第5話 青い瓶の光
夕暮れの村は、ひどく静かだった。
屋根の影を風が撫で、どこかで戸が一度だけ軋む。
井戸のそばにある石造りの小屋。その札には「検査所」と彫られていた。
中から、青白い光がにじむ。
「……本当に行くんですか」
喉が乾いて、声が細くなった。
「行く。止まると、それだけで怪しまれる」
エイラは軽く言って、足を止めなかった。
その背中を見ていると、妙な安心感があった。
自信というより、“当然”みたいな空気が漂っている。
「でも、俺……もし反応が出たら」
「出ないようにする。私に任せて」
そう言って彼女は笑った。
その笑みを見た瞬間、少しだけ息が楽になった。
小屋の中は、外より冷たい。
机の上には青く光る瓶がひとつ。
液体がわずかに揺れ、底に沈んだ粉が光を吸い込んでいる。
検査官の男は無表情で、筆を動かしていた。
「お名前とご出身を」
「エイラとリオです。西の町から来ました」
「目的は」
「休息と食料です。明日には発ちます」
筆の音だけが、部屋に響く。
「反応を確認する」
男が瓶を持ち上げた。
青い光が、息をするみたいに脈打つ。
エイラが一歩前に出る。
瓶が胸元に近づくと、光は短く強まり、すぐに落ち着いた。
「異常なし」
次は俺。
エイラがちらりと振り返り、小さく頷く。
「息、止めないでね」
「……はい」
瓶が近づく。
光が胸の前でわずかに揺れた。
一瞬、空気の流れが変わった気がした。
けれど、それが何だったのか確かめる間もなく、検査官が言った。
「異常なし」
筆が走り、印の押された札が机に滑る。
あっけないほど、簡単だった。
それなのに、膝が少しだけ震えている。
外に出ると、空が群青に沈んでいた。
灯りが並び、遠くで人の声が微かに響いている。
風が吹き抜け、ようやく現実に戻った気がした。
「……今の、何をしたんですか」
エイラは肩をすくめて笑う。
「ちょっと風を通しただけ」
「風を?」
「うん。瓶の中の空気、少しだけ流れを変えたの。
あれくらいなら、誰にも分からない」
歩きながら、彼女の横顔を盗み見た。
その表情には、緊張の欠片もない。
まるで呼吸の一部みたいに、あの魔法を使ったんだろう。
「……助かりました。本当に」
「でしょ」
短い言葉のあと、彼女は夜空を見上げる。
月がまだ出ていない。風が髪をすくい上げて、金の糸が揺れた。
「さて、次は食料ね」
「……え?」
「検査も済んだし、腹ごしらえ。
どうせ夜は眠れないでしょ?」
呆気に取られながらも、気づけば頷いていた。
恐怖も不安も、まだどこかに残っている。
けれど、それより先に“生きている”実感があった。
エイラの背を追って歩く。
彼女の足音は軽く、風の音とまぎれて聞こえなくなる。
その背中を見ながら、俺はゆっくり息を吸った。
夜の空気は冷たいのに、なぜか心地よかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます