし刃は、魔獣の針金のように硬い体毛に阻まれ、浅くしか通らない。

 次の瞬間、魔獣は唸り声と共に飛びかかり、セリカリーナの体を地面に押し倒した。


「きゃっ!?」


 喉元に鋭い牙の影が迫る。恐怖と悔しさが胸の奥で入り混じり、呼吸が凍る。


 ――その瞬間。


 地面が低く震え、空気が重く揺らいだ。

 木々の向こうから、地を踏み砕くような重い足音が響き――巨大な影が姿を現した。

 岩の巨人――ロックゴーレムである。


 ロックゴーレムはその巨腕を振り払い、魔獣を一撃で薙ぎ払った。


 轟音と共に吹き飛ばされた魔獣は木々をなぎ倒して転がり、立ち上がりはしたがフラフラであり、そのまま茂みの奥へと逃げ去っていった。


 セリカリーナはただ、その光景を呆然と見つめていた。


 理解よりも先に、頬を伝うものがあった。涙だった。

 それが安堵の涙なのか、それともあまりの無力さに流れたものなのか、自分でもわからない。


 やがて、視界の端にひとりの男の姿が映る。

 その男は、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「おい、無事か?」


 低く落ち着いた声――その男は、アルトだった。


 その言葉を最後に、セリカリーナの体から緊張の糸がぷつりと切れた。疲労と安堵が一度に押し寄せ、彼女の意識は静かな闇へと溶けていった。


 そして、倒れ込んだ彼女の唇から、かすかな寝息だけが零れ落ちた。

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