黒の裁定者
マヌケ勇者
本文
「黒の裁定者」
「ひとときだけ、一緒に退屈から逃れましょう。シロン様。町のお祭りを見に行きませんか?」
そう先生からたずねられた時、私は心が羽のように軽くなった事をまだ覚えている。
まぁ、まさか彼があんな生意気な性格をしてるとは知らなかったからね。
そして――暗い過去も。
クロノア先生はこの町の領主の娘である私に付けられた、新しい家庭教師である。
講義を受けるようになってまだ数ヶ月だけど、私はすっかり先生のとりこだ!
その端正な顔にはいつも穏やかな笑顔があって、黒髪に赤いメッシュがよく似合っている。
それから時折り――ふと、彼は首元の紐タイを留める天秤模様の銀記章をいじりながら、憂いを含んだ横顔を見せることがあった。
それは法曹であることを示す、先生の父の形見だという。
ともかく彼は、まさに退屈な令嬢暮らしの癒やしだったのだ。
「お祭りまではこの馬車に乗って行きましょう。さあ、お乗りください」
バレないように平民の服を着てから、私は先生に促されて馬車に乗った。
すると――
「ゴメンなさいね、桃色の髪のお嬢ちゃん。これも任務なの」
先に乗っていたムッキムキの金髪パーマのオネエに、魔法でロープで縛られた。
え、なにこれ。どういうこと!?
「ふはははは! あっさりダマされやがったな小娘!」
いつもとは全く笑う表情が違うが、相変わらずの端正な顔つきはたしかに先生だ。
「クロちゃぁん、あんまりバカにするように笑っちゃ可哀想よぉ」
「はは、クロちゃんはやめろ。――言っとくが、もう走ってるから馬車から飛び降りたりしたら最悪死ぬぞ」
彼らは私を身代金目的で、悪の根拠地であるムラサメ教会へと連れ去るのだそうだ。
「悪!? 悪って普段どんなことしてるの? 興味ある!」
私は両手を前に鼻息荒く質問した。
「あ? おいお前、縛られてた魔法のロープはどうした」
「そんなちゃちな物、私には効果無いわ!」
なんたって魔法を弾き返す魔石のブローチがあるから。
「それより――先生となら、私もやってみたいのよ悪い事!」
「なんだよ、こいつまだ先生イメージが頭に残ってるのかよ」
つい呼んだだけで、実際のところそんなでもないけどね。
「じゃあ、クロちゃんで!」
「調子に乗るな小娘が!」
「まぁまぁともかく、プロフェッサー・ムラサメに聞いてみるのがいいかしら」
オネエのピンキーはそう提案した。馬車は駆け走ってゆく。
遂に停車した馬車を降りると、そこは崩れてこそいないがいかにもな廃教会といった風だった。
中に入ると長椅子の並ぶはずの礼拝堂には、左右に大きく立派なダイニングテーブルが四つも置かれている。
そして奥にはへたくそな絵で――先生の記章と同じ模様。丸の中に天秤、そして下半分に両翼のマークが描かれていた。
絵の下には大鍋をゆっくりとかき混ぜる白衣の若い女性がいる。
きっとあの魔女みたいな彼女がプロフェッサーだろう。
「プロフェッサー! 只今戻りましたわよぉ」
「あら~~、おかえり二人とも~~。今夜はビーフシチューよ~~」
あ、確かに鍋の中身はブラウンソース。言われてみればさっきからいい匂いがしてた。
「あの、悪の組織ってどんな事してるんですか?」
「お客さんかしら~? えっとね~~」
ぶっちゃけあんまり悪いことしていないらしい。
だが一方で罪人の子供や国家反逆者をかくまったりするため国にはにらまれている。
「それでもお金は大事だから~、身代金が出るまであなたは人質よぉ~~」
だから帰れないってさ。別にかまわないけど。
人質ながら自由に私が廃教会の中をあれこれ散策していると、クロノアの部屋に辿り着いた。
ドアは開けっ放しにされ、中ではホウキの音がする。
覗くと赤い髪の女性が掃除をしていた。
「掃除婦の方ですか?」
「おや? うーん、そうだね。専属の」
そういってにこっと笑った。
「掃除婦だっていうなら、終わったら早く帰れ。俺のパーソナルスペースを犯すな」
後ろからぬっと現れたのはクロノアだ。
「あはは。そんな事より持ってきたよ、ウィスキー。今日の銘柄はブラックサン」
「物で釣るなよ……」
そうは言っても酔い始めたクロノアは彼女アルカにあれこれ愚痴ったり、いわば甘えていたように思う。
一方の私はというと初めて飲む蒸留酒の味に興奮し、はしゃいでおかわりを繰り返し――記憶がない。
翌朝、まだ酒臭い息をしながら私はクロノアの部屋で目覚めた。
どうやら彼のベッドを貸してもらって一人で寝ていたようだ。
窓の外から金属がぶつかるような音が度々している。
何かと思って出てみると、クロノアが誰かと大きなナイフの稽古をしているようだった。
だんだん近づいていくと、ワイン色のシルクハットを被った相手の男は顔をピエロのような模様のマスクで隠している。
そしてあの異様な気迫―― あれ? もしかしてこれって――
男が刃を突き出し大きく踏み込む。
「異端者ッ! 死になサイ!」
稽古じゃない!!
