喰侵問答
慈彷 迷獪
喰侵問答【くうしんもんどう】
食べることは、侵略である。そんな当たり前ができない侵略者は、さっさと滅べば良い。
生まれてすぐ、運命が決まる。私の製造番号は、侵略者だった。侵略者としてこの世に生を受けることができた。最高にツイてると思っていた。この世は、私のために存在しているのだと、本気で信じていた。しかし、今日、私のありとあらゆる無限の可能性は、突然終わりを告げた。
扉の前で呆然と佇む。教授室・始祖級
冷や汗を、無理矢理遮断する。侵略者たる者、この程度操れなくては失格だ。そもそも論だが、もしかすると、まだ道は開かれているかもしれないではないか……!
この世界で最高級の才を持つ私が、ただ一つの欠点だけで潰されるわけがない。私は、強者だ。可愛く、強く、綺麗で高潔なのだ。深呼吸をする。覚悟を決めて、扉を三回ノックした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
扉を開けて、一歩踏み出す。駄目かもしれない。本能的に察した。これは、侵略者としての嗅覚、つまり勘だ。そして、視界に入ってきた情報で、確信へと変わった。デスクに
私は、裁かれるのだろうか? 処分されるのだろうか? 侵略される獲物の気持ちを、追体験しているみたいだ。人生初の感覚を味わっている。恐ろしいという感情を、初めて理解した。私の思考なんて、教授はとっくにお見通しのはずだ。
「侵略者:姓・二〇二五番」
「はい、侵略始祖級教授:S一様。参りました」
こんな時でも、敬礼だけはビシッと決める。そう、それが侵略者としての美学だから。たとえ、いま、どれだけ内心は怯え、震えていたとしても、毅然とした態度で挑む。
「……貴方は、侵略者養成機関において、優秀だと思っていたのですよ」
いつものような大口も、憎まれ口さえも叩けない。始祖級教授のくせに、ずいぶんと普通のことしか言えないのですね、と頭の中では通常通りの高飛車な私が嘲笑っていた。冗談言え。本物は、普通の言葉で恐怖を植え付ける。立ち振る舞い、話の内容、抑揚の付け方、表情。全てが完璧に計算し尽くされている。やはり、始祖級であるが故の、本物の力——それを、目の前で見せつけられてしまった。場が凍るほどの殺気は、容赦なくヒシヒシと、私の肌を突き刺してくる。
古来、何処かの惑星では、こんな言葉が慣用句として語られているらしい。——蛇に睨まれる、とのこと。初期養成課程における侵略済惑星論・歴史文化構造学にて、一八〇〇回目学習で理解したつもりだった。嗚呼、理解と納得は異なるのか……。呆れるほど、嫌になるくらい詰め込んだとしても、私は真実が見えていなかったのだと、痛感した。
私が脳内で思考を高速で廻したところで、教授にとっては、無限の時間の中の一部にすぎないのだろう。沈黙に耐えかねたのか——いや、既に判っているはずだ。完全に心を見透かされている。教授は沈黙を、いとも容易く飛び越えてきた。
「侵略者に一番必要な素養、解っていない貴方ではないでしょう」
「はっ。勿論であります」
「我々は、簡単に喰らってほしかった。オール五を取り続けている貴方だからこそ」
この言葉を聴いた瞬間、スローモーションのように、敬礼していた手がズレ落ちていった……かと思えば、行き場をなくした掌が、虚空を掴んだ。拳を握る手が、思わず力んでしまう。視線は行き場を失い、彷徨った果てに、私は下を俯いた。そのまま思考は奥底へと暗く、深く沈んでいく。
教授が言っていることは、正しい。頭では理解できる。食べなくても生きることは、可能だ。本来、侵略者に食は不要である。それこそが、侵略者としての特権だ。だが、一番求められる必要な素養は、他者を喰うことなのだ。食べずとも生きられるこの世界で、食は侵略者という特権階級において、必須の嗜みだ。そう、道楽の境地といっても過言ではない。
これまでの私の人生を振り返る。成果をずっとオール五評価で収め続けていた。その事実は、歴史的にも価値があり、教授からも将来を有望視されていたことを、改めて実感した。
頭を上げ、教授を真っ直ぐ見据える。少しだけ間を置いて、なんとか言葉を搾り出した。
「この度は、大変申し訳ございませんでした。侵略者:姓・二〇二五番、深くお詫びいたします。食べることができない劣等個体で、それでもなお、生きながらえてしまい、……っうぅ……」
瞳から、水分が滴り落ちる。知識としては知っていたが、これが涙というものなのか……。侵略者人生初の、泣くという現象に対峙した。嗚咽が止まらない。完璧が、私の元から去っていく。才が消失してしまった今の私の価値とは、何だろうか?壊れながらも、まだ息の根がある。
教授が、腰のサーベル剣を抜いた。私に相対して、構えている。
「最終養成課程における、摂取適正試験。貴様、何故最後まで喰わなかった?」
動悸がする。視界が歪み、溶けていく。獲物に降格したのか、私……。試験の際、私は喰らい尽くすことができなかった。食用惑星から素材を調達し、加工調理を行った後、席について他者の塊を口へと運ぶ。ここまでは、問題なかった。いや、素材調達と加工調理は性質が異なる。素材調達の時には、サーベル剣を使用し、そして加工調理の時には、包丁を使用する。素材調達のために獲物を狩ることは、手軽で、当たり前な、容易い行為であった。剣術は得意だ。相手が人の形を成していたとしても、その点に関しては通常通り、微塵も揺るがなかった。だが、包丁で加工調理を行った段階から、ふと妙な違和感を感じてしまった。製造番号:食用人とはいえ、先ほどまでの生きた証しを素材として扱い、自身の手で加工調理を施す。これまでに幾度も命を狩ってきたが、自身で包丁を用いて素材を加工調理することについて、今日、試験という重要な場に限って、悪寒が止まらなかった。特に、瞳を解体する時には、私の中で何かが揺れ動き、変革が起こってしまう気がした。もう生きていない、眼球運動を為さない瞳に、何を感じ取っていたのだろうか?
