異世界魔女のやつ
すりたち
第1話 あの日、空が燃えた
「リオ! その鉄まだ叩くな、冷めてる!」
「うっそ、もう? さっきまで真っ赤だったのに!」
師匠の怒鳴り声に笑いながら、ハンマーを置いた。
外では子どもが走り回り、パンの匂いが風に乗る。
広場の方からは、行商人たちの声。
──今日も平和だ。そう思っていた。
「そういや師匠、聞きました? 隣町で魔女が出たって」
「またか。人を石にしたって噂の?」
「そう、それ。ほんとにいるんすかね、魔女って」
「いたらお前みたいな間抜け、今ごろカエルだな」
「やめてくださいよ、夢に出ますって」
二人で笑った。
あのときの会話が、まだ耳に残っている。
鐘の音が鳴ったのは、昼過ぎだった。
腹の底を震わせるような低音。
それが三度鳴る。
誰かが外で叫んだ。「逃げろ!」
次の瞬間、空が光った。
白く、青く、紫に。
雷でも、火でもない。
光が地面に触れた瞬間、街が揺れた。
「師匠! 外に──!」
その叫びの途中で、衝撃が来た。
屋根が崩れ、炎が噴き出す。
体が宙を舞い、世界が反転する。
「っ、ぐぁ……!」
背中を地面に打ちつけ、瓦礫が肩を押し潰す。
息が出ない。
空気が熱い。
何かが腕を焼いている。
「師匠……っ!」
返事はなかった。
家の奥が爆ぜ、木片が飛び散る。
炎の中、黒い影がいくつも歩いていた。
人の形をしているのに、人じゃない。
黒い外套。光る瞳。
腕を振るたび、風と炎が巻き上がる。
──魔女だ。
信じてなかったのに。
本当にいたんだ。
恐怖も痛みも、もう一緒になって何も分からない。
瓦礫が軋んで、また崩れた。
胸が潰れ、息が詰まる。
視界の端で、火が踊る。
誰かが叫んでる。泣いてる。
でももう、遠い。
やがて、音がなくなった。
炎の色も薄れていく。
煙の向こうで空が黒く沈み、夜が来る。
体は冷たく、手は動かない。
血の匂いと鉄の味だけが、まだ残っている。
(……だめだ。動けない。息が、できない……)
頭の中で呟いたつもりだった。
声になっていなかった。
風が吹いた。
それまでの焼けた熱が嘘みたいに静まる。
カラン、とどこかで壊れた鍋が転がる音がした。
そのあとで、足音がした。
軽い。リズムを刻むような、一定の音。
「……あーあ、ひどいことになってる」
女の声。
焦げた空気の中でも、やけに澄んでいた。
足音が近づいてくる。
瓦礫の隙間から、金色の光が揺れた。
それは炎じゃない。髪の色だ。
「……まだ生きてる?」
視界の端に、女がしゃがみ込む。
金の髪、火の粉を散らす瞳。
笑っている。こんな場所で。
喉が焼けて、声は出ない。
息を吸うたび、血が泡立つ。
それでも、何かを伝えたかった。
女は俺をじっと見つめ、ふっと息を吐いた。
「生きたいの?」
返せない。
でも、瞳を動かす。
それだけで、彼女は少し笑った。
「……ふふ。いい返事」
そのまま、自分の腕を噛み切った。
血が滴り、指先を伝って落ちる。
彼女はその血を、俺の唇にそっと触れさせた。
「飲んで。生きたいなら」
その声は、驚くほど優しかった。
血が喉を通る。熱くて、甘くて、苦い。
全身に痛みが走り、視界が白く弾けた。
折れた骨が鳴り、皮膚が再び閉じていく。
息が戻る。心臓が打つ。
世界が戻ってくる。
でも、彼女の顔だけが残っていた。
炎の中で、金色の瞳が静かに光っている。
「よく頑張ったね。これで、もう死なない」
その笑みは、火よりも眩しかった。
そして、俺の意識は音もなく闇に沈んだ。
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