第二話「オワコンの影」
春の気配が街に漂い始めた頃、私は自分のブログのアクセス解析を開いて、しばらく画面を見つめていた。数字は、明らかに落ちていた。以前は新作を公開すれば、数百人が読みに来てくれた。コメント欄には感想が並び、時には議論が起こることもあった。だが今は、静寂だった。まるで誰もそこにいないかのように。
「投稿小説はオワコン」
そんな言葉が、SNSで頻繁に見かけるようになったのは、Chappy が登場してからだった。人々は検索をやめ、AIに直接問いかけるようになった。料理のレシピも、旅行の計画も、恋愛相談も、すべてAIが答えてくれる。
「人間の体験談なんて、もう必要ない」
「AIの方が早いし、正確だし、感情に振り回されない」
そんな投稿を見かけるたびに、私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。私が書いてきたものは、まさに「感情に振り回された言葉」だった。失恋の夜に書いた詩、父の死を乗り越えるために綴ったエッセイ、何気ない日常の中で見つけた小さな美しさ。それらは、誰かの役に立つためではなく、ただ「生きている証」として書かれたものだった。
だが、今の時代は違う。役に立つこと、効率的であること、正確であることが、言葉の価値を決めるようになっていた。私は、自分の言葉が「役に立たない」と言われているような気がして、筆を取るのが怖くなった。
ある日、若い編集者からメールが届いた。彼は私のブログを昔から読んでくれていた人だった。だがそのメールには、こう書かれていた。
「最近、AIを使って記事を書いています。正直、効率が段違いです。先生も試してみませんか?」
私は返事を書けなかった。彼の言葉に悪意はなかった。むしろ、善意だったのだと思う。だが、その善意が私の心を深く傷つけた。まるで「あなたの言葉は、もう必要ない」と言われたような気がした。
その夜、私は自分の過去のブログ記事を読み返した。そこには、拙いながらも確かに「私」がいた。文章のリズム、言葉の選び方、感情の揺れ――それらは、AIには真似できないものだと信じていた。だが、信じることが難しくなっていた。
SNSでは、AIが書いた小説が「人間より面白い」と話題になっていた。ある投稿には、こう書かれていた。
「人間の作家って、もういらないんじゃない?」
その言葉に、私は震えた。怒りではなく、恐怖だった。自分の存在が、時代に否定されていく感覚。私は、何のために書いているのか分からなくなった。(AI作成が芥川賞を取ったっけ⋯)
翌朝、私はブログに短い文章を投稿した。タイトルは「言葉の居場所」。本文は、こう始まっていた。
「言葉は、どこに向かえばいいのだろう。」
その投稿には、ほとんど反応がなかった。だが、それでよかったのかもしれない。私は、誰かに読まれるためではなく、自分のために書いたのだから。
それでも、心の奥には問いが残った。
――「AIが言葉を量産する時代に、人間の言葉はどんな意味を持つのか。」
私はその問いに答えを出せずにいた。だが、答えを探す旅は、まだ続いていた。
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