だが、思考することで何かに気づいてしまいそうな自分に、怖くなった。だからこそ、気の所為だと気持ちに折り合いを付け、見ないふりをした。
兎に角、結局のところ私は、食べるという行為について、一口だけで身体が拒否反応を起こしてしまったのだ。強烈な吐き気が襲いかかってきたが、戻す事は許されない。気持ち悪い。なんとか一口は咀嚼し、無理やり飲み込んだ。手が震える。私の身体は、こんな塊を、栄養を求めていない。次の一口へと手を伸ばす。相変わらず、手は震え、喉はカラカラに渇き、冷や汗までもが出てきた。口内に纏わりつく気持ち悪さが消えてくれない。これ以上は、どうしても躊躇してしまう。結局、全てを平らげることはできなかった。一番大切な当たり前が、私にとって、最も困難であった。何故、見ないふり、気づかないふりをして、完食まで辿り着くことができなかったのだ、私は……。
「恐れ入ります。身体が、本能が、拒絶反応を起こしたのではないか……。そう、推察しております」
「半分当たり、半分見当違いだ」
意味が、分からなかった。
「貴様は、優秀であり続けた。素晴らしい。賞賛に値する——が、しかし。本質は何だ? 分かるか?」
今、私は試されている。ここが正念場だということだけは、間違いないだろう。教授の問いについて、自分なりに考える。
「喰えなかった、本質とその意味合い……。身体・本能的な拒絶のその先……?」
教授は、ずっと黙っている。しかし、品定めされているという事実だけは、態度ではっきりと感じ取れた。脳の回路なんて、この際ショートしてしまっても良い。考え、見つけなければ、私に未来は訪れない。それだけは絶対的に間違いではないということを、確信した。
「……分かりません。今、必死に考えております」
酸素が薄い。思考の限界に挑んでいるため、身体が熱を放出している。焼け切れてしまいそうだ。怖い、逃げたい。そんな時であった。教授が口を開く。
「本当は、喰われたいのであろう?」
「は……?」
何を言っているのだ、此奴は?どういうつもりなのか、全く分からない。存在しない未知の概念を、言語を、通じるわけのない文脈を読み解けと、無茶を言われている気分だ。いや、冷静になれ。上手く対処しろ。
「ご冗談はやめていただきたい。そんなはず……、そんなこと、望んでおりません! 始祖級教授であったとしても、無礼に値するぞ」
「何故、これほどまでに物分かりが悪いのだ……。理解しがたい」
抑えろ。抑えろ、抑えろ、抑えるのだ。完璧にコントロールしろ。なんだ、この怒りは?何をムキになっている? 私は、優秀なのだ。完璧で、美しく、正しく在り続けたい。そうでなければ、生き残れない。お願いだ、私のことを、捨てないで——。
「あっ……」
腰が抜けて、地面へと崩れ落ちる。か弱くて情けない声が、ポツリと溢れて、消えた。怒りによって封じ込められた涙が、再度私の頬を伝う。知るということ、思考することの恐ろしさを垣間見てしまった。自分の根源的な欲と遭遇してしまった。嗚呼、私の人生、終わった……。
「さて、君の優秀さも、愚かさも、我々が引き継ぐとしよう。気付いてしまったのであれば、もう戻れない。では、ご説明願おう。これは、審問だ。拒否権など、無いぞ」
「……喰われたい。成程、自分を呪い過ぎた、それ故に喰われることが私の自己統合になり得る……。うん、腑に落ちる」
思考を整理するかのように、自分へと言い聞かせて、呟く。食卓に並ぶ。席に着く。私にとっての、人生最後の晩餐会の幕が開いてしまった。
「侵略始祖級教授:S一様。処白毒花の抽出加工作業を進めながら、どうか、お聴きください。私の懺悔を——」
下から、教授を仰ぎ見る。苦虫を噛み潰し、どこか痛々しくも、憐れむような視線を浴びる。教授のこんな表情を、初めて見た。だから、これから起こることは、救済なのだ。錯覚だろうと、主観的であろうと、間違いない。製造番号:侵略者の直感は、伊達じゃない。自惚れではなく、この嗅覚は元々私に備わっていた、揺るぎない素養だ。今もその才は、生きている。始祖級も、私も、みんなどうせ一緒だ。愚かで、残酷で、だからこそ新しく、同時に古くて、美しい。仮面が剥がれ落ちた瞬間に安堵し、喰い尽くされる私について、想いを馳せる。
さようなら、おかえりなさい。どうか、お元気で。
〈おわり〉
喰侵問答 慈彷 迷獪 @jihou_meikai
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