はっとなって我に返った私は、焦りながらも前に出した両手に精神を集中させた。
そこには魔力の冷気が結集し、一つの鋭い刃となる。
アイス・ボルトの詠唱だ。
「行きなさい!」
右手を振り上げると同時に、ボルトは真っ直ぐに仮面の男へと放たれた。
男はそれを察知すると、とっさにこちらに向けて光の障壁を張った。
ボルトは防がれてしまった――が、その隙を逃すクロノアでは無かった。
刹那の速さで吸い込まれるように、ステップと共に彼の右手のナイフは相手の胸元に至る。
その体に一瞬、強い魔力が走ったように見えた。
男は意識を失い、その場に膝から崩れ落ちるのだった。
私は思わずクロノアに駆け寄った。
「クロノア、大丈夫!? この人は何者なの?」
すると彼は多少めんどくさそうに言った。
「お前を狙うやつがいるんだよ」
言葉を続ける。
「お前は王家の一族のようだからな。継承を狙うブロウ公にとって邪魔な存在なんだろう」
「私が王族の一員?? まさかぁ」
「大事にしてたブローチの奥の文様。ありゃれっきとした王家の――縁者の印だしな」
私の世界が百八十度回転していく。
すると、何者かに突然足首を掴まれた。
「私もただではやられませんヨォ、異端者ドモ!」
余力を残していた仮面男は、まばゆい光を放った――
そして辺りには轟音が響く。
私達の足元は大きく崩れ、その下に開いていた空洞へと落ちていった。
次に私が目覚めたときには、大きな石造りの通路に積み上がったガレキの上だった。
辺りは明かりといえば爆発の穴から差し込む光だけといった状況である。
「いたたたた……」
言いながら起き上がると、気絶したクロノアが倒れていた。
少し重いが体を起こしてやり、呼びかける。
「クロノア、クロノア。起きなさい!」
声に反応して多少のうめき声を上げながら彼が目を覚ます。
「ちくしょう、あのピエロ野郎やりやがったな……」
そしてはっとして彼は気付き。自身の胸元に手を当ててそこにあるはずの物を探す。
「無い……無いじゃないか!!」
何を探しているのだろう。
「天秤のタイ留めだよ! 親父の形見の!」
そして彼は床に飛びつき手で探り始めた。
だが周囲は闇に包まれている――
私は思い出した。
「クロノア、少しだけ待って」
ブローチを取り出し、文言を祈る。
それは辺りを照らす光を放ち始めた!
それから二人でしばしタイ留めの記章を探した。
小さく銀色に光る物があった。
「――あった! 見つけたよクロノア!」
それは遂に見つけた記章だった。
よくよく見ると、それには金メッキが全体的に剥げた跡がわずかに残っていた。
「小娘! いやシロン。――ありがとう」
受け取ったそれを彼は速攻でポケットにしまった。
メッキの事についてたずねると、「この記章は使い込んでメッキが剥げることが熟練の証なんだ」と教えてくれた。
それにしても、ここからはどう出ればいいのだろう。
すると先生は人差し指の先を舐めてから、ぴんと立てて目を閉じた。
それから言った。
「風は天井の他には、こっちから吹いてる。だから進めば外に繋がるはずだ」
その言葉を信じて私達は歩みを進める事にした。
ここは廃教会の下に元々あった地下通路の一部なのだという。
閉塞された空間を二人で歩く。
クロノアは悪態こそつくが同時にやはり先生時代の性格の持ち主でもあるのだろう。
私にいろいろ話を振ってくれた。
私は彼の本当の素性を知りたかった。
それは時折りプライベートな内容も含んでいたが、事態からの動揺のせいか彼は色々素直に喋ってしまっていた。
中でも印象深かったのはこれだ。
「クロノアは、どうして悪の組織に入る事にしたの?」
その問いに、彼はしばし黙って張り詰めた。
「奪われたからだ」
言葉を続ける。
「父の誇りも、妹の命――そう、心臓すらもある者に奪われたからだ!」
大声で忌々しそうに言い放ったのだった。
「だから俺は、ずっと復讐の為に生きている。命に代えてもな」
命だなんて――
しばらく考えに考えて、それから意を決して私は言った。
「――クロノア?」
「なんだよ」
「それは確かに許せる物じゃ無いんだろうと思う」
それでも――
「あなたの事が好きな人が、組織にもたくさん居ること。そして私も先生の大ファンな事を絶対忘れないで」
そう、ずっとファンだから。そして――
「あなたが生きているのは、復讐であってもあなたの人生以外の何物でも無いのだから」
しばし彼は、不意打ちに合ったような顔をしていた。
それから言った。
「小娘のくせに、俺に説教かよ……ふん」
そしてちょっと考え事をする顔を見せる。
「俺の人生……ねぇ」
ぽつりとそう漏らした。
やがて私達は、無事に地下通路を抜けたのだった。ああ、外が明るい――
私の身代金は支払われた。
そして楽しい日々からあっさりと両親の元へと帰された。
今度の暮らしにはクロノアは居ない。
あーあ。私も悪党になりたいなぁ。そうやってあのころを振り返る。
するとお父様が部屋のドアをノックして入ってきた。
「――シロン。明日は都へ行くよ。ちゃんと支度をしておきなさい」
そうして――いつかクロノアが言ったように、本当に王族の――そう、イェール大公の城に招かれた。
城内の天井の高い豪華な一室に通される。
そこでメイド達に手伝われながらドレスに着替えていると、魔術師風の衣装に身を包んだ老婆が入室してきた。
「失礼――」
彼女は右手の指を丸くした穴に魔力を持たせ、その穴からじろりと私を覗いた。
「うむ」
それから納得するように二度うなずいた。
「王家のブローチ。そして胸の魔法の手術痕。あなたはまさしく王の血すら引く大公家のシロン様じゃ!」
――手術痕?
「覚えておいでで無いのも無理はありません。シロン様は幼き頃に心臓の病があり、移植を受けておられるのです」
――――それって。
静かに恐怖のような汗が私を包んだのだった。
私が硬直していると、部屋の両開きのドアを衛兵が勢いよく開けた。
「一体何事ですか! シロン様に無礼ですよ!」
老婆が威厳を示す。
「男が、オネエ口調の男が城内で暴れているのです!」
それは、知っている人かもしれない――
そして彼らに目的があるとすれば。
「うぐっ!?」
後ろから魔力を帯びた一撃をくらって兵士が気絶し倒れ込む。
彼をしりぞけた人影は告げた。
「そう、狙いはお前だ――お前がそうだとまでは知らなかったがな」
倒れる兵士の後ろから剣をたずさえて姿を現したのは――
「父の誇り。そして妹の命――裁かれてもらうぞ!」
やはりクロノアだった。
一歩、一歩と彼は私との距離をゆっくりと詰めていく。
だがその表情には静かな迷いがあった。
立ちすくむ私の前に、彼は立つ。
沈黙を破って彼は言った。
「逃げないのか?」
「――逃げてどうするの?」
「…………生きるのさ」
確かに、彼にはそんな話をした。でも。
「いいえ、これが私の選択よ」
言い張って、姿勢を正した。
私たちが見合っていると、ひゅふっ、とナイフが風を切る音がクロノアの背後でした。
とっさに彼は手元の剣でそれを弾く。
刃物の飛んで来た方向から、一人の男がゆらりと波動に包まれた魔剣を手に静かに歩み寄ってくる。
――その男はいつぞやの、ピエロマスクを被っていた。
「茶番は終わりですヨ、おもちゃみたいな悪党サン。仲良く始末されなサイ」
クロノアが言葉を返す。
「お前、ブロウ公の暗殺者なんだろ?」
「さあ? どうでしょうネ――行きますヨ!」
二人の剣がぶつかり合い、火花を散らし周囲に鉄の音が響いた。
その音のテンポは徐々に激しくなってゆく。
優勢なのは強大な魔力を持つ剣を手にする仮面の男である。
その刃をクロノアはぎりぎりでしりぞけていた。
「アハハハッ、防戦一方ですカ?」
クロノアの袖や襟元が徐々に切っ先に裂かれていった。
「くっ――これでどうだ!」
クロノアが大きく踏み込んで仮面男に一撃を繰り出す。
「甘いですヨォ、甘すぎマス!!」
男はそれを下から振り上げ――相手の剣を跳ね飛ばした!
