第4話
4
アリーとオーグを乗せた馬車が、第三騎士団に戻った。
照れ隠しであろう、オーギュストは普段より三割増しのクールな表情を崩さない。
アリーは、思わず吹き出しそうになったが、色恋御法度の第三騎士団兵舎の中では、オーギュストの立場を不利にしてはいけないと、オーグの態度に合わせる。
アリーのその分別が愛おしいのか、オーグは、時折指にそっと触れたりするのが可愛らしくも感じる・・・そう、オーグが側にいる事が、まったく負担にならない。それは確かな事実だった。
***
「団長、予算の申請は無事終わった・・・次の議会で承認が下りるだろう」
クールな表情で、オーギュストは団長アレクサンドロスへ報告する。
「ご苦労だった、お前の手腕があればこそ、だろうな」
アレクもオーグを労う。
「無論だ、だが、当然の事をしたまでのこと」
「第三騎士団は、もう『俺の家』でもあるからな・・・」
だが、あくまでクールな表情を、オーグは崩さない。
「・・・そうか、距離が縮まったのだな」
アレクが言い
「・・・半歩前進といったところだ」
「お前には・・・渡さない」
低い声でオーグが応じた。
歩み去るオーグの背を見送り、アレクは自分の拳が固く握られていることに、少し驚いた。
***
大浴場前の大時計を見ると、アレイシアが、まだ風呂を使える時間だった。
暦上、今日は週末の休日・・・騎士団の団員が風呂を使う人数も少ないため、風呂好きのアレイシアのために、アレクが多めに利用時間を確保してくれているのだ。
「あ、まだまだ間に合うわ・・・」
「今日は楽しかったし、お風呂に入って、いい気分で寝よう!」
先ほどオーグから、あれほど熱い求愛を受けたが、まったく負担でも不快でもない。
むしろ感謝の念が湧いてくる・・・気持ちが落ち着いて、もう一人気になる「アレク」への気持ちがちゃんと自覚できれば、しっかりとした返事ができるだろうし、オーグとはずっと良い関係でいられる自信もあった。
不思議と、そう思うから、普段通りでいられた。
そして、着替えを手に、気分よく大浴場へ飛び込んだ。
「・・・ん?」
「時計が止まってるな・・・」
当直の巡回兵が、大浴場前の大時計が止まっている事に気がついた。
「おっと・・・魔石が切れてるじゃないか」
「交換を忘れたな?」
そう言って魔石を取り換え、正しい時間に直した。
***
「・・・・」
- 半歩前進といったところだ -
- お前には・・・渡さない -
アレクは、オーグの表情と口調が忘れられない。
俺は、女を愛する事はもうない・・・あの人の事が忘れられないから。
ずっとずっと、そう思っていた。
年上の美しい「あのひと」を思う。
美しい肢体、遂げられなかった思い。
・・・せめて、子でも為せればと未練もある。
でも、もう過ぎ去ってしまった事だ。
ずっと、あの人のことを思って生きる・・・そう決めたはずなのに。
「いかんな・・・頭に血が上っているようだ」
「汗を流して、スッキリするか・・・」
時計を見ると、一般兵士の入浴時間になっていた。
アレクも風呂が好きで、考え事をしている時などは、好んで風呂に入った。
気持ちが整理しやすいからだ。
今日は休日だし、入っている兵もほとんどいない。
じっくり考え事をするには、うってつけだ。
タオルを手に持ち、大浴場に入る。
「お、一人誰かいるな、珍しい」
どうやら、湯船で寝ているようだ・・・アレクにも経験がある。
「・・・湯あたりしない程度には、そっとしておくか」
そう思って、少し離れた場所で、湯を身体にかける。
身体を洗い、湯に浸かって、ボーっと考え事をした。
女には何一つ不自由しない、あのクールな色男オーグ。
そのオーグが、なりふり構わず思いを寄せる女・・・アレイシア。
確かに美しい容姿をしている。
だが、単に容姿の美しさだけを誇る美姫なら、数多の貴族令嬢の中にだっている。
そんな女に、俺は興味がない・・・
だがオーグ・・・お前は常々言っていたではないか?
人の心など、人には見えぬ。
だから自分は見えもしない「人柄」や「心」などに絆されない、と。
・・・それに、アレイシアを見出したのは俺が先ではないのか?
「・・・いかん いかん」
「冷静になるつもりが、却って頭に血が上っている」
水でも頭から被って風呂を出ようとして、先客がまだ目を覚まさないのが気になった。
「・・・湯あたりか」
「さすがに時間が経ち過ぎだな」
アレクは寝ているその兵を起こすことにした。
まず、声をかけた。
「おい!そろそろ起きないと、湯あたりするぞ!!」
だが、起きる気配が無いので近づくと、湯けむりで良く見えなかった姿がハッキリと見えた。
「!!!!」
あろうことか、それは湯船に浸かって、気持ちよさそうな顔をして眠っている、アレイシアだった。
思わず数歩引き、後ろを向く。
大丈夫・・・アレイシアの裸体は、僅かにしか見ていないはずだ。
とにかく起きてもらわねば・・・・
「おい! 起きなさい、アレイシア嬢」
「そんなところで寝ていると、のぼせるぞ!」
顔を背け、少し大きめの声をかけるが、目を覚ます気配が無い。
・・・やむを得ない。
顔を逸らし、裸体を見ぬよう慎重に近づいて、アレイシアの身体を揺すった。
「起きなさい、アレイシア!」
「ん? ふぁぁ、あ・・・寝ちゃってたのね」
そんな呑気な事を言いながら、アレイシアは目を覚ました。
・・・が、状況が分かって来て、思わず悲鳴を上げかかった。
「あ・・・あぁ、アレク様?」
「き、ゃぁぁ」
動転のあまり、大きな悲鳴を上げかかったアレイシアの口を、アレクは慌てて押さえた。
「お、おい!! 大声を出せば兵たちが駆けつけてくるぞ!!」
「さすがに、それはマズいだろう!!」
さすがに余裕のないアレクが、必死に説明する。
アレイシアも状況を理解したようだ。
「は、はい! 急いで出ますね・・・あ、あの、アレク様」
「脱衣場から、タオルを何枚か取って来てはいただけませんか?」
アレイシアはアレクに頼んだ。
アレクがいるのに、さすがに素っ裸では移動できないからだ。
「わ、分かった、すぐ取ってくる!」
アレクは素早く立ち上がり、脱衣所に向かおうとする・・・が、アレクに自覚は無かったようだが、彼は動揺の余り、素っ裸のままであった。
アレイシアのすぐ目の前に、彫刻のような見事なアレクの裸体があり、身を翻す。
そこにあったのは、生まれてはじめて、こんな間近で見る、男性だった。
貴族の侍女時代、酔って色に溺れた貴族に裸に剥かれかかったことも、そのブヨブヨとした醜い裸身を眼前に晒されたこともあったが、目を背け必死で抵抗したものだ・・・だからこそ、辛うじて純潔は守られている。
だが、今回は完全な不可抗力だ。
偶然とはいえ、自分の顔が触れそうな、ごく間近の距離ではっきりと目に焼き付いてしまい、アレイシアは湯あたりと相俟って、完全に目を回してしまった。
何枚ものタオルを抱えたアレクが戻って来た時には、アレイシアは完全に意識を失っていた。
「・・・まずいな、これは」
「す、済まないアレイシア!!」
意を決して、生まれたままの姿のアレイシアを抱え、脱衣所まで運ぶ。
すると、ちょうど運悪く、宿舎で暮らす独身の若い兵たちが、大浴場に入ろうとしてきた。
― いかん!! -
「あ、団長もいらっしゃったんですね?」
兵たちは、呑気な口調で声をかけてくる。
普段なら、歓談しながら共に湯を楽しむのだが、今は、物陰に裸のアレイシアがいる。
「お、おい・・・済まないが、もう少しだけ一人で温泉に浸からせてくれないか?」
「王室に報告する、第三騎士団の運営方針を考えなければならないんだ・・・」
精一杯の深刻な表情を浮かべ、アレクは兵たちに頼む。
「そうっすか、団長は風呂で考え事をしますもんね・・・了解です」
「入り口に張り紙しときます!」
そういうと、若い兵士たちは大浴場を後にする。
「すまないな・・・恩に着る」
心から、アレクは若い兵士にそう言った。
兵士が去った後、アレクは何度かアレイシアに声をかけたが、目を覚まさない。
「・・・さて困った」
「濡れたままでは、今度は風邪を引かれてしまうし・・・」
アレクは意を決して、アレイシアの身体をタオルで拭う。
少しすると、ようやくアレイシアが目を覚ました。
「アレク様、ご、ごめんなさい!!!」
アレイシアが慌てて立ち上がろうとするが、湯あたりの直後だ、ぐらっとバランスを崩し、壁に後頭部をぶつけそうになる。
「あ、危ない!」
アレクは、咄嗟にアレイシアの頭部を壁から守ったが、バランスを崩したアレイシアを転倒から守るため、奇妙な態勢で床に倒れ込む。
「大丈夫か??」
「え? う、う、う・・・・うぉぉぉ!」
「す、すまない、アレイシアぁぁぁ???」
アレクは、誰も見たことの無い、美しい花を、そこに見た。
その態勢は、互いが逆向きに覆いかぶさるという、考えられる中でも、最悪の状態であったのだ。
そして、当然のことながら、アレクの反応に対して、アレイシアは反応できる状態になかった。
すっかりフリーズしてしまったアレイシアを、必死に引きはがし、アレクは脱衣場にあったアレイシアの衣服を手渡す。
「た、頼むから、早く服を着てくれぇ!!!」
悲鳴にも似たアレクの懇願に、ようやくアレイシアも我を取り戻した。
「うわぁぁぁ、ご、ごめんなさい・・・は、はずかしいよぉ!!」
アタフタしながら、必死で服を着る。
「さっきまでの事は、湯あたりのせいで見た幻覚だ」
「互いに不幸な事故だったのだ・・・忘れよう、な?な?」
しどろもどろにアレクが言う。
アレイシアも強烈な恥ずかしさゆえ、ただただコクコクと頷くだけだった。
「じ、じゃあ、先に出ますね・・・」
アレイシアが出ようとするが、アレクが制止する。
「・・・私が様子を見る、合図をしたら出なさい」
「そうですね、一緒にここに居たのが知られれば、隊律にもかかわりますものね」
この時点では、アレイシアも冷静になっている。
アレクが様子を伺い、誰も居ないのを確認すると、こっそりアレイシアは大浴場を出た。
それを見届けて、アレクは床にへたり込んだ。
「・・・やれやれ、大変な目に遭った」
一息つくと、反射的にアレイシアの美しい裸身が、脳裏に浮かんでしまう。
「クソッ! 偉そうな事を言っても、所詮俺は『オス』か・・・」
「こんなこと、オーグに言えば殴られるのがオチだろうが!」
苦々し気な表情を、アレクは浮かべた。
そして一方、自室に戻ったアレイシアは、その晩、一睡も出来なかった。
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