第6話 夜の灯と嘘

夜の通りは、灯りと煙で霞んでいた。

油の焦げた匂い、焼いた穀物、遠くの笑い声。

戦の跡の村とは思えないほど、ここだけは穏やかだった。


屋台を抜けると、見張りの兵が一人、門の前に立っていた。

胸元の札が月光を返し、声が短く響く。


「そこの二人、身分は?」


一瞬、息が詰まる。

エイラは何の迷いもなく言った。


「夫婦です」


「は……?」

間抜けな声が出てしまった。

見張りが怪訝そうに眉をひそめる。


その瞬間、エイラが俺の腕を取った。

指先が滑り込むように絡まり、

次の瞬間、ぐっと体が引き寄せられる。


胸がぶつかる。

息が止まる。

体温が、まるで流れ込むように伝わってくる。

顔が近い。呼吸がかすかに混ざる距離。

香りが、強い。甘いようで、焦げた木のようでもある。


「最近、一緒になったばかりなんです」

エイラは見張りに視線を向けたまま、

俺の胸のあたりに指を添えた。


「ね?」


声の震えを誤魔化せない。

「……そ、そうです」


見張りは鼻を鳴らし、手を振った。

「……通れ」


腕を放されないまま、門をくぐる。

兵の視線が消えたのを確認すると、エイラが小さく笑った。


「便利でしょ、“夫婦”って」

「……心臓、止まるかと思いました」

「止まってない。ちゃんと動いてる」


歩きながら、エイラが俺の胸に軽く手を当てた。

掌が布越しに押してくる。

指先がわずかに動いて、心拍を確かめるように。


「ね、速い」

「ち、違います。さっきのが、その……」

「私とくっついて照れた?」


笑い声が喉の奥で転がった。

からかう声じゃない。

ただ、本気で“面白い”と思っている声だった。


「べ、別に、そういう……!」

「そういう、ね。ふーん」


腕を離し、何事もなかったように歩き出す。

その背中は軽く、息をするみたいに自然だった。

けれど俺の心臓だけは、まだその距離を測りかねていた。


通りを抜け、裏道に差しかかったとき、

足音がもうひとつ重なった。

エイラが立ち止まる。


「つけられてる」

「またですか」

「うん。でも今度はただの下手くそ」


白い布を被った影が、角から出てくる。

刀の柄が月をかすめた瞬間、風が一瞬だけ反転した。

空気が押され、影が前のめりに崩れる。

地面に落ちた刃が、乾いた音を立てた。


エイラはその場から動かなかった。

「もう行った。……風って便利」

「今の、魔法ですか」

「そう。軽いやつ。ああいうのは怖がらせるだけで十分」


路地を抜け、宿の明かりが見えてきた。

藁の匂いと油の混ざった匂いが、ほっとするような、息苦しいような。


階段を上がる途中、エイラが振り返った。

「ねぇリオ」

「なんですか」

「さっきの……もう一回練習しとく?」

「は……?」


返事をするより早く、また腕が回ってきた。

今度はさっきより強い。

背中まで感じる。

逃げられない距離。

指先が、ゆっくりと首筋をなぞる。


「顔、隠さないで。せっかくだし」

「ちょ、ちょっと――」

「うん、やっぱり照れてる」

「……っ!」


あっさりと腕がほどける。

エイラは笑いを噛み殺しながら歩いていった。


部屋の前で、彼女は一度だけ足を止め、

振り返りもせずに小さく息を吐いた。


その音だけが、夜の静けさに混ざって消えた。

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異世界魔女のやつ すりたち @siu_desu3

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