ゆがんだ響きと共にクロノアの剣が高く宙を舞う。
「アハハハハァッ! バッド・エンドで―― うぐっ!?」
クロノアは仮面男に飛び込んでおり、男の胸元から赤い鮮血がほとばしった。
ふっ飛ばされた剣は囮だったのだ。
クロノアの握る大きなナイフはしっかりと男の胸に突き立てられていた。
「イヤだなぁ、こんな幕引きだナンテ……」
ごぼりと血を吐いてから、仮面男は床へと崩れ伏した。
「クロノア!!」
私は思わず叫んだが、彼は真剣な面持ちのままこちらへと振り返った。
追加のナイフを手に彼は青ざめた顔をしている。
それが届く範囲へと私は自ら歩みを進めて行った。
「やめろ……来るな……!」
思わず彼が言った。
「ほらネ、やっぱりハッピーは遠いのデス」
床からの声。
事切れたふりをしていた仮面男が上半身を上げ、自らの胸に突き刺さっていたナイフをクロノアに向けて真っ直ぐに投げた!
「だめーーっ!」
私は感情の爆発のまま、とっさにクロノアの前に立ちはだかってしまった。
ずぷっ。
重い物が胸に突き当たる感触がして、すぐに焼け付くような痛みに変わった。
体には力が入らなくなり、足元にかがみ込む。
「フフ…… 憎いヤツは死にませんでシタカ……」
そう言い残すと男は再び姿勢が崩れ、二度と動かなくなった。
「おい、小娘! ……シロン!」
クロノアは私を抱えてその体を揺する。
「クロノア――これで過去から自由になれるね」
息も絶えだえに私は言った。
「うるさい! これじゃ悔やんでも悔やみきれない!」
彼の声が熱を帯びる。
「俺はお前を裁く事も――連れ帰る事もできなかった!!」
言って――静かに、ぽたり、と温かな雫がその目元からこぼれた。
「いいじゃない……これからもあなたの周りにはたくさんのファンがいるはず」
きっと――ひとりじゃない。
「だからって、お前を一人にできるかよ!」
彼は張り裂けそうな声でそう言った。
「そうだよ、お兄ちゃん。シロンは一人じゃなかったんだよ」
どこからか幼い女の子のような声がした。
いつしか私はクロノアの腕に抱かれたまま穏やかな光に体を包まれていた。
それと同じ光に包まれてぼんやりと――霊体のように女の子が現れた。
「グ、グレース……?」
思わずクロノアはその名を口にしてうろたえた。
彼の死んだ妹に他ならなかったからだ。
「お兄ちゃんもそろそろ大人にならなきゃね。自分の意思で生きてごらん? 素直にね!」
彼女はちょっとだけ意地悪そうな笑顔を見せた。
「過去は過去。――ここで死ぬのは私の魂」
クロノアが動揺する。
「死ぬってお前、どうしたんだ――何を言ってるんだ?」
「シロンは私の分も長生きするってこと!」
彼女はふふんと笑った。
その体は徐々に薄れ始める。
「待って、クロノアを一人にしないで!」
やっと、状況を飲み込んだ私は手を伸ばして言った。
「ふふ、もう一人の私――お兄ちゃんをよろしくね?」
そう言って最後に笑ってみせると、彼女は粒子になって儚く消え去った。
胸の傷はすっかり癒えている。
「何をやっている! 公女様をお守りしろ!!」
衛兵達がやってくる喧騒がする。
「チッ……説教されて、裁かれたのは俺のほうかよ」
クロノアが両開きのドアに向かって飛び退く。
「お前ら二人で偉そうにしやがった事、いつか必ず後悔させてやる! ――あばよ」
そう約束の言葉を残して、彼は向かいの手すりを飛び越えて庭へと飛び降り、走り去っていった。
部屋の中に、戦いで千切れた紐タイを留めた思い出の銀の記章を残して。
「ふぅん。この冒険でなかなか大人になれたんじゃない?」
結局また、クロノアはアルカにくだを巻いているらしい。
彼はグラスを片手に横を向き、それに応えない。
顔を見られていない時間に彼女もまた斜めを向き、少しだけつまらなそうな顔をした。
「……ところでね、渡すかちょっと迷ったんだけど」
「なんだよ、迷うって」
クロノアが彼女の方を向き不思議そうにする。
「お姫様からの荷物を仲介したのよ」
その小さな包みを開けると――中には、一通の手紙。
そして新品の金色に輝く裁定者のタイ留めが出てきたのだった。
黒の裁定者 マヌケ勇者 @manukeyusha
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