第2話 金の髪と、灰の朝

 焼けた鉄の匂いが鼻を刺した。

 息を吸った瞬間、喉が痛んだ。

 咳をすると、灰が舞う。


 ゆっくりと目を開けると、空は白く濁っていた。

 瓦礫と煙。溶けた屋根の残骸が、ゆらゆらと熱を放っている。

 耳の奥がじんじんする。

 風の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 胸に手を当てた。

 鼓動がある。

 けれど、感覚が少しおかしい。

 血が流れているというよりも、

 体の奥で何かが動いているような――そんな奇妙な感覚。


 「……生きてる、のか」


自分の声が掠れていた。

 痛みも、寒さも、ちゃんとある。

 つまり、死んでいない。


 腕をついて起き上がると、崩れた家の梁が見えた。

 師匠が作っていた看板の板が焦げて、文字の半分が読めない。

 その板を拾い上げようとして、指が震えた。


 何もかも、なくなっていた。

 家も、人も、声も。


 風が吹き、焦げた灰が頬を撫でた。

 灰色の世界の中で、自分の手のひらだけがやけに鮮やかだった。


 ――あの女。


 夢じゃなかった。

 確かに、金の髪の女が血を垂らして俺に飲ませた。

 あの時から、心臓の音が止まらない。


 「……魔女、か」


 口に出してみたが、答える者はいなかった。


 どれくらい歩いたか分からない。

 街の中心だった場所も、いまはただの黒い広場になっている。

 焼けた石の隙間から、かすかに煙が上がっている。

 その匂いの中に、パンのような香りが混ざった。


 思わず顔を上げる。

 森の方から、白い煙が上っていた。

 ……あの女だ。


 足が勝手に動いた。

 体は重いのに、息をするたび胸が妙に軽くなる。

 まるで、誰かに引っ張られているみたいだった。


 森の入り口に焚き火があった。

 その向こうで、金の髪が燃えるように揺れている。

 女が丸太に腰をかけ、パンを炙っていた。


 「おはよう、死人くん」


 声が軽い。

 風みたいに、どこまでも自由な声。


 「……あなたは」

 「うんうん、覚えてる? あの血、美味しかったでしょ?」

 「……魔女、ですね」

 「そーう。正解。ちなみに名前はエイラ。よろしくね」


 エイラは、笑いながらパンを放ってきた。

 反射的に受け止めると、まだ温かい。

 焦げ目の香りが、灰の中でやけに甘く感じた。


 「食べなよ。死んだ体で動くの、大変でしょ」

 「……俺は、生きてる」

 「ふふ。そう思いたいなら、そういうことにしとこっか」


 焚き火の火が、エイラの頬を照らしていた。

 その光の中で、金の瞳がゆらゆらと揺れる。

 笑っているのに、どこか底が見えなかった。


 「なんで……俺を助けたんですか」

 「気分かな。あとは……そうだね」

 エイラはパンをちぎって口に入れ、唇をなめた。

「生きたいって顔、けっこう好きなんだ」


 言葉の意味が分からず、息を詰めた。

 彼女は楽しそうに笑っている。

 焚き火の火が、彼女の肌を赤く染めていた。


 「それにね、ちょっと興味あるんだ」

 「興味?」

 「私の血、どこまで人間に馴染むのか」

 「……実験、ですか」

 「やだ、言い方冷たい〜。ほら、生き返ったご褒美ってことでいいじゃん」


 軽口を叩くたび、彼女の声がやけに心地よく響いた。

 何かに包まれるような、でも同時に肌が焼けるような感覚。


 「……街に戻ります」

 「やめときな。残ってないよ」

 「それでも」

 「うん、分かる。でもね、焼けた灰からはもう何も生まれない」


 エイラは立ち上がり、指先で俺の頬についた灰を拭った。

 その仕草があまりにも自然で、心臓が一瞬跳ねた。


 「行くとこ、あるの?」

 「……ない」

 「じゃあ、決まりだね」


 エイラは笑い、火を靴先で踏み消した。

 金の髪が風に揺れ、煙のように散る。


 「行こうか。生き返った記念に、ちょっと旅でも」

 「俺が行っても、足手まといですよ」

 「いいのいいの。荷物持ちでも、話し相手でも。

  ……それに、私ね、ひとりだと夜が寂しいの」


 そう言って、わざとらしく肩をすくめてみせる。

 その笑顔に、どこか寂しさが混じっていた。


 「……あなた、本当に魔女なんですか」

 「ほんとに魔女だよ。だから、生きるのが上手いの」


 彼女は振り返り、にっこりと笑った。

 「ついておいで、リオ。死ぬにはまだ早い」


 その一言で、なぜか足が動いた。

 歩き出した彼女の背を追う。

 焼けた街の残骸が遠ざかる。

 灰色の世界の中、彼女の髪だけが確かに“生きていた”。

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