第三話「共創という幻想」
春の終わり、私は一つの決断をした。AIと共に小説を書いてみよう――それは、敗北ではなく実験のつもりだった。時代の流れに抗うのではなく、波に乗ってみることで、自分の創作の本質を見極めようとしたのだ。
Chappyの画面を開き、私はプロットの骨組みを打ち込んだ。
「舞台は昭和末期の東京。主人公は写真館の息子。父の死をきっかけに、古いフィルムを現像しながら過去と向き合う物語。」
数秒後、画面には整った文章が並んだ。導入は滑らかで、情景描写も的確だった。登場人物の感情も、過不足なく配置されていた。私の理想としていたお手本のような物語に私は驚いた。だが、同時に奇妙な感覚に襲われた。
――これは、誰の物語なのか。
文章は「正しい」。だが、そこに「私」はいなかった。私が見た東京の空、父の背中、フィルムの匂い――それらは、どこにもなかった。AIが生成した物語は、まるで誰かの記憶をなぞったように、均質で、匿名だった。
私は試しに、AIの文章に手を加えてみた。比喩を変え、台詞に癖を加え、構成を崩してみる。すると、文章は途端に「私のもの」になった。だがその瞬間、私は気づいた。
――AIとの共創とは、結局「人間が責任を持つこと」なのだ。
AIは提案する。だが、選ぶのは人間だ。整った文章を「壊す」ことでしか、自分の声を取り戻せない。それは、共創ではなく「修正」だった。私は、AIが書いた文章を前にして、まるで編集者のように赤を入れていた。だが、そこに創作の喜びはなかった。
数日後、出版社の若手編集者と打ち合わせをした。彼は言った。
「AIで下書きを作って、先生が仕上げる形にすれば、もっと早く連載できますよ。」
私は笑って答えた。 (AIの下請けのような感じがした。)
「それは、私がAIの添削者になるということですね。」
彼は苦笑した。だが、彼の言葉に悪意はなかった。むしろ、時代の合理性を体現していた。効率、速度、量――それらが、今の創作の価値基準になっていた。
私は帰宅後、AIとの共作原稿を読み返した。文章は美しい。だが、どこか「死んで」いた。感情の起伏が、構造の中に埋もれていた。まるで、感情が「演算された」ような印象だった。
その夜、私は一人で原稿用紙に向かった。AIの助けなしで、ゼロから書いてみた。言葉は遅く、構成は歪み、比喩は拙かった。だが、そこには「私」がいた。父の死を思い出しながら書いた一節は、涙で滲んだ。AIには、涙の重さはわからない。
私は思った。
――創作とは、傷をなぞる行為だ。
AIは傷を避ける。人間は、傷に触れる。その違いが、物語の深さを決めるのではないか。共創という言葉は、甘美な幻想だった。AIは道具であり、創作の責任は常に人間にある。
その夜、私は日記にこう書いた。
「AIと書いた物語は、私の声を消してしまう。だが、私が書いた物語は、私の傷を残してくれる。」
それは、共創の限界を知った者の記録だった。幻想が消えた後に残るのは、静かな覚悟だった。私は、もう一度「自分の言葉」で書くことを決めた。たとえ、それが時代に逆行することでも。
現実は、小説より奇なり 〜小説が書けないわたし〜 Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter
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